和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

幸手権現堂のアジサイまつり Ⅱ

2024-06-26 04:26:37 | 日記


























幸手の権現堂堤は春は水仙や菜の花が咲き初める頃の桜並木がとくに有名でその時には駅からシャトルバスが出るくらいの人気です。
夏はあじさい、秋には彼岸花、今はコキアも小さな緑色の球を作っていました。
権現堂桜堤の紫陽花路は梅雨の時期に潤って更にさえているでしょう。

名園の種類も多き七変化

幸手権現堂桜堤のアジサイまつり Ⅰ

2024-06-23 05:56:35 | 日記

アナベル

ピンクが混じって




















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江戸時代、日光街道と日光御成街道の分岐点にあたる宿として栄えた町が現在の幸手市で、その北部にある県営権現堂公園内の幸手権現堂桜堤と呼ばれる堤防に
ソメイヨシノによる千本桜のトンネルが約1kmにわたって続..いています。その一番奥にはアジサイが今年も見事な景観をつくっていました。
中でもふんわり もこもこ のアナベル紫陽花が花開くので幸手権現堂は有名になり 3000株のアナベルの清楚な庭園と 斜面一面に広がる16000株の紫陽花のお花畑.は
地元の人たちが中心になって世話をしているそうです。今年で2度目の訪問になりますが私の地元の北小金の本土寺も有名ではありますが花の数と種類の多さには
眼を見張るものがあります。

紫陽花のなだれ咲きたる散策路

熱海城から起雲閣へ

2024-06-20 16:39:11 | 日記

熱海城

熱海の市街

鎧兜等々古いものがいろいろ展示されて







起雲閣

二階から庭園を眺めて










ジャカランダを見た後は親水公園前の銀座というバス停から市内をめぐる遊遊バスで熱海城まで行きました。
名勝・錦ヶ浦をへいげんする要塞地、美しき高層建築として昭和34年に築城、同時期に小田原城や名古屋城・大阪城なども復元、再建されました。
小田原北条氏、歴代の名称たちが水軍の根拠地として築城を熱望しながらも果たし得なかったこの地に戦国大名の見果てぬ夢をここに実現したのが
熱海城だそうです。360度パノラマが楽しめる天守閣展望台は、熱海市街一望はもちろん、湯河原、真鶴半島、晴れた日にはぽっかり浮かぶ初島も
見えました。
その後は起雲閣にも寄りました。
1919年(大正8年)に別荘として築かれ「熱海の三大別荘」と賞賛された名邸が基となる起雲閣。1947年(昭和22年)に旅館として生まれ変わり、
熱海を代表する宿として数多くの宿泊客を迎え、山本有三、志賀直哉、谷崎潤一郎、太宰治、舟橋聖一、武田泰淳など、日本を代表する文豪たちにも
愛されてきました。今は熱海市の文化財として一般公開されています。

片影を拾いつ歩きじゃじゃ麺を

熱海ジャカランダの花

2024-06-16 09:51:11 | 日記



























デイゴ

お宮の松



マートル

ジャカランダは南米産のノウゼンカズラに属しホウオウボク、カエンボクと並んで世界の三大花木の一つに数えられています。
そのジャカランダの花が今年も見頃になったとのことで6月8日の好天の日を選んで行って来ました。
ジャカランダの花は5月下旬から6月中旬までブルーの美しい房状の花を咲かせます。
熱海市では平成2年7月にポルトガル・カスカイ市と国際姉妹都市提携記念として植栽したのが始まりだそうです。
最初は親水公園前の国道の2本の木から始まり今では100本以上に増やしてお宮緑地ジャカランダの公園に賑やかに咲かせて
います。多くの観光客も大喜びで記念撮影していました。新茶の無料サービスなどもあり各所にベンチも用意されて充分にお花を
楽しませてもらいました。

