かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

五馬の梅源郷

2009年03月11日 | Weblog
一昨日は、卒業式のお礼状を生徒が配れない地域に持って行きました。郵送でもいいのですが、持っていくと地域の様子も分かります。季節の移り変わりの景色がすばらしいところが多いです。


 今は、広い敷地に梅の花が満開に咲いているところがあります。梅は、天瀬町の隣りの大山町が有名です。「梅を作ってハワイに行こう」の言葉のもとに梅づくりを進めていきました。




 天瀬町も大山町の隣りということで、梅の木を植えているところが多いです。梅の花が今満開となっています。先日、大山町ひびきの郷の梅祭りに行きましたが、すごい人手でした。しかし、すでに花が散りかけていました。ちょっと残念。しかし、五馬は、標高が大山より高いので、今が花の盛りとなっています。とてもきれいです。春の訪れを十分に堪能することができます。




 また五馬は雑木林が多いところです。クヌギの木などが植えられています。その雑木林の雰囲気は、高原独特のものだと思います。落ち着きのある風景となっています。




 今の季節、枯れ葉が地面に敷き詰められていて、葉がない雑木がまとまって立っています。絵になります。枯れ葉の上に横たわりたいなあという場所もあります。ちょっとした軽井沢の感じです。




 梅に雑木林に素敵な風景です。



     
 子どもたちが配れないところは、そんな場所が多いです。
 冬には、雑木の枝から粉雪がさらっと落ちて、雑木林からの木漏れ日に光りながら揺れながら雪が舞い落ちている現象に出合うことがあります。五馬のダイヤモンドダストです。




 秋は、雑木林の紅葉、春は新緑。かったかくんがお薦めする隠れたスポットをいろんなものを配布する中で見つけました。




 今まで自然をこんなにじっくりと見たことはありません。五馬に来て自然の美しさに心が奪われることが多いです。





 自分の心にゆとりがあるから美しさがみれるとかでなく、見ただけでだれもが感じる美しさだと思います。自然の美しさが広がっている五馬です。



(綴りをここまでで休憩)



 とここまで綴り、学校を出て帰るときに、梅の花の写真を撮ろうと6時くらいに車に乗り込みました。すると、環境整備の方が、車でやってきて、



「どこに行ってるのかな。」




と話しかけてくれました。「梅の写真をとりに・・・。」と言うと、



「そりゃ、もっと学校に近いところにきれいなところがあるよ。」




と教えてくれました。「車でついておいで。」ということで、軽トラの後を追いました。車で7~8分ちょっと登ったところでしょうか。きれいな別荘地がありました。学校の近くにこんな素敵な別荘地があるなど知りませんでした。




 その横にたくさんの梅の木が一面に植えられ、満開でした。グランドよりまだ広い面積です。桃源郷ではなく、梅源郷でしょうか。とてもきれいでした。いい香りを漂わせながら写真のように春を演出しています。




 別荘、梅の花、そして、高台から見える山々の景色・・・今まで見た五馬の景色の中でも指折りの景観でした。




「すごいいいところだろう。ここの別荘の仕事もしているんですよ。」と環境整備の方。 雑木林の木立の中にある別荘の雰囲気がすごいです。モダンなつくりです。そこから見える九州山地の山並み、下に見える五馬地区の家々。




春の風がすっと頬にあたり気持ちがさわやかになるような感じでした。




 下の写真は、木立から日が沈んでいく様子です。ロマンティックな光景です。





 「ここは、朝、よく雲海が見えるんですよ。雲海があるときは教えてあげるから見においで。」




 「ぜひぜひ。」と言うことで、雲海が広がったときは伝えてもらう約束をしました。新たな五馬の発見でした。

これやんからの手紙

2009年03月11日 | Weblog
「先生、新聞に出ていたね。」
と大阪にいるこれやんからの電話。今朝の朝刊の投稿欄にエッセイが掲載をされていました。

今から、30年前になるでしょう。大学3年生の時、付属中学校に教育実習に行きました。そして、大学4年生の時の実習も同じ学年を担当しました。実習の最後の日は、涙涙でした。そのときの生徒にこれやんがいたのです。

それからのつきあいです。他にもまだ連絡を取り合っている人が数人います。全国各地で活躍をしています。みんなすばらしい仲間です。前にも話したように、そのときに、「健先生」と呼ばれていました。だから、長男の名前を「健」とつけました。そんな思い出のあるクラスですし、忘れることができません。

結婚式の時も何人かで大分からかけつけてくれました。自分の教員として原点があのときの実習にあると思っています。わずか一ヶ月の実習でしたが、すごい本が一冊できるくらいの内容は十分にあります。この時のドラマは、また退職をしてから書きます。テレビのドラマになってもいいくらいです?!


もうお子さんも大きくなっています。


「大分にいるお父さんから電話で教えてもらった。お父さんが電話で記事を読んでくれたんです。」と話をしてくれました。お父さんの心配りに感激でした。

お父さんは、大分のテレビ局に勤めていましたが、奥さまの実家の中津で退職後は過ごされています。お父さんの電話番号も教えてもらい、すぐにお礼の電話をしました。とてもなつかしい時間でした。