初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

続・RCペーパーとバライタ紙

2011年02月18日 22時09分30秒 | Weblog


カラー印画紙は最初からプラスチック紙でした

RC紙(レジン・コート紙)は水に浸けても

伸びません。

カラープリントの展示には皆、苦労しました

パネル張り用の木枠に、カラープリントを

両面テープで貼り付けて

カラープリントの大きさに合わせた

黒色やグレーの台紙に窓を開けて

カラープリントの上に貼って展示していました




バライタ紙のモノクロ(白黒)の印画紙も

製造が終わってしまいました

これもRC紙になってしまいました

もう、モノクロ作品で木枠の襖張りが

出来なくなりました




モノクロのRCぺーバーの良いところは

暗室での現像処理が

少し変わってきました



引伸機で印画紙に露光を済ませて

現像バットに印画紙を浸けますと

バライタ紙と違ってRCぺーバーは

スーッと画像が現れます

最初、少し慌てました




現像処理が終わり印画紙に残っている

最後の定着液を

取り除く水洗時間が短くて済みました




また、RCペーパーの乾燥は

短くて済みました




最後まで、バライタペーパーを製造していたのは

イギリスのイルフォードでした

冨士フィルムはイルフォードからの

OEM供給で販売を続けていました




RCペーパーとバライタ紙

2011年02月17日 23時15分14秒 | Weblog


カラーリバーサルフィルムの作品を

中間ネガ(インターネガ)を経て

カラー印画紙にプリントして

カラー作品として 展覧会に

出品できるようになりました




いままでの、モノクロ作品のみの展覧会に

カラー作品が並ぶと会場が華やいで

見えました




ネガポジ法のカラー・プリント印画紙は

それまでのモノクロ印画紙と違って

プラスチックの印画紙でした



RCペーパーと呼ばれました

レジン・コートのぺーパーです

モノクロ印画紙はバライタ紙と呼ばれて

現像処理を終わった印画紙を濡れている間に

木枠のパネルに襖張りをして作品を作っていました





プリント印画紙(モノクロ・バライタ紙)が

乾いていくと印画紙が縮んで

木枠にピンと張りついて

具合が良かったのです



カラープリント印画紙はプラスチックの

RCペーパーですから

現像処理が終わって印画紙が乾燥しても

バライタ紙のように縮まないのです

モノクロ印画作品のように

パネル張りが出来なくなりました




銀塩フィルム・インターネガ

2011年02月16日 22時26分05秒 | Weblog



カラー写真にネガポジ法が現れて初めて

モノクロ、カラーの両方とも写真を

印画紙にプリントされて手にとって

楽しめるようになりました。



カラー写真でネガポジ法が現れて

街の写真展でカラーの作品が

展示されるようになります




このネガポジ法だと、35㍉カメラで撮影した

小さなネガから全紙判の大型プリント作品が

出来るようになりました





銀塩カメラで全紙判の大型プリントを作るのには

撮影に使うカメラも大型の方が有利でした

風景を専門に作る人は、

ブロニー半裁のセミ判(645判=ろくよんごばん)とか

6×6判(ろくろくばん)、ブロニー判を使っていました





どうしてもカラー作品はリバーサルだという人がいます

35㍉リバーサルカラーから全紙判の大型プリントを

作る場合、35㍉リバーサルカラーの

原画をカラーネガフィルムで

複写します。



35㍉リバーサルカラーの原画から

全紙判の作品を作る場合

カラーネガのサイズは4×5(しのご)サイズ位の

大きなネガを作っていました




このカラーネガのことを

インターネガと呼んでいました。





千代田駅・南海電鉄(高野線)下

2011年02月15日 22時54分14秒 | Weblog


通勤のラッシュ時

ここから区間急行に乗っていました

区間急行は、途中の北野田駅まで各停です。

北野田から急行になります

堺東→天下茶屋と止まって新今宮で下車します

区間急行は片道40分ほどで新今宮に着きます



退職2年前、思いついて10分ほど長くかかりますが

各駅停車で通勤することにしました

ラッシュ時に空いた車内で本を読んだり

ウォークマンを聞きながら

のんびりと通勤です




途中の待避駅では超満員の急行が通り過ぎて行きます

帰りの電車も各駅停車でゆったりと座って帰りました



ある日、千代田駅で決まっている各停の

私がいつも座っているところに、

年配の紳士が座っていました




私は少し意外でしたが

その人の隣に座って、

どこまで乗るのか興味深く

見ていました



その人も私の降りる新今宮まで乗っているのです

世の中には私と同じ考えで各停を利用している人が

いるものですね



昨日、午後、天気予報通り雪が降り出しました




夜中に、上がりましたが

あちこち雪が残りました。



                   … … …







千代田駅・南海電鉄(高野線)・上

2011年02月14日 21時47分10秒 | Weblog



今日は、会社員で電車通勤していた数十年まえから

お世話になっていた南海電鉄・千代田駅(高野線)の

写真を2回に分けて紹介します。





朝ラッシュアワーに区間急行でなんば(大阪市内)の

