川本ちょっとメモ

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<資料掲載> 「あたらしい憲法のはなし」 1947年文部省発行 中学校教科書

2016-07-03 16:01:12 | Weblog

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1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法が公布されました。同年8月、中学生用教科書として『あたらしい憲法のはなし』が文部省から発行されました。

この教科書の原文は、「青空文庫」で読むことができます。フリーソフトのビューワー「Aris Viewer」で読むと、目に優しく読みやすいです。興味がおありの方はそちらでどうぞ。良い挿絵も載っています。

ここに転載するに当たり、多少、現代表記に改めたところがあります。原文はタテ書きです。そのままヨコ書きにすると、全体に空白が少なくて読みづらい。そのため、段落を多くする変更を加えました。

このブログでは1記事当たりの文字量が2万字未満になっていることを契機にして、「一 憲法」から「七 基本的人権」までを青空文庫から転載することにしました。


下記「五 天皇陛下」の叙述中、以下の文章は事実に反する

「こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、国民の考えとはなれて、とうとう戦争になったからです。」

この叙述は、昭和天皇を守るためのもので、事実ではありません。私はこの一文を見て、社会科教科書が政権の政治的意思を反映するということを思い知らされました。

昭和天皇を守るための降伏条件を検討している間に、東京大空襲始め全国で爆撃被害がありました。広島・長崎の原爆被害がありました。アジア全域の日本軍将兵を加えて降伏条件検討の間に少なくとも数十万の人々が殺されました。しかもこれとは比較にならない多数の人々が、アジア全域で日本軍によって殺されました。

[クリック] 沖縄米軍基地―1968年佐藤首相沖縄訪問演説と1947年昭和天皇沖縄メッセージ

敗戦後の占領下。昭和天皇が占領軍に政治的意思を伝えていたことが今では明らかになっています。それは明らかに、新しい日本国憲法で禁じられている天皇の行為です。

昭和天皇は1947年(昭和22年)9月、使者を通じて日本占領連合軍のマッカーサー総司令官に、沖縄の軍事占領を継続してくれるよう希望を伝えました。悲惨な沖縄戦が終わって2年。沖縄県民への思いやりは微塵も感じられません。

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<資料掲載>
「あたらしい憲法のはなし」
文部省1947年発行 中学校教科書


    目次
        一 憲法
        二 民主主義とは
        三 国際平和主義
        四 主権在民主義
        五 天皇陛下
        六 戦争の放棄
        七 基本的人権
        八 国会
        九 政党
        十 内閣
       十一 司法
       十二 財政
       十三 地方自治
       十四 改正
       十五 最高法規



一 憲法

 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかかわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。(注)昭和22年5月3日=1947年5月3日

 国の仕事は、一日も休むことはできません。また、国を治めてゆく仕事のやりかたは、はっきりときめておかなければなりません。そのためには、いろいろ規則がいるのです。この規則はたくさんありますが、そのうちで、いちばん大事な規則が憲法です。

 国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにやってゆくかということをきめた、いちばん根本になっている規則が憲法です。

 もしみなさんの家の柱がなくなったとしたらどうでしょう。家はたちまちたおれてしまうでしょう。いま国を家にたとえると、ちょうど柱にあたるものが憲法です。もし憲法がなければ、國の中におおぜいの人がいても、どうして国を治めてゆくかということがわかりません。

 それでどこの国でも、憲法をいちばん大事な規則として、これをたいせつに守ってゆくのです。国でいちばん大事な規則は、いいかえれば、いちばん高い位にある規則ですから、これを国の「最高法規」というのです。

 ところがこの憲法には、いまおはなししたように、国の仕事のやりかたのほかに、もう一つ大事なことが書いてあるのです。それは国民の権利のことです。

 この権利のことは、あとでくわしくおはなししますから、ここではただ、なぜそれが、国の仕事のやりかたをきめた規則と同じように大事であるか、ということだけをおはなししておきましょう。

 みなさんは日本国民のうちのひとりです。国民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、国民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。国の力のもとは、ひとりひとりの国民にあります。

 そこで国は、この国民のひとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。そのために、国民のひとりひとりに、いろいろ大事な権利があることを、憲法できめているのです。この国民の大事な権利のことを「基本的人権」というのです。これも憲法の中に書いてあるのです。

 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。

 憲法とは、国でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。

 その一つは、国の治めかた、国の仕事のやりかたをきめた規則です。
 もう一つは、国民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。

