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クリスマスには早すぎるけど

2020-11-13 | インテリア

出かけたついでに、サンタのブーツ買いました。

次はいつ来るのかなあ~

ばあちゃんは待っています。

ついでにクリスマスのお皿、少し出してみます。さすがに早いけど。

公民館で絵付けサークル立ち上げたのが2003年、その頃は年に一度の展示に大きなもの出す必要があって、大皿各種、転写紙で絵付けしていました。

クリスマス大好きな私、張り切っていろいろと。

今もクリスマス、大好き。以前、倉敷かどこかに年中クリスマスグッズ売っているお店があったような気がするけど、あれはどこだったなあ・・・・

長く生きてきたので記憶も薄れがち。

ツリー型のお皿、孫にだいぶ渡したけど、まだあるはず。

でもどこにあるのか・・・

すぐには思い出せない整理の悪さ。


きょうはお歳暮注文。ゆめタウンは15日までの注文で20%のポイント還元、金券でもらえる。財布の中でレシートと混ざらないよう、ついでに使い切る。

サンタのブーツ、本三冊、菓子折り1つで使い切る。

デパートへはとんといかなくなった。デパート行くなら、服着て靴にハンドバッグ。市内電車で。ショッピングセンターなら普段着に自転車で。楽に流れるのは人の常。

中国新聞に連載していたもの。薄くて開きやすく、リュックに入れて重くない。

著者の松島氏の山登りの講座、半年くらい受けたことがあります。もう80歳くらいでしょうか。年上の方が元気で活躍されているのはなぜか安心する。嬉しい。

表紙は9月に登った氷ノ山。この本には掲載されていません。

ついでに文庫本二つ。正価で買うのも、お歳暮のポイント還元があるから。

右はただタイトルに惹かれて慌てて買ったけど、産経新聞のコラムか何かをまとめたもので、二年前の発行でした。

今の時期に文庫化するのが何とも。

パラパラとめくったら中国人のことを支那人と書いていて、私には合わない本だと分かった。しみじみとそそっかしい私。

よその国の人を蔑称で呼ばないのは、世界の標準と思っていましたが、そうでない人、それを受け入れる人が層としているのでしょうか。

アメリカ人にジャップと呼ばれると(呼ばれたことないけど)、私は嬉しくないので、この著者の感覚が受け入れがたいのだと思います。

読むかな~読まないかな~

税別550円、高い買い物だった。

もう一つは、以前著者の「被差別の食卓」を面白く読んだので。地区を路地と言い始めたのは中上健次だと思いますが、この作者もパワフルな作品を書く人。これから読みます。


本日午後から、昨日の疲れが出て爆睡。

枕元が広くなって、そこはもうタンスがないので夫が近づくこともなく、まだ整備していないけど、いずれは自分の好きなものだけ置いて、目が醒めると自分の好きなものだけが目に入って幸せな気分・・・になれるかな。

もうたぶん引っ越しはないはずなので、小さな模様替えで気分替えながら、元気出していきましょう。

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模様替え、頑張る

2020-11-12 | インテリア

暑くなく寒くなく、カラリと晴れ上がった青空の下、湿度も低い秋の良き日、ひょんなことから一日かけて、自分が寝ている部屋の模様替えしました。

きっかけは何だったかな、今朝のことなのにもう忘れている。

何かを片付けるうちに、前々から気になっていることを今日してしまおうという積極的な気持ちでもなく、気が付けばあれよあれよと、収集のつかない状態に。

でも夕方にはこんな感じになりました。

動かしたもの。

ベッド2台。整理ダンスの下の段。洋風のサイドテーブル、リビングテーブル、金庫、椅子などなど。

ベッドを部屋の中心から少し動かし、整理ダンスを反対側から持ってくる。毛布に乗せて毛布を引く。畳の部分、片方が広くなった。

床の間を改造したフローリングの部分は幅が120㎝と一間には足りない。試しにテーブル入れてみたら、5cmくらいの余裕で収まったので、ベッドの足元部分も広くなった。

金庫は死ぬほど重かった。床を少しずつずらし、最後は床柱を背にして座り、脚で思い切り押したら思うところへ収まった。明日以後、筋肉痛の予定。

今は鎮痛剤のいいのがあるけれど、25年くらい前、麻薬系の鎮痛剤の管理に。今は薬は入れてません。お金も入ってません。紙類いろいろ。

藍染めはすべて姑様の作品。端切れでバッグ縫ってみました。

腰を傷めて、夫はベッドで寝なくなった。使わないベッドにカバー掛ける。

こちらも姑様の作品。

寝ていた部屋にぎっしりとものが置いてあって、初め私が、途中から夫が必至で捨てたら、奥から大きな箱に入った藍染の作品がたくさん出てきた。

こんないいもの、全然使ってなかったので、不肖この私が使わせてもらうことにした。

天然藍なのでやがて色あせると思うけど、使ってこそのものの値打ち。死蔵していたのでは只の場所塞ぎの箱。

でも、藍染一つで築42年の家も落ち着いたいい家に見える。古民家まであと少し。

すぐに出せるようにこたつ布団と、片付けていない服にも藍染掛ける。

只の自堕落な部屋が、おしゃれな和風空間に~なってる?

