今日も引き続きカットTBの南篠崎店のピエロの壁画のバックから。これでほぼ終わりかな・・・と思いきや、先日のママがやってくれたブタを合体した廻り
これで後はキリンと馬を合体した時の辺りのみとなったのね。これは取り付けの日でも良い感じもするんだけれど・・・。そんな中、いつもの両親の用事も
やりつつ、大家さんにも一応病院に行こうよ・・・って言われたし、夕方行くと・・・その病院は父の付き添いもしているし、何度か行っているんで、顔を
覚えてくれたようで・・・お父さんじゃ無くて、どうしましたか?って感じで、一応レントゲンも撮って打撲とか捻挫のようだったのね。まっ歩けたから、
そうかな?とは思っていたけれどね・・・。それと同時進行で、大杉店のピエロも切り抜き、縁取りを始めたのね。
動物の輪郭に切って置いたパーツが残っていたから、あるだけ張っていたら12時近くてビックリ・・・慌てて帰宅。こうやって次々やってて思うのは、この
ピエロの評価なのね。まず確実なのは常連の生徒さんからは、見慣れてしまった事や、もっとアトリエで凄い作品を見てしまっている事から、左程特に感じるものも無く・・・またピエロやっているんですね。
こんな感じだろうね。逆にここからkatsuのモザイクを知った・・・って人は、可愛いぃぃみたいな感じでスタートになる。明らかに入り方が違うのね。
例えば、今世の中のモザイクとしては、レトロなタイルを使ったものが一押しになっているが、その前はランタンってタイルだったり、流行りものって言うのは、次々と変化して行くのね。
それは簡単な理屈で、常に良い事と悪い事は背中合わせで、流行って言うのは、流れて行く・・・って書くのね。何故か?となると、みんなが飛び付きやすいものだからなのね。
例えば普通って人達は大多数って事になる。つまりこの人達は、流行に乗っかる人で、一般って事になる。普通って感じにね。その時にまずきっかけになる、
流行を作ろうとする人と、流行じゃ無いものを探している人って言う人が、今どきの言い方で言うとマッチングアプリ的に出会えば良いのね。例えば作家とか
先生って言う人は、オリジナルってものを作ろうとするのね。でも大抵は、そのタイルの形のまま使おうとするのね。でも普通はタイルは四角で、しかも、
普通は建築材だから、100角って言って10cmもあって、更にここは日本だから、まぁ地味ぃぃぃぃぃぃぃぃぃな、淡い色しか無いのね。だってお風呂の壁やキッチンに使うのに、赤やショッキングピンクなんてね・・・。
厳格な工務店が許すはず無いでしょ。話を戻して、だから切らないと中々個性は出ない。そんな中、丸や楕円、六角形、棒、・・・と形のタイルがあったりするも、それとてそのまま使えば、大きいものしか作れない。
これでは家の中にあっと言う間に、だらけ・・・になる。陶芸もステンドもみんなそうなのね。お手軽に始めたらお手軽だらけになる。だって楽しいから、
簡単だから、あっという間に出来るから。それで飽きてしまう。その仕組みを変えるのが、ランタンとかレトロなタイルなのね。これは達郎さんの考え方。
要するに簡単な話で、今年のカタログのタイルは新製品だが、すぐに出回る。つまりすぐ飽きられる。所が新製品って何?って考えた時に、見た事の無い新しいもの・・・と変換出来る人は、じゃレトロなタイルもそうじゃんに気付く。
新しいものは宣伝するから目に止まりやすい。ただ欲しい人は建築の人達なのね。それではモザイクの人達には普通は伝わらない。これが今までの仕組み。
ただ今はタイルを建築材だと思われなくなって来た。そして何か個性的なのが欲しい・・・なんて人も増えて来た。けれど新製品は何を見ても普通・・・
そりゃどの会社も新しいものを作ろうと必死なのは、今まで通りなんだけれど、予算や売れ筋、何しろ新製品が似てしまったりする。その考え方が違う
のが達郎さん。ドゥアップみたいな古いスタイルも、馴染が無ければ新しく聞こえる。こんな考え方の先生や作家って人達が随分と増えて来た。でも、
それは企業じゃ出来ないのね。だって自社ものを売りたいんだから。新製品を売りたいんだから。つまりメーカーには出来ないのね。所が問屋さんや商社さんなら、作っている人では無いから、斬新な考え方と波風立っても平気って、
考え方なら出来る。そんな人達も出て来た。しかもインスタのように自分発信がしやすくなった・・・これで普通の人達へ届きやすくなった。色んな方法でね。
ただそれも企業の話と同じで、レトロのタイルも普通の人達に見つかる頃には飽きられるし、製造中止のタイルはいつか底も尽きる。更に言えば、実は何故
レトロなタイルが人気になるか?それはそのもの自体の破壊力が凄いからなのね。例えば、そのタイルが一体何処でどうやって活躍していたか?が全て。
知っている限りでは、それらは全て輸出用のタイルなのね。しかも1ドル360円時代のね・・・そりゃ恐ろしくお金が掛かったスペシャルなものでしょ?