一つ手前の新今宮(しんいまみや)まで乗ります

新今宮でJR環状線に乗り換えて、大阪駅の一つ手前

福島まで行っていました。






わが家から会社まで途中の歩きを入れて

約1時間10分で着きます。





銀塩フィルムあれこれ④

2011年02月13日 22時58分36秒 | Weblog


コダックからカラーフィルム(ネガ・ポジ法)が

入ってきました

コダックのイメージは黄色です。

街の写真機店の店先に黄色の旗が

はためいていました




国内のフィルムメーカーも

カラーフィルムを発売します

さくら(現・コニカミノルタ)や

富士フイルムです




コダックのベリカラー、

コダカラーX(カラーネガ)などで撮影して

それを冨士や、さくらの印画紙で

プリントして色の出具合を

楽しんでいました。



カラープリントは

自分で処理出来ませんから

冨士の特約DP店やさくらの店で

焼いてもらいました



やがて国内フィルムメーカーとコダックの

市場争いが激化します



コダックの黄色い旗と

富士フイルムのグリーンの旗が

街の写真機店ではためいています

そのうち、私にはグリーンの旗が

だんだん多く目につくようになりました




私は、大判の写真(展覧会用)を作るのに

冨士カラー(カラーネガ)を使っていました

リバーサルカラーを使って作品を作る人も

いますが、

ラチチュードの狭いリバーサルは苦手でした





冨士カラー(カラーネガ)はプリントの段階で

色の調節や焼き度が多少自由が利きます







第13回 写真倶楽部・昴展

2011年02月12日 22時47分31秒 | Weblog


私は時々、馴染みの喫茶店へ行きます

何度も行っている間に会釈を交わす

馴染みの人ができました




ある日、喫茶店で

その人が

「私の写真を見て下さい…」

と2L(キャビネ判)の作品を

見せてくれました



それからの友人です



T中さんと云われます

最近、写真を始めたようで

大阪狭山市(おおさかさやまし)の

写真クラブでがんばっておられることが

分かってきました



写真説明:白い塔はPL塔です。PL学園があります

8月1日の花火大会はここで開かれます

            … … …


その写真クラブは年2回写真展を

開いています

会場は大阪狭山市駅

(南海電鉄・高野線)の近くの市立さやかホールの

ギャラリーです




年2回ほど堺市(さかいし)の写真クラブと

富田林市(とんだばやしし)の写真クラブと

3つのクラブが合同で大きな写真展を開いています

今回、合同写真展の案内はがきをいただきました





今回の北野田駅(南海電鉄・高野線)の

堺市立東文化会館・ギャラリーで開かれていました




T中さんのクラブの指導者はM下さんです

M下さんはなんと今年95歳です



今日、展覧会場でお目にかかりました。

M下さんは元毎日新聞の従軍写真家でした

長く、中国におられたようです

:現在、大阪府下で5つの写真クラブを

指導されています

M下さんは毎日新聞出身ですから

日報連(日本報道写真連盟)の幹部です。






ファミリーマート開店

2011年02月10日 23時50分58秒 | Weblog


ファミリーマート(ファミマ)の新装開店です

以前は、国道310号線、河内長野市・原町交差点

近くにありましたが…

業績が芳しくないのか数年で閉店しました




近くに雑貨・衣料店、理髪店、写真機店、スナック、美容室

薬局などが集まった場所(集合店舗)がありました

店舗が老朽化して、1軒、1軒閉店していきました

しばらく、ゴースト店のような状態でした

家屋の隙間から覗くと、青空が見えるほどでした











平成23年2月10日(木)、ファミリーマート千代田駅前店

がオープンしました。














銀塩フィルムあれこれ③

2011年02月09日 22時09分40秒 | Weblog


カラー映画が、アメリカから入ってきたときは

色彩豊かで、総天然色と云われていました

赤、緑、青にそれぞれ感じる白黒フィルムを

プリズムを介して三本のフィルムをキャメラに

装填しますから、図体の大きな特殊なキャメラでした

この特殊なフィルムと専用のキャメラで

映画をカラー化していました

そこへ、コダックが「イーストマン・カラー」と

名付けて、カラーのネガポジ方式のフィルムを

出しました。

白黒映画ではネガフィルムは一本です

この「イーストマン・カラー」フィルムも

カラーネガフィルム一本で撮影します

日本の映画撮影所のいままでの

白黒キャメラ(ミッチェルなど)

に、この「イーストマン・カラー」を装填すれば

カラー映画が撮影できます。




日本の各撮影所はこの「イーストマン・カラー」で

カラー映画が作られるようになりました

それまで色彩映画のことを「総天然色」と称していましたが

「カラー作品」とか「カラー映画」と云うようになりました



最初のカラー写真は、リバーサルフィルムで

撮影後、反転現像をして撮影したフィルムが

出来上がりの写真になりました。

1枚だけの写真でした。




写真の方も、コダックからネガポジ方式の

カラーフィルムが入ってきました

これで、色彩写真も1枚のネガフィルムから

色んなサイズのカラープリントが出来ます





白黒写真(モノクロ)もカラー写真も

同じように印画紙にプリントして

楽しめるようになりました