和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

三陸鉄道に乗り北山崎海岸から釜石へ

2024-07-09 11:12:38 | 日記





海岸線の遠くに見える山は宮古の月山





シロバナシャクナゲが植栽されて

ウツボグサ



宮古から釜石まで乗ってきた電車

釜石駅



大島高任は、初めて洋式高炉の技術移植を見事に成し遂げ、わが国の近代鉄産業の礎となった先駆者です。
文政9年(1826)5月11日、盛岡藩の侍医・周意(かねおき)の嫡子として盛岡に生まれました。












6月27日、蕪島神社参拝とウミネコ繁殖地を見た後はまた鮫駅から八戸線の久慈駅までいきました。 
ここで宮古行きの北リアス線に乗りかえたのですがここでは既に八戸駅から乗ってきている旅行会社のツアー客で混雑し
座席を確保できない人が多数いました。私たちもみな座れず(40分間)そのツアー客が降りた普代駅でやっと座ることが
出来ましたが(9分間)次の田野畑駅で下車。田野畑駅では予約していた乗り合いタクシーで北山崎海岸を見に行きました。
三陸鉄道に乗り海岸線を見るのは今や人気のコースなのですね。以前の旅行では北山崎海岸を船から見たと記憶していますが
今日は展望台からの眺めです。お天気も良くすべて見渡せましたがこの季節特有のオホーツク高気圧から噴き出す湿った冷たい
風と空気が海を渡る途中で海面から水蒸気を含み湿気を帯びて雲や霧を発生させるそうです。それをヤマセというそうですが
2日前に来た人たちはヤマセが来て何も見えずに帰ったそうです。50パーセントの確率だそうですから今日は本当に運が良かっ
たことでした。
北山崎園地には白花石楠花の群生地があり2200本が植栽され北山崎南側には自生しているシャクナゲ群落は天然記念物にも
指定されているそうです。残念ながら今年は開花が早くすでに咲き終わってしまいました。
帰りはまた乗り合いバスに乗り田野畑駅(無人駅)から宮古行きに乗りそこから乗り継いで釜石駅まで来ました。
2011年3月11日に発生した東日本大震災は東北太平洋沿岸部の広範な地域に大きな被害をもたらしたことなどに思いをはせながら
釜石に着いたのは19:18と遅くなりました。
それゆえ今晩の宿泊は釜石駅に直結しているJR直営のホテルフォルクローロをとりましたがまだ新しくてとてもいごこちがよく
大人の休日会員は一割引きになりました。
駅前の周辺の食事処は夜は営業してないところが多くタクシーで繁華街らしきところに連れて行ってもらいお勧めの海鮮料理の店で
遅い夕食をとりました。こちらのお刺身定食は美味しかったです。
翌朝は駅前広場を見てから駅の隣にある海産物のお店を覘き9時の電車で遠野へ向かいました。

石楠花の咲き競う崖探しをり

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
三陸海岸の旅 (千代子)
2024-07-09 15:40:41
 東日本大地震では津波による多くの犠牲者 建物の損壊を出しましたが、いまだ 爪痕は諸所に残しながらも、漸く復興の一途をたどっています。北山崎公園からの眺めは素晴らしくて、重なる半島の奥に月山を見つけ、山形だけでなく宮古にも月山があることを店の人から聞いて納得しました。
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三陸鉄道 (ウォーク更家)
2024-07-10 08:40:58
陸鉄道が全線開通したときに、2日かけて、全線に乗りに行きました。

東日本大震災の爪痕に心を痛めながら釜石駅でも下りました。
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北山崎公園 (和子)
2024-07-10 09:14:46
千代子さん

ヤマセにも会わずすっきり晴れ渡り何ときれいに見えた断崖でしたね。
海岸線の遠くに見えた山はなんという山かずっと不思議でした。
そこの看板に書いてあった「月山」の表示が薄く消してあったので。
まさか山形の月山が見えるはずもなく?
入口のビジターセンターでしつこく聞いて皆納得しましたね。
宮古にも月山という山があることを。
標識に宮古の月山ともう一度書いてほしいとお願いしておきました。
観光へ来る人はほとんどが県外の人なのですから。
旅の思い出としてこんな些細なことがいつまでも記憶に残るのですよね。
コメントありがとうございました。
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三鉄の復旧 (和子)
2024-07-10 09:47:26
ウォーク更家さん

まあなんと2014年に全線開通した時に2日間かけて乗りに行かれたのですね。
改めてその時のことをネットで調べてみました。
2011年3月11日、東日本大震災による最大震度6弱(釜石以南、宮古以北は震度5弱)の揺れと津波により、海辺を走る三陸鉄道は壊滅的ともいえる被害を受けました。当時の三陸鉄道はJR山田線をはさんで北リアス線(宮古~久慈間)と南リアス線(盛~釜石間)に分かれていました。幸い乗員・乗客に被害はなかったものの、橋梁(きょうりょう)や駅施設の流失など、被害箇所は両線合わせて317ヵ所にも及びました。
2014年に三陸鉄道がほぼ3年ぶりに全線で復旧されたときの地元の方々の喜びが今更のように思い出されました。

今回三陸鉄道を乗るにあたって私が読んでおいた本は家にあった宮脇俊三著「線路のない時刻表」の中で建設と廃線の谷間で 三陸縦貫線 でした。
ぼーっと旅をするのもいいですが事前に少しだけでも知識を得ておくのも深い思い出につながりますよね。
いつもコメントいただき有難うございます。
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