川本ちょっとメモ

★所感は、「手ざわり生活実感的」に目線を低く心がけています。
★自分用メモは、新聞・Webなどのノート書きです。

昭和天皇の政治的発言(6月1日朝日新聞記事転載)

2005-06-25 06:44:05 | Weblog
2018/08/27
<昭和天皇> 「戦争責任をいわれる」と苦にしていた 臣民を不幸・窮状に追いこんでしまった自責懺悔の念は見当たらず
2017/05/15
<資料文書掲載> 昭和天皇1947年9月 マッカーサー元帥に提案、「沖縄・琉球諸島」を米国の軍事占領とし 25年~50年以上の米国租借地に
2015/01/26
沖縄米軍基地――1968年佐藤首相沖縄訪問演説と1947年昭和天皇沖縄メッセージ




◇昭和天皇は自決せず退位せず
きのう書いた沖縄戦、それに続く広島・長崎原爆投下、無条件降伏は1945年(昭和20年)のことです。対米戦争はハワイ真珠湾爆撃に始まり、広島・長崎原爆投下で終わりました。戦争の最高指導者は昭和天皇でありました。敗戦で自決した人たちがいます。戦争犯罪人となった人たちがいます。しかし昭和天皇は、自決せず、戦争犯罪人にもならず、退位もしませんでした。

◇米への謝意繰り返す
2005.06.01.朝日新聞記事「昭和天皇の発言 米公文書で判明」は大変重要な事実ですから、ここに転載して覚え書きとします。

見出しは大きいものから順番に「米への謝意繰り返す」「昭和天皇の発言 米公文書で判明」「援助継続を希望」「ソ連の軍事力懸念」となっています。以下、朝日新聞の記事です。下の小見出しは私、川本がつけたものです。

◇昭和天皇の発言を記録した公文書
(1) 1953.04.20. ロバート・マーフィー駐日米国大使に
       「米軍の日本駐留が引き続き必要だと確信している」
(2) 1956.02.17. 赴任前の谷正行駐米大使に
       「米国の日本に対する援助に感謝している、と米側要人に訴え
        てほしい」
(3) 1958.10.06. ニール・マケルロイ米国防長官に
       「強大なソ連の軍事力から見て、北海道の脆弱さに懸念を持
        つ」
(4) 1962.10.30. ジェイコブ・スマート在日米軍司令官に
       「米国の力と、その力の行使に個人的に称賛と尊敬の念を持
        つ」

◇1956年2月17日発言
 米公文書:谷氏がジョン・アリソン駐日米大使に語った内容を記した東京発米国務長官宛電報

天皇は、米国の日本に対する軍民両面の援助に、繰り返し感謝の意を表明している。鳩山一郎内閣の「自主外交」路線で日米関係が揺らぎを見せていた56年2月17日には、駐米大使として赴任直前の谷正之氏に次のように語った。

「米国の軍事的・経済的援助が、戦後日本の生存に重要な役割を果たしてきたことに深く感謝し、この援助の継続を希望する。日米関係が緊密であることを望み、それが両国にとって持つ意義を十分認識している」そしてこのことを米側要人に伝えるよう依頼した。

◇1958年10月6日発言
 米公文書:同席のマッカーサー駐日米大使発国務省宛電報

来日したニール・マケルロイ米国防長官にこう述べた。「強大なソ連軍事力から見ると、北海道の脆弱さに懸念を持っている」

ソ連は57年8月に大陸間弾道弾(ICBM)の開発に成功し、10月には初の人工衛星スプートニク1号を打ち上げ、西側に科学技術の優位を示していた時代だった。一方で、それに先立つ6月の岸・アイゼンハワー会談では、在日米軍地上部隊の大幅削減が発表されていた。

天皇は、同長官に日米協力は極めて重要だとし、米国の軍民両分野の援助に深く感謝した。また、長官が日本の発展に驚いたと述べると、天皇は笑みを浮かべ、「それは米国の援助と理解によるものだ」と応じた。