炎天や一杯の茶の清々し

越前大野 こぶし組の人力車に乗って

2024-06-12 08:39:01 | 日記

石灯籠地蔵尊 城下町の建設する際に測量の起点とした場所

武家屋敷旧田村家



期間限定で設置される風車棚は写真スポットになって





夏の城見障子

旧小学校を立て替えて今は小学校と行政が入っているモダンな建物になってます

山の上の城の景観を損ねないように平屋建て

湧水スポット

里芋を流れで洗う芋車

JRの越前大野駅

越前こぶし組による人力車
地元のボランティアグループによる人力車で、碁盤の目状の城下町を廻ります。人力車の乗り心地がわかる短時間の「人力車体験コース」、閑静な寺町通り、朝市の
七間通りと石畳の歴史の路を通り抜けてのコースは大野の歴史を知ってもらう「歴史の路体験コース」、歴史の路コースに御清水をプラスした「まちなか観光コース」
などがあります。
まず初めに中世から近世にかけて建てられた寺院が並ぶ寺町どおりの16ケ寺を通り抜けた次は石灯篭通りで、古くは石灯篭小路ともいわれていて、城下町建設当時の
下水路(背割水路)がありそれは今でも機能しているそうです。
次に通った本町通り(一番町)は美濃街道に通じているので武士や町人、村人が通行したので大店が並び藩御用達の商人が多く一番賑わった通りだったそうです。
そこには今は武家屋敷の旧山内家や武家屋敷旧田村家などが見られます。右手の堀の向こうには小学校や行政の入った新しい長い建物も見られました。
狭い路地で城下町に敵が侵入しにくいようにかぎ型に通る横町通りを通ると城下町特有の風情のある建物なども少しばかり残っていました。
最後に今回の頼んだコースには入っていなかったのですが『御清水 おしょうず」湧水スポットの建物にも寄ってもらいました。水の郷100選にも選ばれている大野市は
湧水地が多く点在し豊かな水に恵まれているそうです。市内の多くの家庭ではホームポンプを設置して地下水をくみ上げ飲み水にお料理にふろ水にと使用。名水の町大野です。
夫と二人で乗せてもらった人力車でしたが一段高いところから眺める大野の町並み、町づくりの歴史などを詳しく説明しながら25分間の約束の時間をとうに超えその倍の
時間をかけて回ってくれました。解りやすい解説に大野の歴史がよーくわかりこれは次回はお友達を連れてきて体験させてあげたいと思ったりしました。
色々名物はありますが、何んと冬だけに食べる水ようかん(でっち羊かん)、秋から4月まで売る芋きんつば、醤油カツ丼の話などを教わりながら越前大野の魅力を満喫した
ひと時はあっという間に過ぎました。人力車の値段は一台¥2000でこれにはびっくりしてしまいました。。こちらは一人が¥2000とばかり思っていましたから。
上庄里芋も有名で実がしまっていて煮くずれしないのが特徴と評判だったので以前取り寄せたことなども思い出したりもしました。
このブログを通じて多くの人が「こぶし組の人力車」を体験して北陸の小京都と言われる越前大野の魅力を味わってもらえたらとお勧めします。
帰りは一両編成のローカル線の車窓から見える田園風景を楽しみながら一時間かけて福井駅に戻ってきました。

日の盛り歴史語り部人力車

水郷潮来の嫁入り船

2024-06-07 18:01:22 | 日記































アヤメ踊り

ろ舟



自分が乗った船から

花嫁が舟に乗って嫁ぐ様子を再現した「嫁入り舟」が茨城県潮来市で行われ、以前から行ってみたい思いがやっと実現しました。
水路が発達していた潮来市では、昭和30年代まで花嫁が舟に乗って嫁ぐ婚礼行事が行われていたそうです。
「嫁入り舟」は「水郷潮来あやめまつり」のイベントとして長年行われ、花嫁と花婿は最近結婚したか、結婚を予定している
カップルが応募で選ばれます。今年が第73回のあやめまつりとかで伝統がある行事なのですね。
6月1日は白むく姿の花嫁を乗せた舟にはお仲人さんも一緒に水郷旧家磯山邸から出発し、川の中をゆっくり進んでいくと、
橋の上や川岸では大勢の観光客から盛んに拍手が送られていました。その声にこたえ花嫁さんは右に左にとご丁寧に挨拶して
くれました。船が川岸を出てから20分近くで水運橋、思案橋、あやめ橋辺りで迂回して戻ってきます。
そして花婿の待つ船着き場に到着したあと、花嫁と花婿があやめまつりの会場を歩くと、「おめでとうございます」と祝福の声が
一段と大きくかけられていました。
花嫁行列を見た後は手漕ぎのろ舟遊覧一人¥1300に乗り船上から潮来水郷地帯を眺めました。
アヤメの咲き具合はというと一寸がっかりしました、思ったより花数が少ないなという印象でした。まだ蕾も多数ありましたが。

