もう一つのカメラの画像も。
昔は水はどこから?他人事ながら心配。
広場
反対側
看板
見上げる
石畳
地形と建造物の一体化
見上げる
遠景
地層と建物
南側の広場から遠くを見る。風景独り占め。
フランスの春。プロバンスの春。
花も咲いて
ツートンカラーの菜の花。日本では見たことない。
住むには車必須。
カフェ。
ゴルドへ来て、フランスの田舎町をいろいろ巡りたいと思ったのでした。いつか行けたらいいなあ。
もう一つのカメラの画像も。
昔は水はどこから?他人事ながら心配。
広場
反対側
看板
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石畳
地形と建造物の一体化
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遠景
地層と建物
南側の広場から遠くを見る。風景独り占め。
フランスの春。プロバンスの春。
花も咲いて
ツートンカラーの菜の花。日本では見たことない。
住むには車必須。
カフェ。
ゴルドへ来て、フランスの田舎町をいろいろ巡りたいと思ったのでした。いつか行けたらいいなあ。
観光も三日目、フランスにもだいぶ慣れてきました。景色も建物もどぎつい色がないので、心が落ち着きます。
ホテルを出てゴルドへ向かいます。バスの中から撮るのでピンボケです。お許しを。
向こうは校庭らしい。校庭に糸杉!!さすが南欧。
プロバンスの田舎を走ります。あんなところをゆっくり歩いてみたいなあ。
ブドウ畑と一軒の農家。
山道を上がって、絶景ポイントですと言われたところで降りる。うわあーーーと声が上がり、各自で写真を撮る。
中世の城塞都市がそのまま残っているゴルド。
頂上近くの広場まで連れて行ってもらってバスを降りていたら、係員が怒った顔ですっ飛んできた。
「ここはバス乗り入れ禁止!!」とか言ってるらしい。「すみません、すぐどきます」とか言ってるらしい。下の駐車場から坂道を上がるのはきつい人も入るはず。分かってて停めたのかも。
狭い村なので各自で見学。「迷ったらとにかく上へ。この広場に着きます」とのこと。なるほど。
狭い路地を降りて行きます。古いヨーロッパのそのまま残った眺め。なぜか幸せ。同行者ともどこかではぐれてしまったけど、お互い探し合わずに自由に歩きます。
少し降りてまた引き返します。石の道に石の擁壁。はるばるとやって来たフランスの片田舎で、幸せをかみしめるおばさん一人。
近くの街からバスは一日二便だけ。鉄道なし。田舎のようです。
花の名前は? Valériane rouge ベニカノコソウと言うらしい。オミナエシの仲間。分布はヨーロッパ南部、イギリス中南部など。
建材は地元調達。色はベージュ一色。
散歩道。
石積み。
細い路地
何の花?
観光客が増えてきました。きょうは土曜日。
行き止まり?それとも奥に何かある?
広場横の土産物屋のご主人は添乗員さんとも顔なじみ。私もいろいろお土産を買いました。
ラベンダーの蜂蜜。蜂蜜好きの夫に。500g入りで重かった。容器は実用的なプラスティック。7€、多分安いと思う。
白いのは密封したガムテープ跡。
小さな石鹸各種。蜂蜜、バラ、オリーブ、ラベンダー入り。
駐車場まで歩いて下ります。もうすぐです。このあと、ローマ時代の水道橋へ行きます。
アルルと言えばビゼー作曲、アルルの女。どんな女性だったんだろ?