こうした天皇の発言を、米国側も重視していたことがうかがえます。

◇1962年10月30日発言
 米公文書:スマート在日米軍司令官発フェルト太平洋軍司令官宛電報
     :ライシャワー駐日大使発国務省宛電報

62年10月30日の園遊会で、天皇がジェイコブ・スマート在日米軍司令官に、米国の平和に対する力の行使に敬意を表した際、同司令官は、出席者の多い園遊会で天皇が米高官を選んだことは重要で、ソ連代表が聞こえる距離にいたのも興味深い、とした。

また、エドウィン・ライシャワー駐日米大使も、「重要なのは、天皇や側近が在日米軍への評価と感謝を表明するのにこの時期がふさわしいと判断したことだ」と国務省に報告した。同様の評価は、今回の文書とは別の米国務省文書でも、確認されている。

◇ダレス米国長官に伝える
56年2月17日の発言を受けた谷大使は米国に赴任すると、天皇のメッセージをジョン・F・ダレス国務長官に告げた。同長官は「日本の安定と統合に日本の天皇が果たしている、目立たないが重要な役割」に触れ、「将来の日本と良好な二国間関係に天皇の影響力は重要だ」と述べたという。

◇政治にかかわる天皇発言
天皇が占領期、連合国軍総司令部のマッカーサー、リッジウェー両最高司令官に政治にかかわる発言をしていたことは、通訳の松井明氏の手記などで明らかになっているが、占領終結後も同様の発言を続けていたことになる。

◇天皇のソ連への警戒感
今回の文書について吉次公介・沖縄国際大助教授は「占領終結後も天皇が『内奏』などを通じて日本政府関係者にその意向を示していたことは知られている。今回発見の史料では、天皇が対米協調を強く望み、その考えを米政府にも伝えていたことが確認された。共産主義、とりわけソ連への警戒感がその背景にあったのではないか」と読む。

◇反共を共通項とした天皇制と米国の結合関係を浮き彫り
米国で研究を続ける中北浩爾・立教大教授は「こうした天皇の言動を米文書からしか知ることができないのは残念だが、様々な情報を記録して蓄積する米国外交の高い能力に改めて感心する。天皇の発言は憲法上の問題をはらんでいるが、反共を共通項とした天皇制と米国の結合関係を浮き彫りにしている。戦後の保守的ナショナリズムが親米を基調とした理由の一端をうかがわせる意味でも興味深い」と話している。


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きょうは「沖縄慰霊の日」です

2005-06-23 17:07:58 | Weblog


◇沖縄戦日誌 ※出典「鉄の暴風-沖縄戦記」(沖縄タイムス社刊)