いろいろ置くのが昭和のインテリア。

姑様の染めた布で作ったバッグ吊るして、備前焼も何かの時に貰った。

ここは姑様を忘れないコーナー。まだ存命ですが。


片付けたらいろいろなものが出てきた。

ヤマドリの尾。

長いものの例えにするヤマドリの尾羽根です。

2000年の元旦、大分県の万年山(はねやま)山頂付近で拾う。

あの時は実母を車に乗せて連れて行った。山下りてくるまで、麓の宿で待っていた。

年は74歳くらいだったかな。ずいぶん年寄りに思ったけど、今の私より2歳多いだけ。でも膝を悪くしていて、山登るなんてとんでもない状態だった。

私もあと2年したら山にも登れなくなるのでしょうか。

まさか。

前年、父が亡くなり、初めてのお正月。寂しがったらいけないと呼んだけど、私たちとは別の部屋に一人で寝て「寂しいーー」としみじみと言っていた。

寂しかったんだろうなあ。

私も一人になったら、寂しいーーーと元旦に嘆くのでしょうか。息子ばかりで、でも息子に寂しいと言えばいいのかな。お正月に我が家に来ていればの話だけど。

いえいえ、仮定の話して寂しがっても仕方ない。

きょうは模様替えしたら、ベッドで二人、畳の上にも二枚布団が敷けるようになったので、長男一家が来たらこの部屋で寝てもらいましょう。

その時には私は二階の座敷で。夫は元長男の部屋で今は寝ている。そこは6畳しかないので4組の布団が敷けない。

三男は子供がいないので、元の自分の部屋約7.5畳で十分。久しぶりに全員に泊まってもらえば楽しいけど、コロナが心配。


絵付けしたお皿も出てきた。

酉年に玄関に飾ったんだった。次の酉年まであと何年。

酉も出てきた。牛と飾る。


尾道で買ってきた小さな鯛。

同じ大きさで海の中を泳いでいるのではなくて、養殖かな。

このままポリポリと食べていたら、前から調子の悪い奥歯が痛くなって、きのうはとうとう欠けた。明日歯科へ行く予定。歯科も25年ぶり。歯は丈夫と思っていたけど、さすがにこの歳なので。

おいしく食べるのは健康の第一歩。

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「わたしは誰も看たくない」 小原周子

2020-11-11 | 読書

斎藤美奈子「日本の同時代小説」の中に介護小説として紹介されたのがいくつか。

母の遺産、長女たち、長いお別れ、などなど。

うーむ読んだのもあるし、どれにしようかなとアマゾンを徘徊中に、あまりに直截なタイトルに惹かれて、斎藤美奈子氏の本にはなかったけど、つい買って、つい読んでしまった。

作者は現職の看護師で、2017年、オール読物新人賞佳作で世に出た人。

日々、看護師として老人をたくさん見ている(たぶん)人にしか書けないリアリティがあるのは一つの美点。また人物がよく書き分けられていて、今風に言うとキャラが立っていて、劇画風に楽しめる作品になっている。

しかし、私の読後感はとてつもなくどよーーんとしている。読んだ後の新しい気付きもないし、介護を経験したものとしては、とても主人公に感情移入できない。

主人公、穂乃果。40代前半。パート主婦。夫と大学生の息子一人。勤め先のスーパーの店長と不倫している。

実家は北関東、山の中の温泉宿。両親と未婚の妹で経営。父親が倒れて意識不明になり、胃瘻をすることになり、家族の意見が分かれる。

夫実家は姑と義姉家族の二世帯、姑は認知症が進み、足を骨折って書いてるけど、大腿骨かな。最近女性が高齢化するにつれて激増しているらしいから。

穂乃果はどちらとも同居していないので、介護はしなくていい立場。しかし、しっかり口は出す。妹と母親には胃瘻してもずっと生きさせるべきと主張するのは、娘時代の妹への恨みがあるから。

妹は、言い寄ってきた大学生に、姉をその気にさせたら付き合ってあげるとそそのかし、挙句、穂乃果は高校生で妊娠中絶し、街にもいられなくなってしまう。

その恨みだそうで。何かなあ。高校生でそんな付き合いするのは自己責任、結果についても自分で責任取るべき。辛い思いをしたのが妹のせいなんて、それは違うと思うし、それを根に持って両親のこと、家のこと、全部おっかぶせて知らんふり、たまに行くと文句たらたら。いけませんねえ、そういう態度。

身内だけならともかく、お正月にしか行かない夫実家でも、義姉に姑の面倒見ていないと文句つける。こんな義理の妹いる?