アルルは晩年のゴッホが滞在したことで有名ですが、ギリシャの植民都市になって開かれ、のちにローマ人が街を造り、その遺跡が今も残っています。
歴史地区入口にゴッホのレリーフが。片耳がありません。墓標のようにも見えます。
円形闘技場と日産の車。オーナーはたぶんフランス人。
よく保存されています。中世に一階が商店、二階が住居として利用されたため、他の遺跡のように石切り場とならずに済んだとか。
中で日本人ガイドさんの案内を聴きます。
観覧席の後ろの見晴らしのいいところまで上がると、町とローヌ川が見えます。街の角はカフェになっていることが多いです。
あの向こうにゴッホの住んでいた「黄色い家」があったそうですが、今はもうないとのこと。
「夜のカフェテラス」に描かれたカフェ・ヴァン・ゴッホ。店の前にはモニュメントが。
市庁舎の中を通って行きます。
きょうは土曜日で市長さん立ち合いのもと、結婚式があるとか。花嫁さん出てこないかな。
アルル市庁舎前の広場
元は病院だったエスパス・ヴァン・ゴッホ。
中庭がゴッホ入院当時に復元されています。
ゴッホはここにいた短い間にたくさんの絵を残し、パリにうつった後、亡くなります。絵は、病院長の息子の代になってから、「狂人の描いた絵」としてほとんどが捨てられたそう。残念ですね。
上手に描いてやろうなんて邪心は露ほどもない、真っ正直なゴッホの絵。芸術の神様に選ばれし者は、生前、誰の評価も受けることなく、弟にだけ見守られて亡くなったそうです。合掌。
今ではそのゴッホが観光資源となっているアルル。
周りは土産物屋たくさん。カラフルな郷土菓子カリソン。
失礼して写真撮ります。
バスで20分ぐらいの郊外へ
跳ね橋です。
跳ね橋と言えばゴッホ、ゴッホと言えば跳ね橋。
「洗濯する女性がいない」と以前文句付けた人がいたそうですが、当時は川で洗濯していたのでしょう。
川の水運が利用されなくなり、跳ね橋は観光用に新たに作られたそうです。
近くにあった斑入りのアザミの葉。
アルルはゴッホで町おこしをしている小さな街。旧市街はこじんまりとして、歩くのに楽しそうです。
今日の宿はアビニヨンのイビススタイルシュッド。街中ではなく、郊外の幹線道路沿いにあります。
イビススタイルは全世界にチェーンを持つフランス系のホテル資本。ちょっとおしゃれなビジネスホテルのランクらしい。ヨーロッパらしい雰囲気はありませんが、使いやすいホテルです。木の下で眠るような壁紙と、アクセントカラーがおしゃれ。ここでは二泊。ゆっくり過ごせました。
ちなみに二人部屋をずっと一人で使っていました。
大きなレストラン併設のホテル。地元の人が週末、家族連れで食事を頼んでいました。
まずはウサギのテリーヌ。軟骨なども入ってそう。臭いと言う人もいましたが、私は出されたものはたいていのものなら黙っていただきます。
「食べものの文句を言わない、残さない」と厳しく躾けられた世代です。おいしくない、口に合わない、今は欲しくないと言えない性格です。よく冷えていたので、冷たさが初めに来て、味はそうわかりませんでしたね。
続いてメインが。フランスではplaプラと言うらしい。鶏肉だったかな。付け合せの白はアスパラガスではなく、白いいんげんでした。初見です。
洋ナシかリンゴのタルトだった。詳細失念。カスタードクリームでいただきます。素材の味をうまく引き出す正攻法。日本のケーキのような細工はありませんが、とてもおいしかったです。さすがフランス。
私たちが出るころは地元の人たちがたくさん食事に来ていました。8時くらいからが忙しそう。
朝は過不足なく。干しイチジクが珍しかった。トレイがオレンジ、ナプキンとマグカップは黄緑。日本人なら使わないポップな色。
でも不思議と目に優しく落ち着きます。そして元気が出るんだから不思議。
二階建てのホテル。私の部屋は一階。窓の外には中国原産、ヒイラギナンテンが。我が家の庭のより花は小さめ。
棘のある花や木は、人を近づけたくない場所によく植えられます。それはフランスも同じことのようです。
明日はゴルドとアビニヨンへ行きます。
ニースを出てエクサンプロバンスへ向かいます。
車窓から。ニース郊外。 石灰岩の山と、赤瓦の家が続きます。
きょうは最後尾に乗ります。三菱の軽トラがついてきます。車は右側通行。左が追い越し車線。
サント=ヴィクトワール山が見えてきました。セザンヌが好んで描いた山も横から見るとこんな感じ。
ブドウ畑が続きます。フランスは豊かな農業国です。
エクサンプロバンスの旧市街は案内されて歩いただけで、あまり印象に残っていません。
