和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

季節の花で溢れるプライベートガーデン エンケンさん宅訪問 Ⅰ

2016-10-12 06:20:04 | 日記















旅の五日目,二番目の訪問地は季節の花々が咲きそろい始めた個人のお宅でした。園芸は奥様のキャロリンさんが趣味で始められたそうですが、今では夫のアンドリュースさんも息子さんのロブさんも手伝ってこの季節にはプライベートガーデンを公開するようになったそうです。ゲートやベンチや垣根そして東屋にいたるまで全てお手製とのこと。今年は花の咲くのが若干遅くあと一週間でシャクヤクが満開になるとのことでした。日本でも見かける花が多かったのですが、気候に合っているのかこちらでは一段と育ちがよく鮮やかな色合いをしていました。
エンケンさんのお宅は日本の雑誌でも紹介されたことがあったそうでその時の数冊の本が置いてありました。

緑陰の華やぐベンチ独り占め

歴史村オーウェルコーナーを訪ねて (シャーロットタウン)

2016-10-09 08:00:04 | 日記

ワンルームスクール教室の風景

当時は何でも揃えていたクラーク家の店

ストーブの上に重たいやかん、なべ、重たいアイロン等々料理用薪ストーブは合理的

ダイニングルーム

1856年アイルランドから移住してきたクラーク兄弟がここを開いた。農場は1880年代から

教会内部  ここは20世紀のはじめまで活気ある村でした

オーウェルコーナー歴史村は島の歴史遺産として19世紀当時の建物などを移築し復元して保存しているところです。赤毛のアンが出版されたのは1908年ですからちょうどその頃です。日本では明治41年頃のことになります。
ご一緒に「赤毛のアン」物語をもう一度ここで思い出してみませんか。アンは生まれて3ヶ月で両親(高校の教師)に死に別れ身寄りもなくお手伝いに来ていたトーマスおばさんに引き取られました。8歳の時にトーマスおばさんのご主人が亡くなり次はハモンドのおかみさんの家の子守として引き取られました。ここでも2年と数か月でご主人が亡くなり今度は4ヶ月間孤児院に預けられていました。赤毛のアンの物語は孤児院からアボンリー村のカスバート家に11歳で引き取られる所から始まります。今まで学校にも行かせてもらえず、家庭の愛にも恵まれなかったアンが豊かな愛情をえて悲喜こもごも色々な問題を起こしました。けれど想像豊かで頭も良かったので村の学校から15歳の時にシャーロットタウンにあるクイーン学院に進学しました。
2年間の単位を1年で習得し16才で教員免除を取りました。一番で卒業した彼女は翌年の大学への奨学金を取得してマシュウと、マリラの自慢の娘に成長しました。喜びもつかの間休暇で村に帰っていた時マシュウが急死してしまいました。目が悪くなり最近では裁縫も出来なくなったマリラを一人にしておけず大学を諦めてアボンリー村に帰り2年間教師をすることを決心しました。「アンの青春」に新任教師の話は出てきます。その後マリラと仲良しのお隣のレイチェル・リンド夫人(ご主人が亡くなり)が同居することとなりアンは安心して村を離れることが出来るようになってキングスポートのレッドモンド大学(ハリファックスのダルハウジー大学)に入りました。ここでのお話は「アンの愛情」に出てきます。
22才で卒業後した後は「柳風荘」に下宿して3年間サマーサイドの高等学校の校長を務めました。ここでのお話は(アンの幸福)に出てきます。
その後かねてから婚約していた幼なじみのギルバート・ブライス(医師)とアボンリーに帰り25才で結婚しフレンチリバーからはほど近いフォアウインズに住んで6人の子供を育て上げます(アンの夢の家)。ギルバートはアンが初めてアボンリーの学校に行った時に彼女の赤毛をからかって にんじん、にんじんと言ってアンを怒らせ石盤で頭をたたかれた男の子です。それで数年の間ふたりは仲直りが出来なかくていつも勉学では競争心を燃やす対抗相手になっていました。腹心の友ダイアナも幼なじみのフレッド・ライトと結婚しアボンリーに住んでいます。
若いときに読んだ「赤毛のアン」とは違いこの年になってもう一度読む「赤毛のアン」には生きる指針のような言葉が散りばめられていることに気がつきました。

涼風の空には憂い無きごとく

輝く湖水 馬車に乗る

2016-10-06 08:00:01 | 日記










土地が平たんなこの辺りには青い水をたたえた無数の沼や湖があり、木々の緑、鉄を含んだ赤土の畑や道とのコントラストが素敵でした。モンゴメリーはキャンベル家の伯母さんの屋敷の窓から見下ろす池を「輝く湖水」と名付けました。家の背後には白樺林が迫り新緑の初夏、葉がレモンイエローに変わる秋、幹が銀色に輝く冬、モンゴメリーはこの林を愛して著書の中で「銀の森屋敷」と呼んでいました。モンゴメリーの祖母が亡くなった後キャベンディッシュを離れて結婚するまでここでしばらく暮らしました。その時の楽しい思い出がヒントになって赤毛のアンシリーズの物語の中で登場するようです。私達ははここで馬車に乗り、ランチを頂き、アンちゃん(キャンベル家の子孫)からアイスクリームやイチゴ水を振舞ってもらいました。

夏帽子思いは遠く赤き道

ケンジントン駅舎からグリンゲイブルズ博物館へ

2016-10-03 07:32:09 | 日記

ケンジントン駅舎 (物語ではブライト・リバー駅)

グリーン・ゲイブルズ博物館

キャンベル家の人(モンゴメリーのいとこの子)とガイドさん

結婚式をあげたお部屋

モンゴメリー42歳の時

兄のマシュー・カスバートは馬車で孤児院から貰い受ける子を迎えるためにブライトリバー駅にやって来ました。ところが駅に一人待っていたのはやせっぽちの女の子です。働き手になる男の子を頼んでおいたのにどこかで行き違いがあったようです。マシュウは困りましたがこのままこの子を一人残して帰るわけにもいかず仕方なく馬車に乗せて戻りました。彼女は道々目にするものすべてに感動して想像力豊かにしゃべり続けます。白い花が咲いている大木のリンゴの並木道を通った時には興奮して早速「歓びの白い道」と名付けました。道中黙っておしゃべりを聞いていたマシュウは純真な女の子に愛しささえ覚え、家に迎えてあげたいなと思い始めていました。
作者モンゴメリーもこの駅を利用して伯母さんの家を訪ねましたが今は廃線になっています。写真のケンジントン駅舎はショップやレストランに変わって観光用になっていました。

次に行ったグリンゲーブルズ博物館はモンゴメリーの母親の姉の嫁ぎ先で彼女が大好きな場所でした。幼い頃から何度となくこの家を訪れ、いとこが4人もいたので本当の家庭の味を知らないモンゴメリーはおおぜいの家族で暮らす喜びを味わったのでした。1911年7月5日、祖母をみとった後、彼女はこの家でユーアン・マクドナルド牧師と結婚式を挙げた特別の場所でもあります。博物館になった今でもここを守るのは当時と同じキャンベル家の人々で広大な敷地の中にありました。

今昔栄華偲ばる夏木立