花嫁を乗せる六月潮来舟

越前大野の400年続く七間朝市

2024-06-04 08:21:59 | 日記

越前大野城

七間朝市通り



農家の方たちが丹精込めて育てた農産物が並び私も買い物に忙しく写真撮り忘れて







天ぷらもおろしそばも買ってきてみなで立って食べるところ





結ステーション

藩士の隠居所


前日に福井駅の観光案内所で越前大野への電車やバスの時刻表も調べてもらい、行きはバスで行き帰りに電車(越美北線)に乗ると決めました。
翌日は福井駅を10:05発のバスに乗り、始発駅の乗客は3人でしたが路線バスなのでその後途中で2~3人増えて大野までは約一時間のバス旅でした。

戦国時代に築かれた越前大野城を中心に、碁盤目状に広がる越前大野の町並みは、約400年以上前に、金森長近が大野へ入封後つくったものです。
町の東端に寺を集めて寺町とし、そこから西へ、五番通り、四番通り、三番通り、二番通り、本町通りを配置しています。

天空の城  朝霧にそびえる「越前大野城」は北陸の城下を望む幻の天空の城と言われているそうです。大野紹介のパンフレットに見せれれてしまいました。
四方を山々に囲まれた大野盆地。越前大野城は大野市の中心部にある亀山(標高:249m)にそびえる平山城です。 麓には城下町が広がり、この城下町が
雲海に包まれ亀山だけが浮かんで見える日に「天空の城 越前大野城」が現れます。 越前大野城の「天空の城」は、雲海の下がすぐ城下町です。
雲海が広がって次第に町が隠れていくさま、晴れて姿を現していくさまを眺めていると、まるで古(いにしえ)の大野に一瞬戻った錯覚にとらわれるそうです。
その大野城までは歩いて行かねばならず今回は諦めましたが次回は必ず登ってみたいですね。往復一時間もあれば可能だそうですから。
あと10年若かったらカメラ持参でこの天空の城の撮影に挑戦したかもしれません。そう考えるだけでもロマンがありますよね。

一番初めにはバスの中から見えた七間通りの朝市に行きました。春分の日から大晦日までの間400年以上の歴史を誇る七間朝市が開かれていて、和菓子や
酒屋、醤油など様々の商店が並び土曜日とあって大賑わいでした。テントの中で食べたりテイクアウトしたりと若者向けのキッチンカーも多数並んでいました。
私も和菓子屋さんでは栗入りきんつば、酒屋さんでは刻み奈良漬け、山菜売り場では山うどと珍しいミズブキ、名物の厚揚げなどを買いました。どれもこれも
美味しかったのでもっと買って来ればよかったなあと後悔。
大野市の観光交流館で頼んだ人力車の予約の時間までには2時間以上はあったので碁盤の目のようになっている街中を歩き名物の大野のおろしそばも食べれました。
お昼時で混雑はしていましたが座敷に座ってのんびりくつろぎ名物のおそばを堪能しました。こちらは大野在来種のそばの種から作り香りが高く粘りが強いのが特徴
とか紹介していました。地元ならではですね。

古民家の緑風入るや夏障子


一乗谷朝倉氏遺跡と柴田公園・北ノ庄城址を訪ねて

2024-05-31 06:20:20 | 日記

朝倉義景館跡の入口にある唐門は、朝倉義景の菩提を弔うために移築された松雲院の山門で、豊臣秀吉が
朝倉義景の善提を弔うために寄進したものと伝えられ ています













復元の町並み





これは蔵かな?