こちらサン・ソーヴール大聖堂。時代により建物の増築、改築が繰り返してこられたため、ロマネスク、ゴシック、バロック様式などの多くの建築様式が使われています。
町の人の信仰とともにあった教会のようです。
プラタナスが芽吹いています。綿毛のようなものがいっぱい飛んで、花粉症の人にはこの時期辛いかも。
朝から外でお茶するフランスの人たち。人生が楽しそう~
その横をぞろぞろと団体で歩く日本人。異文化の接点ここにあり。
向こうは旧市庁舎だったかな?EU、フランス、プロバンス州の旗が見えます。広場は市場になっています。
ラベンダーの鉢植えにプロバンス風布製品各種。
お菓子屋さん。カラフルでお洒落なパッケージ各種。
量り売りで好みの箱に入れてもらえます。菱型の、この街の名物、カルソンもあります。
夫のお土産に各種お菓子の詰め合わせを。素敵な箱です。
チョコ入りクッキー、チョコキャラメル、ヌガー、マーブルチョコのような堅いチョコ。
22€くらいだったかな。右下のチョコは遊びに来た孫娘(三歳十か月)が、瞬く間に完食。
「おうち帰ってよく歯を磨くのよ」
「うん」
「きょうは保育園やすんだんだって」
「だってみんなおうちにいるんだもん、あーちゃんも行きたくないもん」
などと楽しく会話しました。
「箱、かわいいので頂戴」と言うので帰りに持たせました。きれいなもの、可愛いものが大好きです。
広いミラボー通りにはモニュメントや自然の涌き水が。
こちらもカフェ。
この店で食事しました。
前菜。魚のパイだったかな?
ラタティユ、イカのフリッターなど。フランスは野菜がたくさんつくので嬉しい。
リンゴのタルト。美味。焦げ具合が絶妙。
ミラボー通り外れにあるセザンヌの像。キャンバス、絵具を背負って写生に行く姿。後ろは糸杉。ダビンチが描き、ゴッホが描き、南仏でポピュラーな木。
エクサンプロバンスはもっと鄙びた街かと思ってたけど、意外や意外、大都会でした。
今から10年以上前、プロバンスがブームになり、当時はそんな田舎を巡るツアーもあったと添乗員さんの話。
日本人がいきなり行って、フランスの田舎を体験するのはなかなか難しいようです。
午後からゴッホがたくさん絵を描いた街、アルルへ行きます。
ヨーロッパは凶悪な事件よりも、スリや置き引きなどが多いらしい。
それで前回同様、ポーチには少額のお金とカード。クリップで挟み、ついでにスーツケースの鍵も入れています。キィーケースもお友達からのプレゼント。使い勝手がいいです。ありがとうございました。
たいていの店はカードOK。スーパーですらカードで支払うのが普通。ニースのスーパー、カルフールで50€出したら、ものすごく丁寧に裏表見ていた。偽札と思われたのかしら。
その他に落としても惜しくないネックレス一つ。これもポーチに。食事の時に首に掛けると、あら不思議、たちまち貴婦人に・・・な訳はありません。自分の気分だけの問題。
部屋に入るとまず帽子を脱ぎ、そこに部屋の鍵、パスポート、ミール券など入れると、私の場合整理が簡単でした。
ポーチはバッグに留めています。幸いスリには遇いませんでしたが、ルーブルではミロのビーナス前がその業界の人たちの仕事場だそうで。
各国語の注意書きがあります。
午後からモナコへ行きます。バスで一時間くらい、山の中腹の眺めのいい道を東に向かって走ります。
途中はこんな眺めがずっと続きます。向こう、今来たニース方面。今回は鷹巣村エズには行きません。行きたかったなあ~
まずは丘の上の、国の中心部を見学。モナコ王族の眠る大聖堂。暑いです。藤の花が咲いていました。
小さな路地を抜けて・・・
大公宮殿の前まで来ました。
大公宮殿前の広場からモナコ湾を見下ろします。
モナコは世界中からセレブが遊びに来るとか。それを見下ろすセレブでない私。
プール手前の道にはモナコラリーのスタート点があります。街中でスピードレースするなんて、国全体が遊び中心、観光中心と思われます。
豪華ヨットたくさん。
山の手まで家がびっしり。モナコ人はフランスで一目置かれるとか。お金持ちしか住めない街のようです。
同じ道をニースへ帰ります。途中の海にはヨットがたくさん。
The wind blowing from Mediterranean~♪
再びニースへ戻ってきました。
まだまだ明るいです。
海岸にはカフェが。気持ちよさそうです。
料理は道を挟んで、あちらの高級ホテルから運んで来るようです。つまりは我が国は京都、貴船の川床みたいなものかしら?