3月23日 米軍機延べ355機来襲
  24日 米軍機延べ600機来襲
  25日 米軍機延べ515機来襲
  27日 米軍、渡嘉敷島上陸
  28日 渡嘉敷島、座間味島の住民約700人、集団自決
  29日 米軍、慶良間列島を完全占領
  30日 米軍機200機の攻撃で運天港魚雷艇基地壊滅
  31日 米軍砲兵隊、那覇西方10kmの神山島に無血上陸
4月 1日 米軍、渡具知海岸に上陸開始、午前中に中飛行場、北飛行場を
      占領。 同日の米軍上陸兵員5万
   5日 米軍、石川地峡制圧、沖縄本島を二分断する
   6日 日本特攻機延べ200機、10日まで米艦攻撃
      戦艦大和、徳山から出撃
   7日 米軍機、徳之島沖で日本艦隊攻撃
      戦艦大和はじめ5隻撃沈、2隻自沈、3隻損傷で艦隊壊滅
  12日 日本軍機482機(うち特攻112機)出撃
  16日 日本軍機447機(うち特攻51機)出撃
      米軍、本部半島制圧、伊江島上陸、激戦つづく
  21日 日本軍伊江島守備隊全滅、沖縄戦終結時伊江島住民戦死者数
      約1500人
  27日 島田知事、繁多川県庁壕に未占領地市町村長・警察署長を招集
5月 3日 4日にかけて日本軍機699機(うち特攻65機)出撃
  11日 日本軍機322機(うち特攻64機)出撃
  12日 米軍、全戦線で総攻撃開始
  14日 米軍、那覇市安里に侵攻
  21日 米軍、首里包囲
  24日 日本軍機290機(うち特攻98機)出撃
  25日 島田知事、南部へ下る 沖縄新報、発刊不能
  27日 日本軍特攻機60機出撃
  28日 32軍司令官牛島陸軍中将、首里放棄、南部へ下る
  30日 米軍、首里入城
6月 3日 日本軍特攻機20機出撃
   6日 沖縄方面根拠地司令官太田実海軍少将、海軍次官宛て電報
      発信(※別掲)
   9日 島田知事、警察警備隊の解散を命令
  10日 米軍司令官、日本軍司令官に降伏を勧告
  14日 日本海軍陸戦隊、小禄一帯で全滅
      太田海軍少将、幕僚と共に自決
  18日 米軍第10軍司令官バックナー中将、糸満戦線で戦死
      島田知事・荒井警察部長、消息不明
  19日 ひめゆり学徒隊員40人、米須の壕で自決
      米陸軍第96師団イアスレイ代将戦死
  23日 第32軍司令官牛島満中将、同参謀長長勇中将、割腹自決
      米軍、久米島上陸。 この後3日間で、米軍死傷783人、
      日本兵9千人戦死4千人捕虜。
8月 6日 広島原爆
   9日 長崎原爆
  15日 日本、連合国に対して無条件降伏
  22日 抵抗をつづけた伊東孝一大尉指揮の国吉駐屯大隊、
      日本の降伏を知って武装解除
  29日 歩兵第32連隊、武装解除

◇「太田海軍少将の海軍次官宛電文」転載 ※出典「鉄の暴風-沖縄戦記」(沖縄タイムス社刊)

沖縄県民の実情に関しては県知事より報告せらるべきも県には既に通信力なく、32軍司令部又通信の余力なしと認めらるるに付、本県知事の依頼を受けたるに非ざれども現状を看過するに忍びず之に代って緊急御通知申上ぐ。

沖縄本島に敵攻略を開始以来陸海軍方面防衛に専念し県民に関しては殆ど顧みるに暇なかりき。しかれども本職の知れる範囲に於いては県民は青壮年全部を防衛招集に捧げ、残る老幼婦女子のみが相次ぐ砲爆撃に家屋と財産の全部を焼却せられ僅かに身を以て軍の作戦に差支なき場所の小防空壕に避難尚砲爆下……風雨に曝されつつ乏しき生活に甘じありたり。而も若き婦人は率先軍に身を捧げ看護婦炊事婦はもとより砲弾運び挺身斬込隊すら申出るものあり。(中略)本戦闘の末期と沖縄島は実情形……一木一草焦土と化せん。糧食6月一杯を支ふるのみなりと謂ふ。沖縄県民斯く戦へり。県民に対して後世特別の御高配を賜らんことを。

◇糸洲第二外科壕脱出 17才 師範予科3年 第2外科勤務
薄暗い細道でしたが、途中で見た光景が、本当に凄かったですよね。まず驚いたのは、子供をおぶった女の人です。手を伸ばして死んでいましたが、背中には子供がこれも血まみれになって死んでいたんです。

道は死人でいっぱいなんですよ。兵隊もいるし…。でも住民がはるかに多い感じでした。近くに水飲み場があると聞いたので行ってみたら、そこも折り重なるようにたくさんの死体ですよ。ちょっとした水たまりはありましたが、血の水なんです。生血の臭いがするんです。飲むのはやめて、ここも危険だと逃げるように通りすぎました。

