『夕暮れの畑の作業影も伸び
石垣座り井戸端会議』
梅の実が落ちてきています。
暑い毎日が続きますが、なんとなく梅の実の匂いをかぐと、梅雨の匂いもしてきます。
ちょっと作業をしていると、近所の方がやってきます。
夕方になっても気温はなかなか下がりませんが、ちょっと、休憩をして、和んだ話をすることができます。
間もなく雨の季節となるのですね。
今日は、特別暑さが厳しく感じました。
福岡県の久留米市では、33度2分、大分県日田市では、32度3分の最高気温を記録しています。
今年は、本当に春が短かったような気がします。
教室の気温を見ると28度になっていました。
途中で担当の先生が、
「冷房の試運転」
と教室にやってきました。
涼しい風が教室を包みました。しあわせ。
午後から外での体育もあったので、体を冷やすことができました。
この暑さの中で、子どもたちはマスクを着用しています。
昨年もそうでしたが、暑さにはマスクもこたえます。
日焼けした顔にはマスクの跡ができている子どももいます。
コロナ感染防止とマスク着用のバランスです。
今もそうだとは思いますが、今までも
「マスク着用については、感染防止効果の高い不織布マスクを使用し、鼻にしっかりフィットさせ、隙間ができないようにしてください。」
と大分県ではこの方針で着用を進めてきました。
今日のニュースを見ていると、外では、会話なし・2メートル離れての会話では不要。
2メート以内の会話は必要。などが提示されました。
でも学校にあてはめると、子どもたちは、常に動いています。
まず休み時間、外に出て黙っていることもありません。
また遊んでいる時、距離を2メートル取る時もあるし、それ以内もあります。
よく自己管理と言いますが、こちらのマスクに対しての価値観と周りにいる人の価値観も違います。
マスクを着用していない人に対して、何も思わない人もいるだろうし、強い不安に思う人もいてもおかしくはありません。
今までの3年間の流れで、マスクが根付いてきたものもあります。
難しいものがあります。
友だちが勤務する学校では、体育などの授業中、密になっていると、管理職の先生が笛を鳴らして、
「密です。」
と離すそうです。
話を聞きながら、ある意味、寂しい「時」を感じます。
マスクが「必要」「不要」と言っても、強制もできないし、方針が出されても、何となく、あいまいになりそうな気がします。
先日も書いたように、子どもの会話にでてきた「治療薬」ができ、収束の方向が見え始めたときに、みんなの「マスク」が取れていくのでしょうか。
まだまだ先が不透明な中で、時が流れています。
「平凡な日常」が来るのが待ち遠しく感じます。
石垣座り井戸端会議』
梅の実が落ちてきています。
暑い毎日が続きますが、なんとなく梅の実の匂いをかぐと、梅雨の匂いもしてきます。
ちょっと作業をしていると、近所の方がやってきます。
夕方になっても気温はなかなか下がりませんが、ちょっと、休憩をして、和んだ話をすることができます。
間もなく雨の季節となるのですね。
今日は、特別暑さが厳しく感じました。
福岡県の久留米市では、33度2分、大分県日田市では、32度3分の最高気温を記録しています。
今年は、本当に春が短かったような気がします。
教室の気温を見ると28度になっていました。
途中で担当の先生が、
「冷房の試運転」
と教室にやってきました。
涼しい風が教室を包みました。しあわせ。
午後から外での体育もあったので、体を冷やすことができました。
この暑さの中で、子どもたちはマスクを着用しています。
昨年もそうでしたが、暑さにはマスクもこたえます。
日焼けした顔にはマスクの跡ができている子どももいます。
コロナ感染防止とマスク着用のバランスです。
今もそうだとは思いますが、今までも
「マスク着用については、感染防止効果の高い不織布マスクを使用し、鼻にしっかりフィットさせ、隙間ができないようにしてください。」
と大分県ではこの方針で着用を進めてきました。
今日のニュースを見ていると、外では、会話なし・2メートル離れての会話では不要。
2メート以内の会話は必要。などが提示されました。
でも学校にあてはめると、子どもたちは、常に動いています。
まず休み時間、外に出て黙っていることもありません。
また遊んでいる時、距離を2メートル取る時もあるし、それ以内もあります。
よく自己管理と言いますが、こちらのマスクに対しての価値観と周りにいる人の価値観も違います。
マスクを着用していない人に対して、何も思わない人もいるだろうし、強い不安に思う人もいてもおかしくはありません。
今までの3年間の流れで、マスクが根付いてきたものもあります。
難しいものがあります。
友だちが勤務する学校では、体育などの授業中、密になっていると、管理職の先生が笛を鳴らして、
「密です。」
と離すそうです。
話を聞きながら、ある意味、寂しい「時」を感じます。
マスクが「必要」「不要」と言っても、強制もできないし、方針が出されても、何となく、あいまいになりそうな気がします。
先日も書いたように、子どもの会話にでてきた「治療薬」ができ、収束の方向が見え始めたときに、みんなの「マスク」が取れていくのでしょうか。
まだまだ先が不透明な中で、時が流れています。
「平凡な日常」が来るのが待ち遠しく感じます。