と言ってもちろん、姑を引き取るつもりはない。

要するに誰の介護もしたくないわけで。介護はいくら美辞麗句を並べても、しないで済むなら、誰しもしたくはないと私は思う。するのは巡り合わせ。どうせするなら気持ちよく、そしてその中から気づくこと学ぶこともあって決して無駄な経験ではないと、自分を納得、鼓舞しないとなかなかできないもの。

その時に外野が、介護者に感謝し、いたわり、時には自分のお金や時間を割いて少しでも助けてくれたら、また次の日から頑張れると思うけど、この主人公は「したくないの一点張り」。妹が幸せになるのを何とか阻止しようって、どこまで性格悪いのと呆れた。

たいていの小説なら、そうは言っても主人公に何か気付きがあり、または改心して、家族が再生するとかそんな結末になるはず。しかし、この小説では不倫がばれて離婚されそうだし、実家の父親も妹の考えで胃瘻を止めて亡くなる。身軽になった妹は地元の人と結婚することになっている。

父の死の真相を知った穂乃果は、妹を何度も平手打ちするって、これはあんまりである。暴力反対。自分が何もしてこなかったのに、よくそこまでやれるなあと呆れた。

この小説は人の醜さを描きたかったのでしょうか。しかし、人間はこんなに単純にはできていない。いろいろ葛藤がある。その葛藤が書けていなくて、主人公はあまりに単純思考。せっかく書いた作者には申し訳ないけど、気分悪かった。


ベッドに抑制=縛り付けるは姑様で経験済み。

この小説とほぼ同じ経緯。

隣の四階で一人暮らしだった姑様は、2年前の一月、夜、部屋で転んで歩けなくなり、翌日、私が車に乗せて整形外科に連れていく。夫は仕事。いつも仕事。弟妹は遠いし、医院関係のお供はすべて私だった。ブツブツ。

立てないので、車から降ろして車椅子に乗せるのが一苦労だった。

レントゲンで大腿骨頸部(脚の付け根ね)骨折が判明、近くの大病院に緊急搬送。車はクリニックにおいて、私も救急車に同乗。

着いたのは10時前、それから待たされたり、検査したり、あちこち移動したりで、病室が決まるまでに夕方までかかった。姑様の替えのオシメは病院のコンビニで買い、途中で換えてもらったり、私はサンドイッチかなんかを食べてひたすら待っていた。

入院が決まり、同意書をたくさん書いた。「長男の嫁」と間柄書いて、サイン。私の立場では書きたくなかったけど、いちいち電話で夫と弟妹に相談する余裕もなく、一存で。後で文句出たら、なら、私の代わりに付き添ってと言うつもりだった。

同意書の中には「危険防止のために抑制することがあります」というのがあり。ベッドに手足を縛り付けるそうですが、まさかうちの姑様に限ってそんなことないと思いつつ、いったん帰宅。いるものをそろえて一時間くらいして行ったらもうベッドに両手を縛り付けられていた。

あの姿を思い出すと今でも涙が出る。いい人ぶってますが、夫や弟妹が見たら哀れな姿にもっと悲しかっただろうと思う。

「お母さんどうしたんですか」

「どこにいるか聞いたら**病院って言うじゃありませんか。私、この柵乗り越えて帰ろうと思って」

「お母さん、脚を骨折して今朝ここへ来たでしょ。手術して歩けるようになってから帰りましょうね」

と自分の親でないので腹も立たず、落ち着いてなだめる長男の嫁=私。

いい体験をさせてもらったと今では思っている。私以外、誰もする人がいないので割り切って、心は平安。

でも夜、義弟に電話する夫は「お母さん、入院したで」って。自分で歩いて行ったわけでも、ましてや空中を飛んでいったわけでもない。丸一日、付き添っていた私の存在は初めから省略、無視。その言い方にむかついた。

三か月後には自宅介護に。その後軽い脳梗塞でまた救急搬送になり、その時は一日入院。私が強く医師に言わないから症状が改善しなかったときつく言われ、さすがに温厚な私も←どこが!!心の中で何かが音を立てて切れてしまったままです。

退院前に主治医と夫が電話で話をしたので、それで夫は納得していると思っていたのです。まあ私も迂闊と言えば迂闊ですが、そこまで必死になれないのはやはり実の親でないからでしょう。

姑様が施設に入って、年明けたら2年になります。夫は在宅介護をよく頑張ったと思いますが、私が食事を作り、留守の間はオシメ替えなどの介護もしたので家で看る期間も持てたのだと思います。

それは姑様にも、夫にも私にも、義弟妹の為にもよかったと思います。助け合ってこその家族。いろいろ思うことはため込まずに小出しにして、変えられることは変えてもらう。そう思えるようになりました。

介護では、その家族の普段からの「家族力」が問われます。長年の人間関係が問われます。ぎくしゃくしている家族はいい介護ができない。そして介護を通して家族の在り方もその成員も鍛えられる。気づくことがたくさんある。それが介護が終わってもいい財産として残れば言うことありませんね。

介護を通じて、私は嫌なことを嫌と穏やかに言えるようになったと思います。それから自分の老後について(もう老後だよという声あり)、具体的に考えられるようになりました。

誰しも年を取り、誰しも死んでいく。子供が成長するのとは逆のコース。素直に助けを求められるのも大切。助けたり、助けられたり。


この小説の主人公に問いたい。

わたしは誰も看たくないなら、あなたは誰からも看てもらわなくていいんですかと。

それはできない相談。それに気が付いたのが、この小説の最大に美点でありましょうか。

 

