★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。
◇公務員のお手盛り支給
〇奈良市(平成17年6月)
「皆勤精励手当」は月額1万円。有給休暇や病気などで1日休んでも満額、休みが2日なら8000円、3日で5000円、4日でも3000円支給。
「出勤奨励手当」は、出勤するだけで日額500円。さらに「休日出勤特別手当」が5000円。つまり休日に仕事をすれば計5500円が上乗せされる。
〇大阪市(平成16年11月)
カラ残業発覚。続いて条例外のヤミ年金・退職金の掛け金負担や「制服」と称したスーツ支給など続々と判明。
〇岡山市(平成17年2月)
岡山市職員互助会が、45歳以上の独身者に4万円の特別給付金を支給、うち半額の公費負担が判明。昭和63年度からで、結婚時7万円、出産時3万円の祝い金と「公平性を保つため」とか。
〇全国274市町村(平成17年4月)
全国市町村の約1割に当たる31都道府県の274市町村が、交通機関を使わず徒歩で通勤する職員にも通勤手当を支給していることが総務省調査で判明。最高額は愛知県碧南市の月額5750円。
◇警察の裏金作り・不正支出
宮城県警、福岡県警、北海道警など続々と表沙汰になっていますが、北海道警で領収書偽造により書類送検1人というお寒いありさまです。
◇詐欺? 背任横領? 誰もつかまらないの?
素朴に考えると、手ざわり生活実感的に考えると、上のお手盛り手当とか裏金作りは、詐欺とか背任横領になると思うのですが、誰もつかまりませんね。お手盛り手当をもらった方はそれが違法だとは知らなかったでしょうが、支給を決めた方は知らなくても罪があるでしょう。まして裏金作りは「犯罪」だと思いますがねぇ。
◇警察が警察をつかまえる、…か?
悪いことをすれば警察につかまるというのが、手ざわり生活実感的認識なんです。でも、悪いことをすれば警察が警察をつかまえる、…か? 警察も検察庁も公務員仲間です。さらに警察官階級の中で、下にいけばいくほど裏金作る人、上にいけばいくほど裏金使う人。そして裏金&お手盛りについて、彼らは同じようにアブナイ身の上です。守りあうでしょうね。ここは私、泣き寝入りとしますか。きょうは今夏一番(まだ夏前ですが)の暑さということですし、土曜日でもありますから、今から少し昼寝をきめこみます。
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◇品川駅ホームの出会い
大学4年秋、就職の面接で京都から新幹線で東京に行きました。東京から在来線に乗って品川駅に行き、乗り換えのためホームに立っていました。そのとき京都の知人が向こうからやってきました。なんと、こんな偶然てあるんやなぁ。そんな立ち話をしてすぐに別れました。
◇品川駅出会いの原因と経過
年を経た後になって、「偶然」と「必然」を考えているとき、品川駅の記憶がよみがえりました。あんな珍しい偶然もあるもんや。でも、知人と私と、それぞれに東京の目的地に向かって京都を出発し、どの電車に乗り、どこで乗り換えをし、昼食を食べたか抜いたかなど、ルートと時間を克明に記録していたなら、なぜホームで出会ったかを説明できるはずと思いつきました。これが「手ざわり生活実感的」思考法です。簡単すぎる、でしょう?
◇「偶然」から「必然」に転化
そこで、「偶然」は「必然」に転化しました。「必然」がすべてで、「偶然」は「必然」の一形態なのです。品川駅ホームの出会いは、原因と経過による必然的結果であることは、誰でも想像できます。原因と結果の経路が全くわからなかったり、わかろうとする必要がなかったり、説明をするのが面倒であったりするとき、「偶然やね」といいます。
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2018/08/27
<昭和天皇> 「戦争責任をいわれる」と苦にしていた 臣民を不幸・窮状に追いこんでしまった自責懺悔の念は見当たらず
2017/05/15
<資料文書掲載> 昭和天皇1947年9月 マッカーサー元帥に提案、「沖縄・琉球諸島」を米国の軍事占領とし 25年~50年以上の米国租借地に
2015/01/26
沖縄米軍基地――1968年佐藤首相沖縄訪問演説と1947年昭和天皇沖縄メッセージ
◇昭和天皇は自決せず退位せず
きのう書いた沖縄戦、それに続く広島・長崎原爆投下、無条件降伏は1945年(昭和20年)のことです。対米戦争はハワイ真珠湾爆撃に始まり、広島・長崎原爆投下で終わりました。戦争の最高指導者は昭和天皇でありました。敗戦で自決した人たちがいます。戦争犯罪人となった人たちがいます。しかし昭和天皇は、自決せず、戦争犯罪人にもならず、退位もしませんでした。
◇米への謝意繰り返す