ホテルの名はハイアット リージェンシー ニース パレ ドゥ ラ メディテラネ 。うわあ、名前からして高級そう。値段未確認。私の近寄るところではなさそうです。
レストランへ行く18時まで、しばし海岸を散歩します。
空も海も青く、空気は乾燥して気持ちいい。全然寒くない。のんびりします。
思い思いに憩う人たち。ニースも見納め。さよならニース、いいところでした。
頭の中ではアラン・ドロン主演、往年のフランス名画「太陽がいっぱい」のテーマ音楽が鳴り響いているのでした。
おっとこれはイタリアでロケしたんだった。でもまあ同じ地中海と言うことでお許しを。
夕食はブイヤベース。ムール貝など、魚介類たくさん。濃厚なソースがおいしかったです。
ニースに二泊して、これはホテルの窓から。
朝、空が抜けるように青い。
ツアーなので海の見える高級ホテルではなくて、マンションから見下ろされる庶民御用達の親しみやすいホテルです。
明日はいよいよプロバンス地方へ。
前日、関空内ホテルを出た途端ものすごく寒くて体調悪くなったけど、長旅の果てのニースの朝は快晴、とても暖かく初夏の陽気でした。
ホテルで朝食を。意外と質素。イギリス最高、ドイツもよかったけど、こちらまあまあ。
海岸から一筋入った通りにあるニース、オペラ座。
徒歩で朝市と商店街へ。こちらジャムとコンフィ・・・なんとかの店。カラフル。
花市が延々と続きます。
花束
カラフルなエニシダ各種
チューリップ
バラ
チーズ各種
鮮魚。手前はイワシ。その他、ヒラメ、鯖、エビなど各種。地元の人が買いに来ていた。活気にあふれている。
巾着のようなトマト。おいしそう。ズッキーニといんげんも。
この市場外れの商店で、プロバンス風木綿のラベンダー匂袋、石鹸、孫娘のプロバンス風ワンピースなど買う。
バスで高台のシャガール美術館へ向かう。
市庁舎だったかな?
「四角い顔の男」という名前のビル。文化行政の役所などが入っているらしい。
こじんまりとしたシャガール美術館。
中庭でお茶する人達。暖かくて平和な光景。
美術館内撮影自由。フラッシュのみ禁止。太っ腹。
絵はいろいろ。繊細なイメージのシャガール、実はけっこう力強く、この美術館は旧約聖書の場面の絵を集めているらしい。シャガールは信仰が篤かったのだろう。
オリーブの古木とひなげし。
昼食はニース風サラダから始まって
鶏肉のロースト。こんがりと美味しかったです。
デザート撮り忘れ。何かのケーキだったような。。。。ケーキはこの後どれもおいしく、外れはありませんでした。日本のケーキのように細かな細工はないけれど、素材の味がよく生かされていた。
今からモナコへ行きます。
しかしサントロぺの三月末、海はあくまでも青く、ギラギラと日光を跳ね返して、太陽がいっぱい。暖かいと言うより暑いです。20度はある感じ。
持ってきたのはババシャツにとっくり首の冬のセーター。暑くてたまりません。このあと、モナコでたまりかねて半袖Tシャツを買います。
それはいずれまた。
本日の教訓。
服の準備は幅広く。気候の変わり目は一枚でも着られるTシャツ、脱ぎきしやすい前明きの服各種は必須。
人のふり見てわがふり直せ。海外ツアーでは日本でのことを自慢モードで話すのはやめたいもの。お互い、人の自慢話に付き合うために大金出して旅行しているんじゃないものね。私は…言いませんよ。なるだけ。