しばらく行くと、門のところで大きな男の人が万歳をするかっこうで亡くなっています。兵隊さんでした。またびっくりしてそこを過ぎたら、こんどは石垣の角にうずくまってね。艦砲を避けようと隠れていたのか坐ったまま死んでいました。そこでちょっと行くと、両足ともどこに吹っ飛んだのかわからない死体です。そのような目も当てられない状態でしたね。

◇ドラム缶のようにふくれた死体 17才 師範予科3年 第2外科勤務
衛生兵の合図で一人づつ間隔をおいて、糸洲壕を脱出しました。外に出ると3名で待ち合わせて、伝令で行ったことのある山城の本部壕をめざして夜道を走りました。昨日までの道とはまるっきり変わっていました。それに足を踏み入れる所もないくらいたくさんの死体がころがっていたんですよ。ドラム缶のように大きくふくれあがっているんです。腐ってすごい悪臭のする死体が、ずっとどこまでも続いていました。

とにかく必死に駆けてやっと山城に着きましたが、もうそこも同じように、死体だけがたくさんころがっていたんです。

◇山城本部壕が艦砲でやられた 19才 師範本科1年 本部勤務
山城本部壕に艦砲の直撃弾が落ちたのは、6月14日でした。壕入口に出ていた病院長を始め歩哨兵や衛生兵が瞬時に吹き飛ばされました。

隣の新垣さんの顔を見てまたびっくり。顔に肉片がベタッとくっついています。「貴方、顔をやられている!」といったら、彼女はあわててそれを払いのけたんです。肉片は炊事していた兵隊たちのものでした。

「病院長がやられた。兵隊も学生もやられた」という声で、西平先生の後を追い壕入口に出ました。安座間さんはもう板の上に寝かされていました。手の指も切れ、お腹もやられ、息するたびに、腸がブクッブクッと飛び出すんです。

◇フミさんの顔が無くなった 18才 師範本科1年 第1外科勤務
3人が山城の丘に着いた時には夜が明け、隠れる壕もありません。陸からは迫撃砲、海からは艦砲で、生きた心地もしません。そのときの攻撃で、比嘉さんは即死。宮城さんと私も負傷しました。

それからどのくらいたったでしょうか。耳をつんざく爆発音とともに、凄い爆風に叩きつけられました。ハッとしたとたん、私の膝を枕に眠っていたフミさんがスーッと立ち上がり、バタッと前のめりに倒れたのです。見たら、頭のてっぺんをえぐり取られ、表皮はたれさがり、顔が無くなっているのです。

私はあわてふためき「やられた、誰か来て」と大声で泣き叫びました。そしたら隣にいた衛生兵が「静かにしろ! 騒ぐと叩っ斬るぞ!」と怒鳴ったのです。

◇顔がシャモジになった 16才 一高女4年 第2外科勤務
「待っていてね。私が軍医殿を連れてくるから。」知念さんはそのまま戻ってきませんでした。私の右隣にいた看護婦は、一言もなくスッと立ち上がったわけです。そしてクルクルと回ってバタッと倒れました。見たら、破片で顔を、鼻も目も口も何もかも全部やられていました。しゃもじみたいに平たくなって…。

もう一人、太った看護婦でしたが、その人はバサッとお尻を全部裂かれて、はじめは真っ白くしていたわけです。脂がにじんでいる感じです。しばらくしてその白いところからビューッと血が噴き出し、バタッと倒れてそのまま死んでしまって…。

※体験談話は「公式ガイドブックひめゆり平和祈念資料館」からの抜き書きです。


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「朝日新聞 私の視点」から

2005-06-22 19:50:57 | Weblog

◇「錬金術師」に有利な税制-抜粋 (つながるモリタクBLOG 5月21日記事)

04年分の所得税の高額納税者の公示で、投資顧問会社の部長が1位になった。今回の特徴は、健康食品、パチンコ関連業界、サラリーマン金融といった最近の常連業種に加えて、投資ファンドの経営者や社員が急速に上位に入ってきたことだ。