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磁器の絵付けいろいろ

2020-11-11 | 絵付け

まずは転写紙(シール)をいろいろ貼ったもの。

台紙付きのシールを水に浸すと糊が取れて、シールだけ水に浮かんできます。

それを白い器の表面に貼り付けます。

気泡が残ったり、柄にしわが寄らないよう気を付けます。

金色はマーカーでつけます。

シールを切り貼りしたり、組み合わせを考えるのが作品造りの楽しさです。

陶芸釜で低温(800℃)で焼成して柄を定着させます。

クリスマスとポットいろいろ。

裏側。

上から。

こちらは夫がオリーブの実のあく抜きに使っています。

あく抜きは大変そうです。トチノ実みたいに流水でないだけましかな。

タイルは鍋敷き代わりに。

習い始めのころ。風船ネズミ。


800度で焼成のはずが、家の電子レンジで200℃30分で焼いてみました。

水洗いしても絵の具が落ちないので、飾るだけならこれでいいかなと思いました。

調合したペインティングオイルではなくて、メディムのみで描いたので定着がよかったのかも。

こちらはペインティングオイルで。200℃で30分。

艶がなくなったけど、どうしようかなあ~

食器として使わないならこれもありかなあ・・・

窯持ってないし、これからも買うつもりないので、本当なら頼んで焼いてもらう。

もう一つ、ドングリ尽くしは同じように焼いたけど、オイルが多くて、焼いた後触ると絵の具が取れた。失敗。

こんな感じで飾る。ピンボケ深謝。

やがて皿屋敷になる予兆))))


関係ないけど、クッションカバーも冬仕様。

近所のニトリに安くておしゃれなのがたくさんあったけど、おしゃれな小物はあると、気になる性質で。気になって落ち着かないので。

懐かしき昭和のモチーフ編み。春先の自粛期間中に持ち越しの毛糸の整理をした。

まだまだ毛糸たくさん。

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「図説 日本の植生」沼田眞 岩瀬徹

2020-11-10 | 読書

面白かった。

初版は1975年発行、文庫本は2001年に出て、それからもう20年たつけれど、植物はそのくらいの時間では変わらないので、今でも十分に読める本。

植物学大家のお二人に失礼な言い方ですみません。

コンパクトで内容は深く、かつ分かりやすく、環境保全の真の意味を考えさせられる好著。

私が山を歩くようになってかれこれ30年近くになりますが、常々不思議だったのは山によって、また同じ山でも場所によって違う木や山野草があることや、四国の母親の実家の山と、中国地方の山では全然木が違うこと。

それの回答が誠に分かりやすく書かれてあり、今まで断片的だった知識が頭の中で整理されて、そこに新しいこともいっぱい加わって、とてもすっきりとした・・・というのが読後感。


この本の特徴は日本の植生を細かく分け、そこに生育する木も草も一緒に群落としてとらえて、それぞれの特徴がよくわかるようになっていること。いわば読む植物図鑑。それから時間の経過とともに、植生が変わっていく遷移の過程にも言及されていて、環境保全の本当の意味について問題提起している。

アマゾンでは写真が白黒が残念というレビューもありましたが、これは植物図鑑ではなく、名前でその植物が思い浮かぶ人が対象の本だと私は思う。分からない場合は他書に当たればいいと思う。

今まで知らなくて教えられたことはたくさん。とてもは書ききれないけど、例えば18歳で広島へ来て、最初の冬、寒いなあと思ったらやっぱり、この本の「暖かさ指数」が四国より1度低い。従って植物も違うわけで。

中国山地の奥には、見たこともない立派な木が次々と現れ、感動したものでした。地形が複雑で、夏は気温はそこそこ高いけど、冬は積雪が多くてそれに適応した植物があるのだとこの本で改めて納得。

県内に湿原があるのも嬉しいことでした。低層湿原は高度の低いところにある湿原ではなく、湿原の盛り上がりが低いのだと本書で初めて知りました。八幡原にだけ、なぜナガボノシロワレモコウがあるのかと言えば、それ湿地を好むからだそうで。やれやれ、長年の疑問が解けました。

また、観光道路を山の中に作ると、道端に草やススキが生えるけれど、これらマント植物は森の植生を保護し、全体として一つの環境を保っているので、美観のためにとむやみに刈り取ってはいけないそうです。

で、やはり思うのですが、先日ドングリ拾いに行った近くの山は、入口付近の森のふもとに、もう長い間、個人が勝手に花畑を作っているのは、環境の為にはよくないと私は思っています。

草が生えて見苦しいと思っても、そこは国有林、自分の土地ではないのだから勝手に園芸種の花を植えないでもらいたいものです。植物は正直で、その土地に合ったものしか生えません。森の周辺の植物はそこに生えることで、日照、通風などをコントロールする大切な働きがあるのです。

赤や黄色の、ホームセンターで買ってきたような花を育てないでもらいたいもの。あるがままを楽しめるのが教養と私は思いますが如何?