三人参加は中途半端。いつももう二組の三人組、または一人参加の人との相席。ツアーは二人が原則かな。
四人になると仲間内で盛り上がり、他の人から嫌われがち。見聞を広め自国でできない体験をじっくりするためには、少人数がベスト。
夫という名の男性がついていると何かと安心だけど、添乗員付きならまあ女一人でも大丈夫。
団体ツアーで何より心強いのはスーツケースはポーターさんが運び、とても楽。個人旅行は若くて時間と体力のある時のものだと思った。
午後からモナコへ。
3/26 午後、JR駅まで夫に送ってもらう。風邪で体調極めて悪し。前日は終日、出発当日も午前中ずっと寝ていた。
熱はないけど体がだるい。行きたくないなあ・・・旅先でもっと悪くなるかも。でもキャンセルしてもお金は戻ってこないし。。。。ロキソニン、バファリン、葛根湯など薬をどっさり持参。
どの駅もエスカレーターは使わずいつもの癖で階段を。これでいっそう悪くなった。ヘロヘロになって空港内ホテル到着。別送していたスーツケースを持って部屋まで。やれやれ、体だるいなあ。
一時間くらいしたら今回の旅の同行者二人、四国よりシャトルバスで到着。高速が混んで一時間くらい遅れたそうな。
空港で両替したら1€=142円だったそうな。**みたいな田舎で両替するからと言われた。悔しいけどそうかも。今度から地元で両替はやめよう。
三人で空港内へ食事に行く。店がなかなか決まらない。二人は回転寿司が希望。私は回転寿司が苦手。すったもんだの挙句、うどんと寿司の店へ。熱いうどんでほっとする。冷たいものは弱った体には辛い。。。。
二人と別れ、書店に立ち寄ってから部屋に帰ると、ルフトハンザのストで替わりの航空便を探しているとの連絡。幸先悪いなあ・・・と思いつつ寝る。
3/27 8:30過ぎ、空港カウンターでKLMに変更を告げられる。アムステルダムで五時間待ってエールフランスに乗り継ぎ、マルセイユ着が現地時間22:25。そこからニースまで高速道路経由で2時間。現地到着予定は25時。日本時間だと28日の午前9時。
ひょえ~、今から24時間しないとホテルに着かないのかよう・・・涙目。その話を聞く私、カウンターに手を置いて、立っているのもやっと。
旅行を取りやめる方は申し出てください。キャンセル料はいただきません。と言われて、よほど帰ろうかと思ったけれど、同行者がいるので思い直す。一人だったら止めたかもしれない。
すみません、体調の話を長々と。他人の病気自慢ほど退屈なものはなし。駄文深謝。
搭乗してもうすぐ出発です。一年五か月前と同じ南ウィング34ゲート(だったかな?)から。
向こうにルフトハンザが停まってる。あーあーあれに乗るんだったのかも。
始めにスナック菓子。私はワインをチョイス。カップでもらうジュース類は狭い席でこぼしそうなのでやめておく。
飛行機内で飲み切れる量の小瓶。白もあります。
一回目は和食を選ぶ。炊き込みご飯やおかず各種。
前より量も増えて少し良くなっていた。良かったあ~。
飛行機の中では目を閉じてひたすら寝る。通路挟んで添乗員さんが隣り、彼女もずっと寝ていた。さすが旅に達人。真似していたら間違いない。
手洗いに行ったとき、シベリア上空から。一面の銀世界。白い点はガラス窓の傷。
ウラル山脈を越えてやっとヨーロッパへ。
二度目の食事。トマト味のパスタ、ソラマメ、鶏肉だったかな?など。こちらも前より良かった。おしいかった。
ヨーロッパは薄曇り。低い山が続く。どの辺り?