日本で初めてトイレが確認されたのが一乗谷だそうです 「金隠し」が出土して裏付けられたとか

カラフルな風鈴と和傘が復原町並を彩っています。

柴田勝家とお市の方をまつる神社

勝家の城 北ノ庄城があった地





柴田勝家像

お市の方

三姉妹


朝倉氏は現在の兵庫県養父(やぶ)市出身の豪族で、南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経(しばたかつね)に従って越前に入国しました。
朝倉孝景の代、1467年の応仁の乱での活躍をきっかけに一乗谷に本拠地を移し、斯波氏、甲斐(かい)氏を追放して越前国(えちぜんのくに)を平定
しました。
以後孝景(たかかげ)、氏景(うじかげ)、貞景(さだかげ)、孝景(たかかげ)、義景(よしかげ)と5代103年間にわたって越前国の中心として繁栄し、
この間、京都や奈良の貴族・僧侶などの文化人が訪れ、北陸の小京都とも呼ばれました。
しかし天下統一の戦いの中で1573年織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、城下町も焼き尽くされました。
それから約400年、主を失ったこの地は田畑の下に埋もれてしまいます。 再びこの栄華の地が日の目を見たのは、1967年から始まった発掘調査からです。
発掘された一乗谷城跡からは、見晴らしの良い東側の山頂付近に山城、砦(とりで)、櫓(やぐら)が建ち、麓(ふもと)には朝倉氏の居館、武家屋敷、
寺社が造成されていたことが分かるそうです。現在も発掘調査中です。今回の旅では時間がなく唐門と復元の町並みを歩いただけですので次回はゆっくり
庭園スポットや朝倉氏遺跡博物館など時間をかけて回りたいと思っています。数年前から訪ねたい場所でしたので下見が出来てよかったです。
その後柴田勝家の居城があった越前北ノ庄の柴田公園にも立ち寄りました。
柴田勝家は、数々の戦での活躍に加え、治政面でも優れた能力を発揮したことでも知られています。
1575年(天正3年)、織田信長より北陸方面軍における総帥(そうすい:総大将)を任され、越前国北ノ庄(きたのしょう:現在の福井県福井市)の地を与え
られた柴田勝家。翌1576年(天正4年)には、壮大な天守を擁する「北ノ庄城」の建設を開始し、一大都市を築き上げたのです。
城下町を建設する際には、柴田勝家が滅亡させた朝倉氏の拠点であった一乗谷(いちじょうだに:現在の福井県福井市)から、商人や職人を呼び寄せました。
また、協力的な社寺に対しては、その領地を安堵(あんど:所有権を与えること)し、有力商人には特権を認めるなど、民政運営に必要な施策を実施。
さらに、北陸街道の拡充や足羽川に「九十九橋」(つくもばし)を架ける工事をはじめ、領内整備にも力を注いでいたそうです。
豊臣秀吉に敗れ妻(お市の方)とともに北ノ庄城で自害しましたがその跡地に立つ柴田神社には勝家とお市の方が祭られていてお参りがかないました。

風薫る一乗谷の世経るとも

越前武生の紫式部公園を訪ねて

2024-05-27 08:44:22 | 日記

平安時代の庭園を再現した

寝殿

釣殿は総檜で造られ納涼や月見,雪見の宴が行われた場所

東門から入ると

紫式部像 高さは3メートルあります。見つめる先は和歌に詠んだ日野山





紫ゆかりの館にて 紫式部の間

ここは2021年4月にオープンした資料館です



越前和紙で作られた紫式部下向行列



越前の大河ドラマ館にて





ドラマの中の部屋を再現してます









越前武生から乗ってきた福井鉄道は路面電車だった

福井駅前の恐竜モニュメント 人がそばへ近づくと吠える仕組みになり小さな子供はびっくりし泣きだして

今、NHK大河ドラマでは「光る君へ」が毎日曜日に放送されていますね。。
北陸新幹線が金沢から敦賀まで3月に延伸されたので夫と二人で早速福井まで出かけて行きました。
大宮を6:41のかがやき501号に乗ると越前たけふには9:22に到着です。かがやきの車内は乗客も少なくガラガラでした。
あっという間に着いた越前たけふ駅で新幹線を降りる人も数えるほどでこれには少し驚きました。
駅前からは紫式部公園まで行くシャトルバスもありましたが一台だけ停まっていたタクシーに乗り込み15分で公園に。