本土では海岸はクロマツ、沖縄ではアダンって。去年、沖縄の海岸で繁茂するアダンを見た。マングローブを形成するヒルギの仲間も北から南、分布が違うことも知りました。

お二人のフィールドワーク、日本全国に渡り、今、どの段階にあるか分かるのが素晴らしい。極相林から裸地まで、水田、牧草地、都会の真ん中の舗装道路まで、環境に適応して植物がどんな所でも生えている、そのことに今まで以上に目を向けたいと思わされました。

リュックの中に入れて、山で見ると楽しいでしょう。このあたりは照葉樹林帯と広葉樹林帯の境目、ほらあそこにあんな木が・・・と言って同行者に嫌がられる。それもまたよし。

2019年7月 沖縄県真栄田岬で。

周り全部がアダン。沖縄の海岸に多いそうで。

実はこんな感じ。パイナップルに似ているけれど、食べられないそうです。

那覇市だったかな、隣りの市かも。「漫湖水鳥・湿地センター」の見学者用通路。

周り全部メヒルギ、たまにオヒルギやヤエヤマヒルギ。

私は感動しまくったけど、地元の人は誰もいませんでした。珍しくない眺め?

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籠バッグを求めて尾道へ

2020-11-09 | お出かけ

昨日は、またまた尾道へ。

三原まで夫の車に便乗。夫の友人が三原でアマチュア楽団を主宰していて、そのコンサートを聴きに行くので、ついでにJRの駅まで送ってもらった。

10月に尾道へ行った時、ヤマブドウ?で編んだかごバッグをたくさん置いている店を見つけて、その時は荷物が多くて買いそびれていたから。

8月に大分県の原城址の中にも、かごの専門店が。かごバッグ、見るつもりだったのに帰りにはもう閉店していた。翌朝はまだ開いておらず、先を急ぐ旅の身空、心を残しつつ諦めたのでした。

尾道の店は閉まっていました。木曜日に行った時も閉まっていたのです。

いったいいつが定休日?

と電話番号スマホで調べたら、数軒隣に新しい、同じ名前のバッグの店が。

こちらは倉庫にしているそうで。

そこで尋ねると、うちは扱ってない、近くの荒物屋さんではないかと教えてくれた。

で、その荒物屋さんも昨日は閉まっている。

尾道の商店街、水曜日が休みの店と、水木と、日曜日といろいろ。

でも荒物屋さんの名前が分かったので、次行くときは前もって確認してから。

アバウトな自分の性格がつくづくと残念です。

昨日はほぼ片道だけだったけど、交通費だって6千円くらい使って、時間も潰して、いまだバッグが手に入らないというカフカ的不条理。


夫は、この籠バッグ持てばいいといいますが、これは孫娘のために私が作ったもの。

バッグ、中袋の布は「鬼滅の何たら」の布らしく、リボンもつけて可愛く。

ばあちゃんはこの可愛さに負けしてしまいそう。

先日来たので渡しました。喜んで持って帰りました。

着物で出かけるときは、しばらくは、もうこれでいいわ。

20年以上前に買った木のバッグ。

丸木舟みたいに木をくりぬいています。材料は北海道の高いところのシナとつまみはイスノキだそうで。そして、仕上げはウルシ。作った人がそう言ってました。

エコバッグ風の手提げは今年の夏前、姑様の布と手染め作品、フリマで買った帯締めで紐にする。

かごバッグって値段はピンキリらしい。そごうで展示販売していて、30万円くらいから。びっくりした。

高いものなので、自分で作れないかと常々考えている。ヤマブドウは東北の方へ行かないとないらしいので、ノブドウのツルで。それを乾燥しつつ、嘗めしつつ。

編み方は、困った時のyou tubeって、ばあちゃん、何考えているんだあ~


ついでに尾道の写真各種。先週木曜日。

尾道城、消滅。

足場のないところ、取り壊すのも大変だったらしい。ほとんど手作業で。NHKで番組があった。

メインの商店街から横道へ入ると、いっそう尾道らしく。

道が細いのはスペインのトレド風。道が微妙に曲がっている古い町並み。まだまだ日影が嬉しい。

裏通り。

クランク。

古いミルク運搬用の缶。

二斗缶とか、そういう言い方していたような気がする。遠い記憶。

父が、毎朝、自転車の後ろに振り分けにして括り付け、牛乳の製造業者に納めていた。

生乳はベージュ色でどろりとしていて、沸かすと鍋の真ん中に黄色い脂分が集まるのです。嫌いでほとんど飲んだことない私。今なら飲めるかな。

いえいえ、私は牛乳不耐性の下痢になる人で、冷たい牛乳など飲まないことにしている。先日の宿で、サービスに朝は牛乳がつくのだけど、同行者は私の分も一緒に、一気に2合の冷たい牛乳飲むのでびっくり。

姑様も冷たい牛乳をお茶代わりに飲む人でした。それで97歳で、元気に生きているのでしょうか。施設は面会禁止で、もう8か月以上会えていません。

かごバッグ、30万円は買えないけど、数万円のならと思ったけど、いったいいつ持つんだ~と問いかける別の私あり。

ほんとにね、物は買うのは簡単。手放す時が大変。

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ドングリ

2020-11-09 | お出かけ

近所の森で見つけたドングリなど。

上段左から右へ

ブナ アラカシ ツブラジイ? 