オランダのアムステルダム、キスポール空港着。現地時間15:20。日本では23:20。眠ったのでだいぶ楽になった。飛行機の中は眠るに限る。
待ち時間に、地元アンデルセンの石窯焼きの堅いパンと、関空で買った赤飯のおにぎりで夕食か夜食かよくわからない食事をする。
空港内ショップ。前は11月でクリスマス一色。今回はオランダらしく生花に造花、花の種に球根などカラフル。
22:25、日本時間翌朝6:25、やっとマルセイユに着きました。小さな空港です。今からバスでニースへ行きます。
途中で一度、トイレ休憩。鏡が花のようでもあり、果物のようでもあり。フランスしています。
鏡に映るのは今回の添乗員さん。不測の航空便変更で、大変だったと思います。ありがとうございました。
ホテル着は当初より遅れて午前2時前。薬が切れるとだるくなるのでバファリンを飲む。不安。。。
と波乱含みの旅の始まりは、ニースのホテル到着でやっと一件落着。
本日の教訓。
事前にホテルや、街並みの検索をしない。お土産を調べない。やっても切りがない。早寝早起き、いい体調で旅行へ出かけよう。
関空で両替すること。
飛行機の中で、第一回目の食事のあと眠ると、現地時間に慣れやすい。少しでも眠ろう。
と旅の記録はまだまだ続きます。明日以降、乞うご期待。
いったいいつ頃から、フランスツアーにモンサンミッシェルが組み込まれるようになったのか、私は詳しくは知らない。
が、しかし、行く前から嫌な予感はしていた。あまりに通俗的な扱われ方、宗教抜きに、行ってきたことだけがスタンプラリーのように語られる昨今のブーム。
いゃあ、悪い予感は的中しましたね。バス降りた途端に海が臭い。広大な遠浅の海、引き潮でしたが、水色とも緑ともつかない海の色。泥の色も気味悪い。生物の姿は一切なし。死んでしまった海でした。
日本の高度経済成長時代、川はこんな匂いをしていた。そのことを思い出した。
西のテラスから入り口付近を見下ろす。薄緑色の海水!!
道を付けて潮の流れが変わったからとの説明。高架式のトラムを造り、いずれ自動車道は廃止するとか。
がしかし、潮の流れが戻るだけで、海はきれいになるんだろうか。
潮だまりがあちこちにあって、海底が見えています。シーーーーンとしてなにもない海。
夕方、潮が満ち始め、川を海水が遡っています。ベージュ色の海水は膜が張り、泡が立ち、逆流しています。私には一切の水質浄化をしていないように見えました。
川縁にはずらりとホテルやレストランが。壁紙が日本風なところを見ると、きっと日本人観光客がいちばん多いのでしょう。
元々はノルマンディーの地の果て、広大な牧草地帯。ホテル街は海のすぐ近く。そこへ年間何万人の日本人が来るのでしょう。自然の自浄能力をはるかに超えた汚水で、環境はものすごく悪くなっているように見えました。
取り敢えずは早急に、各ホテルからの排水を浄化する設備でしょうか。私の見た限りでは、見当たりませんでした。
とっても悲しい眺めの観光地でした。
今回は行きも帰りも、ストライキでルフトハンザ機が飛ばず、急遽、航空会社が振替になりました。
当初の予定では、フランクフルト乗り換えで日本出発の当日18:00にニース空港着。これは楽勝と喜んだのもつかの間、オランダで五時間待ち合わせ、マルセイユの地方空港をバズで出たのは現地時間23:04、日本時間は翌日の朝7時過ぎです。それから真夜中の高速をぶっとばして2時間、やっとニースに着きました。疲れ果ててなにはともあれ寝てしまいしまた。
いやは、二度と味わいたくない過酷な過酷な耐久レースではありました。マルセイユの空港も今回が最初で最後。と願いたい。
記念に写真撮りました。
いろいろあって帰りはエアーフランス直行便で今朝の8時半、関空着。よれよれになって帰宅。スーツケースは宅配、手荷物だけ整理しかけたら、孫たちがやってきた。おやつ食べさせたり、一緒に遊んでいゃあ疲れた。
また更新は明日以降に。コメントのレスも遅れます。すみません。
Now AM7:17 in France. Now summer time,so now in night.
Tours is very prettty city.Many cherry blossm (spell is wrong?)in the city.
I will go back Japan 4/5. See you again bye.
iiotenkide atukute sinisou setter sika motte kitenaisi......oonaki