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今日、とても嬉しいことがありました。
日田市の先生方12人で中津のハモ料理を食べることになりました。世話をしている先生に言われて、どこで食べたらいいのか思案しました。ということで、中津にある「鬼太郎」というお店で食べることにしました。
「鬼太郎」のお店は、かったかくんが先生になってから初めて赴任した校区にあります。何かにつけて、食事会をしていました。その学校の先生方や、PTAの方々の行きつけのお店でした。
また、運動会の朝など、特別に食事を作ったりしてくれていました。心配りのあるご主人と女将さんでした。たびたび行くので、よく先輩の先生方は、
「刺身の厚さまでわかるなあ。」
などとよく言っていました。みんなの社交の場でした。
でもそれから、月日がたち、赴任地を離れてから、25年が過ぎました。2.3回そこで、宴席がもたれたりして行く機会もありましたが、それも2,3回程度で、行く回数が減っていきました。
年月が過ぎ、「鬼太郎」のご主人が亡くなったと風の便りで聞いていました。女将さんと、たぶん、家族のだれかが、お父さんの後を継いだのでしょう。店の前を通るけれど、すごくきれいな店です。
覚えているかなあと思ったけれど、懐かしく電話をかけました。
「あら、先生、元気ですか。お久しぶりです。」
覚えていてくれた?でもかったかくんの姓の先生は中津には、何人かいる・・・と思ったけれど、話を続けました。
「8月○日に、日田の先生方が、ハモ料理を食べたいというのですが、どうです か。」
「日田からですか。うれしいですね。でも月曜日は定休日なんですよ。」
という女将さん。
「ごめんなさいね。8月○日は、先生の誕生日なのに。」
えっ・・・。その言葉が信じられませんでした。
「自分の誕生日を覚えてくれていて、とてもうれしいです。信じられないです。感激をしました。」
と言いました。突然の、10数年ぶりの久しぶりの電話。それなのに、誕生日まで覚えていてくれたこと・・・鳥肌が断つ思いでした。
いつまでたっても、おかみさんの一人ひとりを大切にした接客をしていることに、驚きと感激をしました。おかみさんの気配りは、(気配り以上かも知れませんが)昔のままだと感じました。
自分の中に何か足りないものを女将さんが教えてくれたような気がしました。
日田市の先生方12人で中津のハモ料理を食べることになりました。世話をしている先生に言われて、どこで食べたらいいのか思案しました。ということで、中津にある「鬼太郎」というお店で食べることにしました。
「鬼太郎」のお店は、かったかくんが先生になってから初めて赴任した校区にあります。何かにつけて、食事会をしていました。その学校の先生方や、PTAの方々の行きつけのお店でした。
また、運動会の朝など、特別に食事を作ったりしてくれていました。心配りのあるご主人と女将さんでした。たびたび行くので、よく先輩の先生方は、
「刺身の厚さまでわかるなあ。」
などとよく言っていました。みんなの社交の場でした。
でもそれから、月日がたち、赴任地を離れてから、25年が過ぎました。2.3回そこで、宴席がもたれたりして行く機会もありましたが、それも2,3回程度で、行く回数が減っていきました。
年月が過ぎ、「鬼太郎」のご主人が亡くなったと風の便りで聞いていました。女将さんと、たぶん、家族のだれかが、お父さんの後を継いだのでしょう。店の前を通るけれど、すごくきれいな店です。
覚えているかなあと思ったけれど、懐かしく電話をかけました。
「あら、先生、元気ですか。お久しぶりです。」
覚えていてくれた?でもかったかくんの姓の先生は中津には、何人かいる・・・と思ったけれど、話を続けました。
「8月○日に、日田の先生方が、ハモ料理を食べたいというのですが、どうです か。」
「日田からですか。うれしいですね。でも月曜日は定休日なんですよ。」
という女将さん。
「ごめんなさいね。8月○日は、先生の誕生日なのに。」
えっ・・・。その言葉が信じられませんでした。
「自分の誕生日を覚えてくれていて、とてもうれしいです。信じられないです。感激をしました。」
と言いました。突然の、10数年ぶりの久しぶりの電話。それなのに、誕生日まで覚えていてくれたこと・・・鳥肌が断つ思いでした。
いつまでたっても、おかみさんの一人ひとりを大切にした接客をしていることに、驚きと感激をしました。おかみさんの気配りは、(気配り以上かも知れませんが)昔のままだと感じました。
自分の中に何か足りないものを女将さんが教えてくれたような気がしました。