下段左から右へ

スダジイ マテバシイ?にしては小さいので不明 ツバキ ハゼの実

と考えてみました。間違っていたら教えてください。

とりあえず玄関に飾ってみる。秋のインテリア~

もう少しいろいろと集めたいものです。

今年はなぜかドングリが楽しい。森のドングリで癒される私。。。。

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雨の日のドングリ散歩

2020-11-07 | 日記

近くの森へドングリ探しに行きます。

雨ですが、傘なし。登山服で。

森の入り口、道路とコンクリートの擁壁の間に咲くツワブキ。

ウラジロ、名前知らないササ、フユイチゴ。

イズセンリョウかな。

イヌタデ。

最高地点への道。けっこう森が深い。そして雨。

水道施設?

第一クヌギ発見。

家から2,441歩でクヌギに会う。

雨に煙る広島港。

古木多数。

ドングリ多数。この付近はアラカシ?

近所のお寺の別院。

紅葉はまだまだ。

小学校の中を歩く。

遠くにクヌギ。

古木。

葉が大きいのでウルシ?

紅い葉を踏む。

シロダモ。

花と実が同時に見られる木。花は二年目に実になる。

クサギ。林縁に見られる。


海岸に出ます。

セトノノジギク。

ハマナデシコ。

雨に煙る広島港。

マユミ。

トベラ。

ベニバナボロギク。

帰ります。


昼ご飯の準備していたらいきなり現れる孫とお嫁ちゃん。

おじいちゃんには連絡したそうですが、私は出かけていたので。

とりあえずお蕎麦食べさせて、午後からおじいちゃんが古い家具を壊すのを手伝わさせる。

道具を使って面白がってやる。

そのあと、下で遊ぶ。

いつまでも仲良くね。

一円玉で遊ぶ。

お姉ちゃんは風邪ひいて声が出ず、静かでした。夕方解散。

 

 

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藤原定家「明月記の世界」村井康彦

2020-11-06 | 読書

先月、旅行中に高松市内で購入。発行は10/21だそうで、出たばかりだったんですね。

「明月記」は平安末期から鎌倉初めに京都で活躍した歌人、藤原定家の数十年にわたる私的日記。原本は、現在、京都御苑の今出川通はさんで北側にある冷泉家の蔵の中にあり、と聞いた気がするけど、確か国宝だったはず。

明月記の研究本は過去にも何度かあったらしいけど、今すぐには読めなくなっているのでは。ハンディな新書で、全体が分かったのは大変良かった。

で、和歌を家の芸としている人に今さらではありますが、大変に筆まめだったということに感心。意外だったのが、健脚で物見高い。上皇、天皇の外出の行列を見物し、供回りの名前、服装など、手元を見ずに次々メモしているのもある。立ったまま、筆で。今で言うとキ―ボードのブラインドタッチ?素晴らしい。


定家は後鳥羽上皇の信任が厚く、新古今和歌集の選者としてあまりに有名。しかも、1201年11月、熊野詣から帰ってきて、日枝神社にお礼の参拝、その後すぐ始めている。

藤原定家と熊野詣、イメージとして結びつかないけど、和歌の好きな後鳥羽院が道中、何度も歌合わせをしたそうで、その選者として。さらに一行の一足早くを行き、その夜の宿を調達する大切な役目。

今の熊野古道、足元わらじか何かで、雨の日もあるし、先達の法師と一緒に毎日毎日、歩いて宿を決めに行く。登山のような道もある。昔の人の体力にただただ驚くばかり。

まあこの話は本筋とは関係ない。

一番の読みどころは歌の家として、いい歌を詠まなければというプレッシャーと自負、思うように貴族社会の中で位階が進んで行かない焦り、中高年以後は子供たちの活躍に喜ぶ親としての本音が吐露されていて、その部分だと思う。

勅撰集の選者、これは大変名誉なことであり、後世にいい歌を残す使命感もあり、全身全霊で務めたことだろう。これが前半生の山場。

・・・と、この後が手違いで消えてしまったのか、出てこないのか・・・

もう一度書き直す気力がわかない。

定家が身近に感じられたと同時に、著者は現在90歳。90歳でこのお仕事。文章も若々しく、定家が前妻の子に冷たく、後妻の小さな子を溺愛するところをたしなめたりして、面白かったです。

毎日の記録も続けていくと、一人の人間の人生、当時の世相、自然環境など、貴重な記録になるようです。

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「感染症の日本史」磯田道史

2020-11-05 | 読書

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先日、旅行中の宿で読了。旅には文庫本、または新書必携。私は、他に時間つぶす術を知らぬ昔人間。


NHKのテレビ番組によく出る歴史学者。大河ドラマを初め、テレビの歴史ものはわかりやすい英雄史観に陥ったものがほとんど。

しかし、私は歴史を動かすのは、後世に名前の残っていない一般人。日々働き、家族を養い、年老いて死んでいく無名の人たちの、少しでも暮らしが楽にになりたいと思う営みが長い目で見ると歴史を作っていると思っている。要するに生産活動とそれにまつわる権利の諸関係。