 このほかにまた憲法は、その必要により、いろいろのことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています。

 これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民ぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。この国民ぜんたいの意見を知るために、昭和二十一年四月十日に総選挙が行われ、あたらしい国民の代表がえらばれて、その人々がこの憲法をつくったのです。それで、あたらしい憲法は、国民ぜんたいでつくったということになるのです。

 みなさんも日本国民のひとりです。そうすれば、この憲法は、みなさんのつくったものです。みなさんは、じぶんでつくったものを、大事になさるでしょう。こんどの憲法は、みなさんをふくめた国民ぜんたいのつくったものであり、国でいちばん大事な規則であるとするならば、みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません。そのためには、まずこの憲法に、どういうことが書いてあるかを、はっきりと知らなければなりません。

 みなさんが、何かゲームのために規則のようなものをきめるときに、みんないっしょに書いてしまっては、わかりにくいでしょう。国の規則もそれと同じで、一つ一つ事柄にしたがって分けて書き、それに番号をつけて、第何条、第何条というように順々に記します。こんどの憲法は、第一条から第百三条まであります。そうしてそのほかに、前書が、いちばんはじめにつけてあります。これを「前文」といいます。

 この(※憲法)前文には、だれがこの憲法をつくったかということや、どんな考えでこの憲法の規則ができているかということなどが記されています。

 この(※憲法)前文というものは、二つのはたらきをするのです。

 その一つは、みなさんが憲法をよんで、その意味を知ろうとするときに、手びきになることです。つまりこんどの憲法は、この前文に記されたような考えからできたものですから、前文にある考えと、ちがったふうに考えてはならないということです。

 もう一つのはたらきは、これからさき、この憲法をかえるときに、この前文に記された考え方と、ちがうようなかえかたをしてはならないということです。

 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」です。


 「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。


二 民主主義とは

 こんどの憲法の根本となっている考えの第一は民主主義です。

 ところで民主主義とは、いったいどういうことでしょう。みなさんはこのことばを、ほうぼうできいたでしょう。これがあたらしい憲法の根本になっているものとすれば、みなさんは、はっきりとこれを知っておかなければなりません。しかも正しく知っておかなければなりません。

 みなさんがおおぜいあつまって、いっしょに何かするときのことを考えてごらんなさい。

 だれの意見で物事をきめますか。もしもみんなの意見が同じなら、もんだいはありません。もし意見が分かれたときは、どうしますか。ひとりの意見できめますか。二人の意見できめますか。それともおおぜいの意見できめますか。どれがよいでしょう。

 ひとりの意見が、正しくすぐれていて、おおぜいの意見がまちがっておとっていることもあります。しかし、そのはんたいのことがもっと多いでしょう。そこで、まずみんなが十分にじぶんの考えをはなしあったあとで、おおぜいの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがないということになります。そうして、あとの人は、このおおぜいの人の意見に、すなおにしたがってゆくのがよいのです。このなるべくおおぜいの人の意見で、物事をきめてゆくことが、民主主義のやりかたです。

 国を治めてゆくのもこれと同じです。わずかの人の意見で国を治めてゆくのは、よくないのです。国民ぜんたいの意見で、国を治めてゆくのがいちばんよいのです。つまり国民ぜんたいが、国を治めてゆく――これが民主主義の治めかたです。

 しかし国は、みなさんの学級とはちがいます。

 国民ぜんたいが、ひとところにあつまって、そうだんすることはできません。ひとりひとりの意見をきいてまわることもできません。そこで、みんなの代わりになって、国の仕事のやりかたをきめるものがなければなりません。それが国会です。

 国民が、国会の議員を選挙するのは、じぶんの代わりになって、国を治めてゆく者をえらぶのです。だから国会では、なんでも、国民の代わりである議員のおゝぜいの意見で物事をきめます。そうしてほかの議員は、これにしたがいます。これが国民ぜんたいの意見で物事をきめたことになるのです。これが民主主義です。

 ですから、民主主義とは、国民ぜんたいで、国を治めてゆくことです。みんなの意見で物事をきめてゆくのが、いちばんまちがいがすくないのです。だから民主主義で国を治めてゆけば、みなさんは幸福になり、また国もさかえてゆくでしょう。