2005.06.01.朝日新聞記事「昭和天皇の発言 米公文書で判明」は大変重要な事実ですから、ここに転載して覚え書きとします。
見出しは大きいものから順番に「米への謝意繰り返す」「昭和天皇の発言 米公文書で判明」「援助継続を希望」「ソ連の軍事力懸念」となっています。以下、朝日新聞の記事です。下の小見出しは私、川本がつけたものです。
◇昭和天皇の発言を記録した公文書
(1) 1953.04.20. ロバート・マーフィー駐日米国大使に
「米軍の日本駐留が引き続き必要だと確信している」
(2) 1956.02.17. 赴任前の谷正行駐米大使に
「米国の日本に対する援助に感謝している、と米側要人に訴え
てほしい」
(3) 1958.10.06. ニール・マケルロイ米国防長官に
「強大なソ連の軍事力から見て、北海道の脆弱さに懸念を持
つ」
(4) 1962.10.30. ジェイコブ・スマート在日米軍司令官に
「米国の力と、その力の行使に個人的に称賛と尊敬の念を持
つ」
◇1956年2月17日発言
米公文書:谷氏がジョン・アリソン駐日米大使に語った内容を記した東京発米国務長官宛電報
天皇は、米国の日本に対する軍民両面の援助に、繰り返し感謝の意を表明している。鳩山一郎内閣の「自主外交」路線で日米関係が揺らぎを見せていた56年2月17日には、駐米大使として赴任直前の谷正之氏に次のように語った。
「米国の軍事的・経済的援助が、戦後日本の生存に重要な役割を果たしてきたことに深く感謝し、この援助の継続を希望する。日米関係が緊密であることを望み、それが両国にとって持つ意義を十分認識している」そしてこのことを米側要人に伝えるよう依頼した。
◇1958年10月6日発言
米公文書:同席のマッカーサー駐日米大使発国務省宛電報
来日したニール・マケルロイ米国防長官にこう述べた。「強大なソ連軍事力から見ると、北海道の脆弱さに懸念を持っている」
ソ連は57年8月に大陸間弾道弾(ICBM)の開発に成功し、10月には初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、西側に科学技術の優位を示していた時代だった。一方で、それに先立つ6月の岸・アイゼンハワー会談では、在日米軍地上部隊の大幅削減が発表されていた。
天皇は、同長官に日米協力は極めて重要だとし、米国の軍民両分野の援助に深く感謝した。また、長官が日本の発展に驚いたと述べると、天皇は笑みを浮かべ、「それは米国の援助と理解によるものだ」と応じた。
こうした天皇の発言を、米国側も重視していたことがうかがえます。
◇1962年10月30日発言
米公文書:スマート在日米軍司令官発フェルト太平洋軍司令官宛電報
:ライシャワー駐日大使発国務省宛電報
62年10月30日の園遊会で、天皇がジェイコブ・スマート在日米軍司令官に、米国の平和に対する力の行使に敬意を表した際、同司令官は、出席者の多い園遊会で天皇が米高官を選んだことは重要で、ソ連代表が聞こえる距離にいたのも興味深い、とした。
また、エドウィン・ライシャワー駐日米大使も、「重要なのは、天皇や側近が在日米軍への評価と感謝を表明するのにこの時期がふさわしいと判断したことだ」と国務省に報告した。同様の評価は、今回の文書とは別の米国務省文書でも、確認されている。
◇ダレス米国長官に伝える
56年2月17日の発言を受けた谷大使は米国に赴任すると、天皇のメッセージをジョン・F・ダレス国務長官に告げた。同長官は「日本の安定と統合に日本の天皇が果たしている、目立たないが重要な役割」に触れ、「将来の日本と良好な二国間関係に天皇の影響力は重要だ」と述べたという。
◇政治にかかわる天皇発言
天皇が占領期、連合国軍総司令部のマッカーサー、リッジウェー両最高司令官に政治にかかわる発言をしていたことは、通訳の松井明氏の手記などで明らかになっているが、占領終結後も同様の発言を続けていたことになる。
◇天皇のソ連への警戒感
今回の文書について吉次公介・沖縄国際大助教授は「占領終結後も天皇が『内奏』などを通じて日本政府関係者にその意向を示していたことは知られている。今回発見の史料では、天皇が対米協調を強く望み、その考えを米政府にも伝えていたことが確認された。共産主義、とりわけソ連への警戒感がその背景にあったのではないか」と読む。
◇反共を共通項とした天皇制と米国の結合関係を浮き彫り
米国で研究を続ける中北浩爾・立教大教授は「こうした天皇の言動を米文書からしか知ることができないのは残念だが、様々な情報を記録して蓄積する米国外交の高い能力に改めて感心する。天皇の発言は憲法上の問題をはらんでいるが、反共を共通項とした天皇制と米国の結合関係を浮き彫りにしている。戦後の保守的ナショナリズムが親米を基調とした理由の一端をうかがわせる意味でも興味深い」と話している。