したがって、大河ドラマ初め、テレビの歴史番組全然見ない私ですが、磯田氏の著作の方はたくさんの資料を読み、歴史に素人の私にもわかりやすい。

映画にもなった「武士の家計簿」、本では、藩の枠にとらわれずどこででも通用する技術を身につけたものが勝ちとの結論で深く納得。

おや、他の本の感想になっているけど、もう少し続けさせてください。

加賀藩の勘定方だった・・・名前失念の武士、家計が常に赤字、それを家計簿をつけて節約し、乗り切ろうとする。時あたかも幕末、そろばん侍と揶揄された人はあれよあれよという間に、幕府討伐軍にリクルートされ、戦費の管理にかかわる。

戦争の神髄は兵站にあり。兵站無視して、武士の魂、日本国の軍人精神の発揮のしようもない。

そのことを史料をもとに具体的に描き出したのが秀逸。そして、今も昔も家計運営に苦労するのは同じ、身近に感じた。


この本では古代の感染症にも触れているが、主には江戸時代以後。今になればウィルス由来か細菌由来か分からないけれど、何度も感染症が流行る。それは外国に窓を開けていた長崎から。

祈祷やお札を受けることも普通だった時代に、天然痘の流行に対して隔離の重要性を説いた橋本伯寿。その著書には感染予防の方法も詳しいのですが、時の幕府が取り入れることはなかったそうです。

当時は日本国中、各藩に分かれていてその対策もいろいろ。しかし、隔離や領民への支援など、きちんとやれていた藩もあり、それを記録に残している。

政策を行ったら、後世に記録として残し、次に同じことがあった時の参考にする。それは政治の基本。私もしみじみとそう思う。

マスクに、観光キャンペーンに莫大な予算を割きながら、医療現場への支援はおざなり、現場の努力に期待し、任せるだけではよくないと著者ははっきり言っています。


先日一緒に旅行したのは、父方の祖父は同じ、祖母は別という人。彼女の祖母は二人の幼子を残してスペイン風邪で亡くなって、後添えに来たのが私の祖母。

大正8年、1919年に25歳で亡くなったそうで。お墓に書いてあった。

昔だから24歳、若かったわのう。

そうなんだあ、おばあさんというから年寄りと思ってたけどね。

昔の人でそんなに出歩かなかったのに、感染したんやのう。

と二人でそんなこと言い合いました。

スペイン風邪の第二波のようですね。

この時は7か月で約27万人の死者、その中の1人だったんですね。

彼女のお父さんは跡取りとして嫁もとって同居していましたが、後妻の私の祖母と折り合いが悪く、分家を立てました。

その時に2町歩の水田のうち7反くらい分けたのは、子供のころ、大人の話の端々で聞きました。

その時に私の父が三男から長男になったのです。父の死後、初めて戸籍謄本見て、生まれ順が変わったはずないのに、と驚いた私。

彼女の家は早くに農地売ってアパ―ト貸付業になり、裕福になりましたが、我が実家は田んぼ手放すのは先祖に対する裏切りという考え。父の死後、相続税に苦労しました。


今しみじみ思うのは、パンデミックで人の運命も、家の在り方も変わる。その不思議さです。

この本の最後は、高校生のころから歴史学に志したその経緯など。お名前がそれをあらわしていて、まさかペンネームではないでしょうが、不思議。

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絵付けが止まらない・本日はコウノトリ

2020-11-03 | 絵付け

西洋では赤ちゃんを連れてくるおめでたい鳥。

フランスのリボヴィレでは、屋根の上に巣を作っていました。街の鳥として、ぬいぐるみなどのお土産も。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/8566dc7ea6fbc205213747a1c66eafe9

日本では兵庫県の豊岡市で、保護し増やしている施設があります。昔は普通にいたそうですが、環境の変化で数が減り、近年、やっと自然に戻すまでに数を増やしたそうです。

2年前の情報ですが、よかったらどうぞ。

https://blog.goo.ne.jp/kawashima134/e/7910f64c2ad490e61702c29abff5f657

ということで、コウノトリ描くとなんかいいことがありそうな気がする。

絵はこちらの図鑑を参考にしました。

図鑑は写真より、大きな絵の方が分かりやすく、参考になります。

いわゆるチャイナペインティングは、筆運びも決まりがあり、写実よりは様式にのっとって描きます。

それはとても修練がいるし、教える人は少ない。いてもお稽古は高額。

私は一人で描いて一人で満足。よく描けたのだけ、焼いてもらう予定です。

他のは身近に置いて、何が足りないかしっかり考え、あとで消す。

消すのは簡単。

マニキュアの除光液を垂らし、キッチンペーパーでごしごし。これで元の白いお皿に戻ります。

水彩画とはまた違った楽しさ。

以前、習っていた時は話するのが中心で集中できなかった。今は一人で。しみじみと楽しい。

 

 

