今朝はまだ筬に通していたんですよね。
昼間は外出、夕方から織り始めました。
娘時代の浴衣を手で、紐状に裂いて緯糸の替わりです。
洗濯して、半世紀も経つ木綿地はビリビリと、気持ちよく裂けます。
板樋に巻いているのは保多織り、四国高松の藩の専売品でした。
ワッフル織に似た織り方で涼しいのです。シーツや枕カバーなどもあります。
そうそう、私がこちらの学校へ進学するとき、下宿の方へのお土産に浴衣地を買って持って行ったのでした。
父が荷物を乗せた車を運転して、高速道のない時代、はるばると広島まで。早朝、紺屋町かどこかのお店に寄って注文していた品物受け取った記憶があります。
同級生のお店で、お母さんがおまけに布巾を二枚くださいました。遠い遠い記憶がよみがえります。この先、もう思い出さないかもしれないので、ここに書いておきます。
昔はどこのお宅にも保多織りの浴衣が標準装備だったし、ちょっとした進物などにも使える高級品でした。
すみません、長話になりました。
話は長いけれど、織りの方はあっという間に終わりました。
裂き織り専門の友達が、目が悪くなったおばあちゃんがするのが裂き織り、なるだけ太く裂いて早くすればいいとのことです。
22時半ころ完成。
途中夕食の支度、食べて片付けて、テレビ見ながら転寝して、実働時間は3時間くらい。
わおう、浴衣が地味なので織っても地味。深い紺色は、帰省した夏休み、近所の和裁の先生の家へ通って教えてもらったのでした。
ほどくとき、とても下手な縫い方で、我ながら呆れました。
浴衣…暑いのでトンと着ませんね。
島尾敏夫「死の棘日記」だったかに、狂った妻がそれでも一晩で浴衣を縫いあげるという話が。いえ、あれは「智恵子抄」だったかな。いずれにせよ、昔の女性は浴衣などあっという間に縫っていたらしい。
以上、浴衣にまつわる個人的なあれこれでした。