今回台頭してきたのは、カネを右から左に動かすだけで、庶民の生活とまったく接点がない。何一つ付加価値を生み出さず、われわれの生活を何一つ改善しない人たちだ。そういう人たちが高い所得を得る一方で、伝統的な技術の継承者、中小商店主、タクシー運転手といった、まじめにこつこつ働いている人たちの処遇がどんどん悪くなってきている。そして、社会もそういった傾向に追随しがちだ。

そして、何よりも問題なのは、税制の仕組み自体が、額に汗して一生懸命働いている人たちが報われず、「錬金術師」だけが栄える社会への変容を後押ししていることだ。03年の税制改正で、株式投資に関する税金などを劇的に減らす一方で、発泡酒やワインなどの大衆課税を強化したのがいい例だ。

◇土地バブル-まともに働くのがアホな時代
土地バブルは平成2年がピークで、それから急降下を始めました。この時代は土地成金がたくさん出ました。私も土地を売って10億円ほど手に入れた地主さんを知っています。たまたまその方は、変わりなく質素な農業者の生活を続けているので、土地成金というイメージはありません。

そのころは土地の所有者だけでなく、土地ころがしをした人、土地の仲介屋さんも、大もうけしていました。バブルピークの2,3年間は、高級車に乗り、豪遊する不動産屋さんがたくさんいました。

◇バブル時代の銀行員とホリエモンさんと村上ファンド
「こんなん異常や、まともに働くのがアホな時代や」と、当時勤めていた会社の社長と嘆きあったものです。事実、その会社に融資を勧めにきた銀行員が「いまどき株も土地もせえへんなんて、アホも同然でっせ」と社長にいいました。それは忘れられない思い出になりました。

上の森永さんの記事を見まして、土地バブルの時代と、ホリエモンさんや村上ファンドのことが重なってうつりました。


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手ざわり生活実感的年金論

2005-06-22 04:12:19 | Weblog

◇手ざわり生活実感的
なにごとにつけても「手ざわり生活実感的」ということを心がけています。自分の経験してきたことごとを思い起こしてみたり、自分の身に引き寄せて推測してみたりして、できるだけ具体的に世の中のできごとを見分けるよう心がけています。

◇財政-無い袖は振れぬ
わが国の少子高齢化が進むので地方自治体や国の財政が悪化するといいます。全体の人口や生産年齢人口が減るので理解できます。私が定年退職者になって働かなくなったと仮定すると、国や自治体にとって、年金は持ち出し、所得税や住民税収入は減少またはゼロになります。

財政が縮小悪化するのだから、それに合わせて財政支出を節約しなければならない。これも理解できます。無い袖は振れぬ、ということになります。

◇国民年金、月7、8万円で生きていけるか!
それじゃあ、節約をどこでするのか。個人の側から見ると、ずっと前に消費税が創設されて、支出が増えました。介護保険が創設されて、保険料が増えました。日本経済の性格が変わって、平均的なところでは所得が減りました。個人の側は収支両面ですでに細りきっています。

年金支給が減らされる方向にあります。私は自営業で、老母、妻、二人の大学生の5人家族です。暮らし向きは楽ではありません。国民年金ですから、満額受け取りでも月に7万円か8万円でしょうか。働けるのは、70才くらいまでと見込んでいます。85才まで生きるとしたら、残り15年間を月に7、8万円で生きていけるでしょうか。

◇国民年金-高齢者自殺のススメ
夫婦二人で質素に暮らすとすれば、月に30万円くらいほしいところです。夫婦で月に20万もあれば、御の字だろうという声がきこえそうですが、しかし国民年金の支給ラインは「高齢者自殺のススメ」といってまちがいありません。

◇ほぼゼロ利子と税金投入で銀行を助けた
金融危機だ、国が壊れる。国は、そういって銀行にはずいぶんお金をつぎこみました。銀行が荒稼ぎをして早く健全な企業になれるよう、国は預金利子をゼロに近く誘導しました。国は、人々が納めた税金を使って銀行を助け、人々の一人一人の預金利子収入をゼロに近く押さえてまで、銀行が儲けやすいようにしてきました。国民一人一人の収入からなにがしかをまきあげて、銀行を助けたのです。