 国は大きいので、このように国の仕事を国会の議員にまかせてきめてゆきますから、国会は国民の代わりになるものです。この「代わりになる」ということを「代表」といいます。

 まえに申しましたように、民主主義は、国民ぜんたいで国を治めてゆくことですが、国会が国民ぜんたいを代表して、国のことをきめてゆきますから、これを「代表制民主主義」のやりかたといいます。

 しかしいちばん大事なことは、国会にまかせておかないで、国民が、じぶんで意見をきめることがあります。こんどの憲法でも、たとえばこの憲法をかえるときは、国会だけできめないで、国民ひとりひとりが、賛成か反対かを投票してきめることになっています。このときは、国民が直接に国のことをきめますから、これを「直接民主主義」のやりかたといいます。

あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで国を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。

 みなさんは日本国民のひとりです。しかしまだこどもです。

 国のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。国会の議員をえらぶのも、国のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になってはじめてできることです。

 みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな気がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや、憲法のことなどを、よく知っておいてください。

 もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。


三 国際平和主義

 国の中で、国民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、国民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おおぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく国の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。

 これは、一つの国について申しましたが、国と国との間のことも同じことです。

 じぶんの国のことばかりを考え、じぶんの国のためばかりを考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしてゆくことはできません。世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。


 だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。

 こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。

 この国際平和主義をわすれて、じぶんの国のことばかり考えていたので、とうとう戦争をはじめてしまったのです。

 そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この国際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戦争の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。


四 主権在民主義

 みなさんがあつまって、だれがいちばんえらいかをきめてごらんなさい。いったい「いちばんえらい」というのは、どういうことでしょう。勉強のよくできることでしょうか。それとも力の強いことでしょうか。いろいろきめかたがあってむずかしいことです。

 国では、だれが「いちばんえらい」といえるでしょう。もし国の仕事が、ひとりの考えできまるならば、そのひとりが、いちばんえらいといわなければなりません。

 もしおおぜいの考えできまるなら、そのおゝぜいが、みないちばんえらいことになります。もし国民ぜんたいの考えできまるならば、国民ぜんたいが、いちばんえらいのです。

 こんどの憲法は、民主主義の憲法ですから、国民ぜんたいの考えで国を治めてゆきます。そうすると、国民ぜんたいがいちばん、えらいといわなければなりません。

 国を治めてゆく力のことを「主権」といいますが、この力が国民ぜんたいにあれば、これを「主権は国民にある」といいます。

 こんどの憲法は、いま申しましたように、民主主義を根本の考えとしていますから、主権は、とうぜん日本国民にあるわけです。そこで前文の中にも、また憲法の第一条にも、「主権が国民に存する」とはっきりかいてあるのです。主権が国民にあることを、「主権在民」といいます。

 あたらしい憲法は、主権在民という考えでできていますから、主権在民主義の憲法であるということになるのです。

 みなさんは、日本国民のひとりです。主権をもっている日本国民のひとりです。

 しかし、主権は日本国民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。

 みなさんは、主権をもっている日本国民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。


五 天皇陛下

 こんどの戦争で、天皇陛下は、たいへんごくろうをなさいました。なぜならば、古い憲法では、天皇をお助けして国の仕事をした人々は、国民ぜんたいがえらんだものでなかったので、国民の考えとはなれて、とうどう戦争になったからです。そこで、これからさき国を治めてゆくについて、二度とこのようなことのないように、あたらしい憲法をこしらえるとき、たいへん苦心をいたしました。ですから、天皇は、憲法で定めたお仕事だけをされ、政治には関係されないことになりました。

 憲法は、天皇陛下を「象徴」としてゆくことにきめました。みなさんは、この象徴ということを、はっきり知らなければなりません。日の丸の国旗を見れば、日本の国をおもいだすでしょう。国旗が国の代わりになって、国をあらわすからです。みなさんの学校の記章を見れば、どこの学校の生徒かがわかるでしょう。記章が学校の代わりになって、学校をあらわすからです。いまこゝに何か眼に見えるものがあって、ほかの眼に見えないものの代わりになって、それをあらわすときに、これを「象徴」ということばでいいあらわすのです。こんどの憲法の第一条は、天皇陛下を「日本国の象徴」としているのです。つまり天皇陛下は、日本の国をあらわされるお方ということであります。