今よりもっと貧困格差がある頃のタイル・・・その頃の日本じゃ、まだタイルが張ってありゃマシな時代。俺には命掛けで戦争に行った日本と、戦地で
アイスを食べていたアメリカくらい差を感じるのね。こんな差があるタイルを今見たら、買えたら欲しい人はいるのは当たり前。そしていつか無くなるだろう。
しかも厄介なのは、そんな素晴らしいタイルを見た人達が、それと今のタイルを見比べる・・・そりゃ残酷だわっ。でもこれも普通。だって漁師が取った魚
のまま、刺し身だ、焼くだ、煮るって言うのなら、昔と一緒なのね。考え方が。でも世界から色んな魚が来る。タイルも一緒。そのまま使うも良いだろうが、
それらに合う、スペシャルな料理って言うのは、切らなきゃ普通だし、切るなら素晴らしい切り方の方が良いだろうし、味付けだって素晴らしくしたい。
これが作り手の考え方なのね。何でもそう。野球だってボールを投げて打って取る。昔と一緒だし、楽器もそう。ピアノも鍵盤がエレクトーンみたいにはならないし、バイオリンの弦の数も変わらない。でも演奏者でいくらでも変わる。
同じ事で作り手の名前で値段は大きく変わる・・・まっそうなりたいって努力をしているのが、作家katsuであり、エキスのお裾分け的なのが、先生katsu。
どんなタイルでも料理次第って考えれば、何でも一緒なんだけれど、まっこの話はこの程度にして、この縁取りでピエロ・・・俺はガウディと一緒な考え方だと思うんだけどなぁ・・・。
そもそもモザイクはフレスコ画をベースなのね。だから立派な絵を壁画に・・・って感じだし、天使とかがモチーフで、戦争とかあって生きる事が願い
なんて事になれば、拝む場所にあるのもうなづけるが、自宅には要らないのね。だからもっと軽いものになる。鍋敷き、コースター、まぁみんなあれこれやっているし、俺も通って来た。
ただそれもガウディも、モザイクくくりで一緒なのね。ただ格差に見えるだけ。じゃ何故格差に見えるか?まずは大きさ。そしてデザイン性とか、あれこれと
付け加えるんだろうね・・・諦める側だと。大谷さんが憧れてちゃ勝てないって言ってたでしょ?要するに普通はゴシック様式って時代にあの建物を建てた。
でも、パトロンのグエルさんの力だし、それをやらせてくれたお客さんがいるのね。そもそも普通じゃ無い事って、波風が立つものなのね。立たせるんだから。
でも、立たせようとしているんだけれど、みんな普通に立たせようとしているだけで、周りを気にして、ちょっとだけ・・・とか、飛び抜けない。
でもこのピエロの壁画・・・こんな店舗、少なくとも江戸川区には無い。いや、本当はもっと無いんだけれど、謙虚に遠慮しとくわ。つまり見た事の無い
ものがいきなりやって来る・・・黒船襲来なのね。しかも去年までのような、リュウグウノツカイ、カツオノエボシ、タコの椅子のような作品では無い。
やさぐれた貧乏ラップでも無いし、オシャレなR&Bでも無く、童謡なのね。誰にでも判る・・・目指すは、宇多田ヒカルさんの、ぼくはくま。って感じに。
誰にでも判る・・・こんな事をやらせて貰っている。しかも人目に触れる場所に・・・それがある時突然の設置・・・インパクトはある。
そこから知って頂くと、ぼくはくま・・・からAutomaticのデビュー曲にたどり着くまで掘り下げて貰えば、テレチャン優勝まで特典になる。チャンス到来。
しかももう一般家庭では無く、幼稚園や保育園にも発信しやすい。他はペンキで描いてあるもの・・・いつかは終わる時が来る。3匹の子豚の時代から、
丈夫で硬いものは良いってね・・・腕も知って貰う良い機会になる。ってやってんだけどねー、まだ設置して無いから、ただの足痛いおじさんなのね。
もの凄いぃぃぃぃぃぃぃぃぃ野心と、戦略に腕を絞ってね。その日が来るのをね。勿論、果報は寝てなんて、貧乏人が言う事じゃ無いから、せっせと夜なべしてね。
縁取りにしてもそう。例えばアニメが世界に認められるのも、そもそも縁取りは文化なのね。きっと。浮世絵がそのベースにあると思うのね。世界では、リアルを追求するから、縁取りなんて入らない。
それをぼかしたりしてリアルの追求側の、世界からしたら斬新だと思うのね。それが今アニメは動くんだから、もっと凄く見える。ただ絵はね・・・。
モザイクってそんなに進歩してんのかなぁ?もし呑気な進歩程度なら、チャンスあるんじゃ無いのかなぁ・・・って、徳川埋蔵金を掘るよりも確率高い。と
思っている61歳の足痛い初老の戯言でした〜。