◇生きている人間の生存を助ける番だ
国の財政収支がどうであるとか、年金の収支がどうであるとか、細かな計算をわかったように解説する人がいます。世間的に立派そうな人ほどそうです。その結論はたいがい「ダメです、できません」です。

国は、「ダメです、できません」財政の下で銀行を助けました。銀行が死に体になったら国が壊れるといって銀行を助けました。「ダメでも、できなくても」、人は生存せざるを得ません。医療保険、介護保険、年金、生活保護などは、人の生存を保障しなければなりません。
これらの保障を悪化させることは、自殺幇助になるでしょう。

◇「生きて暮らしていくには、生存を保障するには」から出発
だいたいが、保険や年金を特別会計にしているのはマヤカシです。医療・介護・年金は、すべて生きていくための制度ですから、生活保護と同じように税金でまかなうのがいいと思います。

「財政収支がこうだから」ということから出発するのか、「生きて暮らしていくには」ということから出発するのかでは、大きな違いがあります。「生きて暮らしていくには、生存を保障するには」がすべてに勝る最優先政策課題です。

◇「預金利子ほぼゼロ」から「公共事業ほぼゼロ」へ
兵庫県尼崎の鉄道大事故のあと、利用客や利用していない人たちの意見が変わりました。「ちょっとでも早いほうがいい、2分も3分も遅れてなんやねん」から「そら早いほうがええけど、2分や3分遅うなってもかまへん、安全が先や」に変わりました。大量事故死の惨状が人の心を変えました。同じように暮らしの不安が大きい時代になって、「とにかく暮らしていくのが第一や、ぜいたく言わへん」に変わってきました。


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ぎくしゃく日中日韓が示す権力の大きな裁量幅

2005-06-21 11:35:57 | Weblog

◇法治主義の下、総理の人柄・志向性で結果が変わった
小泉総理の統治に入って、中韓と日本の仲がぎくしゃくしています。日本の民主制度がこの間に変わったわけではありません。小泉総理の人柄・識見に依るところでしょう。総理大臣の志向性によって、結果はこのように大きく変わりました。

◇知識教養より人柄・人間性
このことから二つの意義を見てとれます。一つは、人柄が大切だというあたりまえのことです。ハンサムであるかどうか、スマートであるかどうか、知識教養に富んでいるかどうか。そういうことの底にある人柄、人間性を見分けることが大切です。

◇人柄を見分けるワンポイント
それなら見分けるべき人柄、人間性とは何や? ということになるとこれまた話が長く長ぁくなりますので、見分けるポイントを一つにしぼります。その人がこれまで何をしてきたかを見ます。そしていま何をしているか、その立ち居振る舞いを見ます。その人の言説に目をつむります。

◇法治主義でも政治権力・行政権力の裁量幅は大きい
小泉総理が引き起こしたぎくしゃく日中日韓が示すもう一つの意義は、政治権力の裁量の幅が大きいということでしょう。同一の法律・政治制度のもとでも、総理大臣の志向性によってこんなに結果が変わります。政治権力の裁量の幅がそれほど大きいということですね。そして、市町村・都道府県・政府各省庁、警察・自衛隊など各種各級行政権力の裁量幅も大きいということにまで、想像が及びます。

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殺人犯と心神耗弱・心神喪失-西洋式思考の虚構

2005-06-20 05:37:58 | Weblog


◇殺人犯と心神耗弱・心神喪失
このごろは殺人事件が多くなりました。殺人事件にからんで、犯人への精神鑑定をするということも多いようです。覚醒剤の使用や精神病の罹病などを調べているのでしょうか。精神鑑定の結果、心神耗弱や心神喪失という鑑定が出ると、量刑が軽くなったり無罪になったりすることがあります。