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磁器の絵付け・秋の葉とドングリを描く

2020-11-03 | 絵付け

白磁に、秋を感じる絵を描いてみました。

描いたのは11種。

モミジバフウ、ケヤキの葉、イロハモミジの実、エノキの実、ギンナン。

ドングリはコナラ、アカナラ、マテバシイ、ツブラジイ、ツクバネガシ。

名前不明のドングリの殻斗です。

こちらの図鑑を参考に。

イラストが秀逸。

ドングリたくさん。大人も見て楽しい。

とりあえず、飾りつつ、乾かします。


絵の具は多めに溶く。

筆にしっかり絵の具を付けて、一気に描く。

ちまちまと修正しない。気に入らないときは全部ふき取る。

磁器の上に絵の具を置いただけなので、きれいに取れる。そして、初めからやり直し。

何度も同じところを描かない。くどくなって素人っぽい。(素人ですが)

色と形を追求しすぎない。少ない手数で、それらしく見せる。

一番上の画像なら、大きい葉は何度も描いて、結局こわごわとした、主張のない葉に。

黄色のケヤキは一回だけ。私はこちらが好きです。ただし葉脈が黒すぎる。これ直していたら、葉の一気に描いた良さがなくなってしまうので、今回はもう諦める。次への教訓。

描き過ぎないというのは、結局、水彩画にも通じるようです。

さて、次は何を描きましょうか。

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ばあちゃんたちのお茶会

2020-11-02 | 日記

月に一度、近所の女性7人で集まってお茶会。包括支援センターからケアマネさんが来て生活の見守り、情報提供などする機会にもなっていて、その準備、9月から私がやっています。

場所は近所の集会所、利用料はかからず、調理設備、その他もあり、便利に使わせてもらっています。

参加のきっかけは何だったかな、昨年の今頃、家の前に立っていたら、たまたま誘われたんだった。

皆さん、一人暮らし、80歳代。その中に私が混ざって話が合うかなと思ったけど、ご近所なのでそれはそれなりに。まずはよかった。


新型コロナで3か月休んで、再開時には食事止めてお菓子に変わり、お役も楽になった。

備忘の為、本日用意したもの。サンドイッチ、シュークリーム、カップ入りのチーズケーキ、甘納豆の小袋、あとはお茶とコーヒー。常温の蓮茶は私が作って寄附。もう一人の方が家で炊いた豆ごはん寄附してくださって、パックに詰めて持ち帰ってもらった。

買い物と会計も私の役割。大した金額、大した人数ではないので、何とかやれている。そして皆様に少しだけお役に立てているのが、私の喜びでもあります。

初めは、その頃習っていた陶磁器の絵付けと重なるので迷った。しかし、毎月、話をしているうちに時間が過ぎて、描くのは集中できなかった。思い切って離れて、今はよかったと思っている。

家でじっくり描いて、焼いてもらってもいいんだけど、以前赤い色だけ飛んでしまったこともあったので、どうしますかねえ。

20年くらい前、描いてラッカーみたいなのを吹きかける絵付けの教室、見学に行きましたが、あれはどんな絵の具でどんなラッカーだったのか。。。。

食器として使わないならそれもありかなとも思いますが、まあ邪道でしょうか。


6年くらい前、詩人の堀口大学の評伝読んで印象に残ったのは、彼の祖母の機織りに対する真摯な態度。

廃藩置県で、収入の道を経たれた元武士の妻たちは機織りを習ったそうですが、他の人は奥様気分が抜けずに真面目に習わない。堀口家は当主が戊辰戦争で戦死、祖母は子供たちを食べさせるために必死で機織りしたそうです。息子は日本で第一号の外交官、その息子の大学は親の赴任先のヨーロッパを移り住みながら、文学へと傾倒していく。。。。

機織り習っていても、何事もいい加減な私、イマイチ覚えが悪く、出来栄えも悪い。先生にもよく叱られた。お昼休みのお弁当とおやつが楽しい出来の悪い生徒でしたが、その評伝読んで目からウロコ。

お稽古事でも、売れるくらいの作品造るつもりで、そして人に教えられるくらいにしっかり学ばないと、その入り口にも行けないことにようやく気が付いたのです。

器の絵付けも同じ、やはり描くのは静かに集中してやらないと。

おばあちゃんたちの集まりの日が変わって、また以前の教室、行こうと思えば行けるけど、話に行くだけなら、もういいわ。人生の時間を大切にして、あとで後悔ないようにしないとと、さすがにそう思う年齢になりました。


機織りはやめてから自分でじっくりするようになって、本来の楽しさが分かってきた。最近、絵付けばかりしていますが、また機織りも再開したいもの。

最近、機織り教室時代の友達から日帰り旅行に誘われて、とても嬉しく、二つ返事で行くことにしました。年下の私が、同窓会っぽい食事会ほとんどいつも声かけて企画していて、今回は誘われて、たまに誘われるのが嬉しい。

人の一生は長いようだけど、出会える人はごくわずか。その不思議な縁を大切にしなければとしみじみと思う。


地域猫の話聞いてから、私もいろいろ思うことがあり、ある「こども食堂」と連絡をとりました。飢えた猫はかわいそうだけど、私の中の優先順位は猫よりも人間の方が上。

野良猫は目につきやすいけど、充分に食べていない子供は見た限りではわからない。今は続けられるかどうかわからないけれど、気負わず、できることから始めましょうか。と、ここで書いて自分で自分を追い込んでみる。

コメント (2)
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