和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

歴史村オーウェルコーナーを訪ねて (シャーロットタウン)

2016-10-09 08:00:04 | 日記

ワンルームスクール教室の風景

当時は何でも揃えていたクラーク家の店

ストーブの上に重たいやかん、なべ、重たいアイロン等々料理用薪ストーブは合理的

ダイニングルーム

1856年アイルランドから移住してきたクラーク兄弟がここを開いた。農場は1880年代から

教会内部  ここは20世紀のはじめまで活気ある村でした

オーウェルコーナー歴史村は島の歴史遺産として19世紀当時の建物などを移築し復元して保存しているところです。赤毛のアンが出版されたのは1908年ですからちょうどその頃です。日本では明治41年頃のことになります。
ご一緒に「赤毛のアン」物語をもう一度ここで思い出してみませんか。アンは生まれて3ヶ月で両親(高校の教師)に死に別れ身寄りもなくお手伝いに来ていたトーマスおばさんに引き取られました。8歳の時にトーマスおばさんのご主人が亡くなり次はハモンドのおかみさんの家の子守として引き取られました。ここでも2年と数か月でご主人が亡くなり今度は4ヶ月間孤児院に預けられていました。赤毛のアンの物語は孤児院からアボンリー村のカスバート家に11歳で引き取られる所から始まります。今まで学校にも行かせてもらえず、家庭の愛にも恵まれなかったアンが豊かな愛情をえて悲喜こもごも色々な問題を起こしました。けれど想像豊かで頭も良かったので村の学校から15歳の時にシャーロットタウンにあるクイーン学院に進学しました。
2年間の単位を1年で習得し16才で教員免除を取りました。一番で卒業した彼女は翌年の大学への奨学金を取得してマシュウと、マリラの自慢の娘に成長しました。喜びもつかの間休暇で村に帰っていた時マシュウが急死してしまいました。目が悪くなり最近では裁縫も出来なくなったマリラを一人にしておけず大学を諦めてアボンリー村に帰り2年間教師をすることを決心しました。「アンの青春」に新任教師の話は出てきます。その後マリラと仲良しのお隣のレイチェル・リンド夫人(ご主人が亡くなり)が同居することとなりアンは安心して村を離れることが出来るようになってキングスポートのレッドモンド大学(ハリファックスのダルハウジー大学)に入りました。ここでのお話は「アンの愛情」に出てきます。
22才で卒業後した後は「柳風荘」に下宿して3年間サマーサイドの高等学校の校長を務めました。ここでのお話は(アンの幸福)に出てきます。
その後かねてから婚約していた幼なじみのギルバート・ブライス(医師)とアボンリーに帰り25才で結婚しフレンチリバーからはほど近いフォアウインズに住んで6人の子供を育て上げます(アンの夢の家)。ギルバートはアンが初めてアボンリーの学校に行った時に彼女の赤毛をからかって にんじん、にんじんと言ってアンを怒らせ石盤で頭をたたかれた男の子です。それで数年の間ふたりは仲直りが出来なかくていつも勉学では競争心を燃やす対抗相手になっていました。腹心の友ダイアナも幼なじみのフレッド・ライトと結婚しアボンリーに住んでいます。
若いときに読んだ「赤毛のアン」とは違いこの年になってもう一度読む「赤毛のアン」には生きる指針のような言葉が散りばめられていることに気がつきました。

涼風の空には憂い無きごとく