 また憲法第一条は、天皇陛下を「日本国民統合の象徴」であるとも書いてあるのです。「統合」というのは「一つにまとまっている」ということです。つまり天皇陛下は、一つにまとまった日本国民の象徴でいらっしゃいます。これは、私たち日本国民ぜんたいの中心としておいでになるお方ということなのです。それで天皇陛下は、日本国民ぜんたいをあらわされるのです。

 このような地位に天皇陛下をお置き申したのは、日本国民ぜんたいの考えにあるのです。これからさき、国を治めてゆく仕事は、みな国民がじぶんでやってゆかなければなりません。

 天皇陛下は、けっして神様ではありません。国民と同じような人間でいらっしゃいます。ラジオのほうそうもなさいました。小さな町のすみにもおいでになりました。ですから私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません。これで憲法が天皇陛下を象徴とした意味がおわかりでしょう。


六 戦争の放棄

 みなさんの中には、こんどの戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。

 また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。

 いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。

 こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。

 戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。

 だから、こんどの戰爭をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。
このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。

 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。

 「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

 もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。

 また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。

 そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。

 みなさん、あのおそろしい戦争が、二度とおこらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。


七 基本的人権

 くうしゅうでやけたところへ行ってごらんなさい。やけただれた土から、もう草が青々とはえています。みんな生き生きとしげっています。草でさえも、力強く生きてゆくのです。

 ましてやみなさんは人間です。生きてゆく力があるはずです。天からさずかったしぜんの力があるのです。この力によって、人間が世の中に生きてゆくことを、だれもさまたげてはなりません。

 しかし人間は、草木とちがって、ただ生きてゆくというだけではなく、人間らしい生活をしてゆかなければなりません。

 この人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは「自由」ということと、「平等」ということです。


 人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。

 これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、国の力でこの自由を取りあげ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。

 そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです。

 またわれわれは、人間である以上はみな同じです。

 人間の上に、もっとえらい人間があるはずはなく、人間の下に、もっといやしい人間があるわけはありません。男が女よりもすぐれ、女が男よりもおとっているということもありません。

 みな同じ人間であるならば、この世に生きてゆくのに、差別を受ける理由はないのです。差別のないことを「平等」といいます。

 そこで憲法は、自由といっしょに、この平等ということをきめているのです。

 国の規則の上で、何かはっきりとできることがみとめられていることを、「権利」といいます。

 自由と平等とがはっきりみとめられ、これを侵されないとするならば、この自由と平等とは、みなさんの権利です。これを「自由権」というのです。しかもこれは人間のいちばん大事な権利です。

 このいちばん大事な人間の権利のことを「基本的人権」といいます。あたらしい憲法は、この基本的人権を、侵すことのできない永久に与えられた権利として記しているのです。これを基本的人権を「保障する」というのです。


 しかし基本的人権は、ここにいった自由権だけではありません。まだほかに二つあります。

 自由権だけで、人間の国の中での生活がすむものではありません。たとえばみなさんは、勉強をしてよい国民にならなければなりません。国はみなさんに勉強をさせるようにしなければなりません。

 そこでみなさんは、教育を受ける権利を憲法で与えられているのです。この場合はみなさんのほうから、国にたいして、教育をしてもらうことを請求できるのです。

 これも大事な基本的人権ですが、これを「請求権」というのです。争いごとのおこったとき、国の裁判所で、公平にさばいてもらうのも、裁判を請求する権利といって、基本的人権ですが、これも請求権であります。

 それからまた、国民が、国を治めることにいろいろいろ関係できるのも、大事な基本的人権ですが、これを「参政権」といいます。

 国会の議員や知事や市町村長などを選挙したり、じぶんがそういうものになったり、国や地方の大事なことについて投票したりすることは、みな参政権です

 みなさん、いままで申しました基本的人権は大事なことですから、もういちど復習いたしましょう。

 みなさんは、憲法で基本的人権というりっぱな強い権利を与えられました。この権利は、三つに分かれます。第一は自由権です。第二は請求権です。第三は参政権です。

 こんなりっぱな権利を与えられましたからには、みなさんは、じぶんでしっかりとこれを守って、失わないようにしてゆかなければなりません。しかしまた、むやみにこれをふりまわして、ほかの人に迷惑をかけてはいけません。ほかの人も、みなさんと同じ権利をもっていることを、わすれてはなりません。国ぜんたいの幸福になるよう、この大事な基本的人権を守ってゆく責任があると、憲法に書いてあります。

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