◇「理性」一辺倒は西洋式思考様式の虚構です
これは刑法が西洋思想の思考方法でできあがっているからでしょう。「人間の基盤は理性である」と考えているようです。だから、理性を失っている状態なら量刑が軽くなるのでしょう。しかし、人間を理性の側面だけで評価する西洋式思考様式は虚構です。

◇強いものへの恐れは備えている
しかし、男性の殺人者は、だいたい自分より弱い人間を襲っています。殺人の相手は子供であったり女性であったりします。屈強な男性を襲ったというのは、ふつうの殺人者については聞いたことがありません。たとえ理性の判断力に瑕疵があったところで、自分より強いものを恐れるという気持ちは十分に備えています。

「西洋式」の限界
私たちの生活文明は西洋文明に染まっています。ものの思考様式も西洋文明の思考様式に染まっています。私たちの、自分のものの考え方そのものが、なにからなにまで「西洋式」で成り立っています。



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文明の生態史観-文明の価値に上下はない

2005-06-19 11:05:18 | Weblog


ずっと昔の若いころでした。月刊誌中央公論で「文明の生態史観」を読みました。世界のどの時代、どの地域の文明も、その価値に上下はなく並列であり、その違いは個性の差異である。その趣旨に、ぱっと一つの世界が開けるように触発されました。

生態学ということばを知ったのは、そのとき初めてでした。興味がつのって、生態学についてのやさしく書いた文庫本を読みました。これはやがて仏教の理解につながりました。世渡りの上での紆余曲折を経験し、星霜を経た後に、私の価値観の基点に成長しました。


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止まらぬ村上ファンド 大金を武器に大金を奪取する

2005-06-17 12:23:51 | Weblog


■止まらぬ村上ファンド/割安株30社以上に投資(6月17日朝日新聞記事) 

「モノ言う株主」として知られる元通産官僚の村上世彰氏が率いる投資ファンドが、投資をさらに拡大させている。潤沢な現預金があるのに、株価が割安な企業が主な投資先だ。増配など株主への利益還元を要求し、会社と株主との関係を見直すきっかけになっていると評価する声がある一方で、短期間で売り抜ける手法には「投資先の企業価値向上につながらない」との批判も強い。


■配当率向上自体はいいことですね

上の朝日新聞記事によれば、村上ファンドは「利益の株主還元要求」を大義名分にしています。日本の上場会社については、利益が大きく上がった年でも、配当率はしれたものというのが定評でした。

村上ファンドが大金による黒船外圧を加え、フジテレビとライブドアがからむホリエモン騒動もありましたので、上場会社の認識も変わりました。株主の配当率が新しい価値観で見直されるのはいいことだと思います。

■世直しファンドならぬ大金奪取ファンド

村上ファンドは世直しファンドではありません。その仕事の性質は、大金を武器に大金を奪取するものです。有望材料がありながら不振をかこつ会社に投資をして、業績回復後にその成果を得て利益を上げるという投資会社なら納得できます。

しかしそうではありません。利益を蓄積している優良会社に大金を投資して、その大金の力で大金をはき出させるものです。大金を武器にしてで大金を奪取するものです。何も生みません。私の好みでもありません。社会的な経済効果があるとは思えません。
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米軍、サイパン侵入/全学連、国会に突入

2005-06-15 16:39:04 | Weblog


■6月15日のできごと 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 
1944年 - 第二次世界大戦で、アメリカ合衆国がサイパンに侵入。
1960年 - 改定安保条約批准阻止の全学連7000人国会に突入。

◇サイパン生き残り
友人の父親がサイパンの生き残りでした。軍医だったそうです。地形が変わるほどの砲爆撃で、兵隊も住民も散り散りに洞窟へ逃げこんでいたといいます。水をくみにいくたびに死傷者が増えたそうです。沖縄戦の最終場面と同じです。

◇テレビで見ました
中学生のときでした。画面いっぱいに学生が国会になだれこむのをテレビで見ていました。東大生の樺美智子さんがそこで死んだことを知ったのは、翌日の新聞だったと思います。
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