かったかくんのホームページ

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懐かしい耶馬溪鉄道の姿にふれて

2010年09月05日 | Weblog
土曜日、帰宅してみると、ビデオが3本置かれていました。中を見ると、以前頼んでいたビデオでした。今は、DVDの時代ですが、中味の濃いビデオです



 数学の先生が、「耶馬溪鉄道」を使って授業をするというので、DVDがないかということでした。以前、一緒に勤務したかくちゃんのお父さんがビデオを持っていると聞いていたので、かくちゃんとお父さんに電話をしました。お父さんは、以前、耶馬溪鉄道に勤務されていた方です。


 貴重な画像です。3本貸して下さっていました。ビデオをダビングしながら、懐かしい思い出がよみがえってきました。



 中学校1年生まで、家の裏を鉄道が走っていました。いろんな思い出が耶馬溪鉄道にはあります。1時間に1本くらいの割合で走っていました。だから、汽車の時刻表は、地元の人たちは、頭に入っていました。汽笛で今何時なのか知ることができました。汽車と生活とは、密接なつながりを持っていました。



 中学校まで、汽車で通っていました。高校生は、降りる、中学生は乗る・・・で駅はごった返していました。当時中学は、田舎でも1学年200人を超えていましたので、朝、夕方の列車を利用する生徒の数は、多かったです。列車には、先生たちも利用する人がたくさんいました。


 今では考えられませんが、たくさんの鉄橋がありましたので、どの距離の鉄橋が渡れるか度胸比べをするのがちょっとした勲章的なものがありました。さすが、中学校の近くの大きくカーブした長い鉄橋を渡るのは、勇気がいりました。下の写真の鉄橋です。この写真は、サイクリンロードになってからの写真です。



大水が出ると、橋が浸かるので、柿坂のある地区では鉄橋を渡って登校している姿を見て、ぞっとした思い出もあります。また、遊んでいるとき、列車の近づく音をレールに耳を近づけて確かめたりしました。スローな時代でした。




 耶馬溪鉄道に乗り、中津の街などにいくことが子どもの頃においては、何よりの楽しみでもありました。春休みでは、中津の街では「春の市」なども行われていました。また、家が店をしていたので、両親に頼まれて卸屋に品物を取りに行くこともしばしばありました。その時は、もちろん耶馬溪鉄道を利用しました。



 耶馬溪鉄道があるときは、どの駅でも周辺は、酒屋や旅館、店屋で栄えていました。しかし、廃止されたあとは、人の賑わいも消え、次第に旅館などは消えていきました。現在はかすかに平田駅跡や倉庫跡など、耶馬溪鉄道が存在した名残りがあります。



 耶馬溪鉄道廃止の話が出て、それが現実となったときは、寂しさを感じました。汽車の音は消え、家から見えるレールは取り外され、シグナルは消えました。中津駅 - 八幡前駅 - 大貞公園駅 - 上ノ原駅 - 諫山駅 - 真坂駅 - 野路駅 - 洞門駅 - 羅漢寺駅 - 冠石野駅 - 耶馬渓平田駅 - 津民駅 - 耶鉄柿坂駅 - 下郷駅 - 江渕駅 - 中摩駅 - 白地駅 - 宇曽駅 - 守実温泉駅と続いた36キロメートルの鉄道は、今は、幻の鉄道となりました。




 鉄道が通った線路は、今は、サイクリングロードになっています。ビデオを見ながら、懐かしい風景にふれることができました。全線を映し出したビデオもありました。ふとひと昔前に戻ったような錯覚に陥りました。