源氏物語の作者、紫式部は日本を代表する女性文学者の一人です。紫式部がその生涯で一度だけ唯一京の都を離れ、暮らしたのが
ここ越前たけふでした。
父の藤原為時の赴任に伴い、武生で1年半を過ごした『源氏物語』の作者紫式部にちなんで造られた公園が紫式部公園なのです。
平安時代の貴族の住居を模した全国で唯一の寝殿造庭園で、日野山をバックに池や築山が配されています。
3000坪の広大な敷地に武生盆地を囲む山々を借景に池や築山を配して華やかな雰囲気を醸し出していました。
藤の花が咲く頃が一番いいといわれていますが5月の連休後のお天気を見計らっていきましたので黄菖蒲の花が池に映え躑躅も咲き
始めて賑やかな庭園となっていました。 観光バスで来ていた多くの観光客とはここで出会いました。
紫式部の越前での暮らしの様子は文献には多くは残っていないそうですが越前で読まれた和歌が3首残されているそうです、
雄大な自然、山海の幸との出会い、宋の人々との話しは漢詩に興味のあった紫式部にも退屈しない時間になったことでしょう。
宮中に献上品だった越前和紙との出会いなどなども「源氏物語」を執筆する原動力、想像力を豊かにさせてくれたに違いありません。

越前国府に向けて為時と紫式部一行は琵琶湖を船で渡り、険しい深坂峠を越え5日間ほどかけて越前に到着したわけですが大河ドラマでは
越前でのロケはなく琵琶湖の舟でのロケと対岸に渡った滋賀県高島町のロケは昨晩の番組で放送されていました。
いろいろ想像しながら今後の大河ドラマを見る楽しみが倍増しています。
公園を後にしてから今年開館した大河ドラマ館にいきました。ここは12月30日まで開館してます。
番組の衣装や小道具、パネル映像、吉高由里子さんのメッセージなど。紫式部が暮らした越前の文化や歴史を紹介する歴史展示館となっています。

あっという間に3時間以上が過ぎ事前に調べておいた美味しいと評判のお蕎麦屋さんに行くと店内から外まで待っている人であふれ少なく
とも一時間以上は待つということなので急いでタクシーを呼んで私鉄の越前武生まで送ってもらい福井駅まで電車で行くことにしました。
JRもあったのだと後から知りましたがこの電車はなんと路面電車で一時間もかかりました。
福井を訪ねるのは今回で3回目とはいえ以前は車だったので下調べが足りなかったと後悔しました。
5月の北陸新幹線の車内にある「自由にお持ちください」の小雑誌は平安風情を感じる旅と題して紫式部公園の写真と記事が出ていたので
退屈もせずに新幹線の旅は快適でお勧めです。ブログはこの後一乗谷の遺跡、越前大野の旅へと続きます。

紫式部が越前で詠んだ歌
   ここにかく  日野の杉むら  埋む雪 小塩の松に  けふやまがへる 
(越前に来て初めて迎えた冬に読んだ和歌は、京都の小塩山を彷彿させる幻想的な雪積もる日野山だった)


薫風に映ゆ金色の式部像

大船フラワーセンター薔薇園から大船観音へも寄って

2024-05-23 08:46:23 | 日記















ゴールドマリー

コンラートヘンケル

シャコック

鎌倉

秋に見に行った時には黄色い花をいっぱいつけていたキジョウロホトトギス

雲竜ぐわ

カンレンボク きじゅ

チョウキンレン



大船観音

胎内では


薔薇園の続きをお送りしてますが帰りの大船駅へ戻る途中で駅前近くにある大船の観音様も訪ねました。

薔薇百花気品あふれる競い合い