経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

2023-05-28 17:26:36 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 法 堂 

 

法堂(はっとう) (重要文化財)
 

 禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所。
 内部には須弥壇のみを置きます。上堂や住持の晋山式などに使われます。須弥壇上の額「法堂」は隠元の書であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。

 法堂は、「ほうどう」と書いて「はっとう」と読みます。禅寺における重要伽藍のひとつで、説法を行うための場所です。ここは、説法の他、上堂や住持が新たに任命される、いわゆる「晋山式」としても使われます。
 寛文2年(1662年)に建立された、一重入母屋造、棧瓦葺の堂宇です。
 内部には、須弥壇のみが置かれているシンプルな造りで、中に入ってお詣りすることはできません。
 須弥壇上の扁額「法堂」は隠元の筆であり、黄檗山では唯一の楷書による大書です。外にある扁額「獅子吼」(ししく)は費隠通容の筆です。獅子吼とは、百獣の王である獅子が一度咆哮すれば百獣全てが従うことに喩えて、釈迦の説法を指します。

 

法堂 (重要文化財)

禅寺における主要伽藍のひとつで説法を行う場所

説法の他、上堂や住持が新たに任命される、

いわゆる「晋山式」としても使われます。

寛文2年(1662年)に建立された、一重入母屋造、棧瓦葺の堂宇

法堂は、「ほうどう」と書いて「はっとう」と読みます

 

扁額「獅子吼」(ししく)

費隠通容の筆です。

獅子吼とは、百獣の王である獅子が

一度咆哮すれば百獣全てが従うことに喩えて、

釈迦の説法を指します。

内陣・須弥壇

内部には、須弥壇のみが置かれているシンプルな造りで、

中に入ってお詣りすることはできません。

須弥壇上の扁額「法堂」は隠元の筆であり、

黄檗山では唯一の楷書による大書です。

 

 方 丈 
 

方丈とは、禅院住持の居間ですが、

萬福寺においては、寛文5年(1665年)に

甘露堂が建立されてからは

そこが方丈として使用されるようになったため、

東西にある両方丈は、来客の応接や特定の儀式等に使われます。

 

 

西方丈

 

西方丈

方丈としてではなく

ここ萬福寺では、来客の応接や特定の儀式等に使われます。

東方丈(非公開)

 

 巡照板 

 

萬福寺の修行僧は朝及び夜に巡照板を打ち鳴らして

各寮舎を回ります。

巡照板は、境内に5カ所あり、

長い廻廊を巡ることになりますので、

修行僧は「巡廊板」とも呼ばれます。

 

開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)
威徳殿の前に吊り下げられています。

黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。

魚梆、魚鼓とも呼ばれます。

叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる

魚の形をして法器のことです。


雲版(奥の円形物)は、

朝と昼の食事と朝課の時に打って知らせる青銅製の板です。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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◆【経営コンサルタントの独り言】 花火に仕組まれたパラシュート 528

2023-05-28 17:03:00 | 【話材】 経営コンサルタントの独り言05月


  【経営コンサルタントの独り言】 花火に仕組まれたパラシュート 528 

 

平素は、ご愛読をありがとうございます。

経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うブログで、毎日複数回つぶやいています。

 

■ 花火に仕組まれたパラシュート 528

 5月28日は「花火の日」です。
 隅田川の花火は有名ですが、「江戸の華」といわれるように江戸時代から花火大会があったのですね。
 当時の花火は、丸く美しく散るのではなく、今日では「柳」と呼ばれる花火分類に属する、流れ落ちるような花火だったようです。
 鍵屋と玉屋(鍵屋から独立)やが競い合って、その美しさを競ったそうです。
 その技術が今日に繋がっていて、日本の花火は世界的にもトップクラスといわれています。

 私が子供の頃、打ち上げられた花火から落ちてくる「落下傘(パラシュート)」が楽しみでした。
 ある日、私の家のすぐ前に落下傘が落ちてきました。
 私は、玄関から下駄を履いて出ようとするのですが、なかなか下駄を履けません。
 ようやく下駄を履いて飛び出して、落下傘を拾いに行こうとしたのですが、通りがかりのおばさんに先を越されてしまいました。
 後になって、裸足で良いから直ぐに飛び出せば良かったと悔やみました。
 今でも、その時の無念の気持ちは忘れられません。<笑い>

 (ドアノブ)

 

◆ ツイッターでのつぶやき 

konsarutanto

 

【経営コンサルタント(志望者)へのお勧めブログ】

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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺7 中国的七堂伽藍 大雄宝殿

2023-05-28 13:51:40 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺7 中国的七堂伽藍 大雄宝殿

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺7 中国的七堂伽藍 大雄宝殿

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 大雄宝殿 

 

大雄寶殿(だいおうほうでん) (重要文化財)
 

 日本の一般的な寺院の「本堂」「仏殿」にあたる建物であり、境内最大の伽藍です。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物として、大変重要かつ貴重なものです。

 文8年(1668年)に建立された、歇山重檐式(けっさんじゅうえんしき)、入母屋造の建物です。一見すると二階建てに見えるのですが、一重裳階(もこし)付きですので、その様に見えます。

 チーク材は、シャム(タイ王国の旧称)産で、隠元隆琦禅師に帰依した豪商の勝性因(かつしょういん)居士と江戸幕府の寄進によるものです。元々は、オランダ人が台湾へ築城用材として運んできたものが、台風のため長崎に漂着したものと伝えられています。

 本尊は、釈迦牟尼佛で、両脇侍は、迦葉、阿難の二尊者です。さらに両脇に、十八羅漢像が安置されています。大棟中央に火焰付、二重の宝珠、正面入口は魔除けとされる桃の実の彫刻が施された「桃戸」となっていて、左右に円窓が配されています。

 上層の額「大雄寶殿」は隠元書です。黄檗宗では、釈迦牟尼仏を奉仕する仏殿のことを「大雄宝殿(だいおうほうでん)」または「大雄殿(だいおうでん)」と呼びます。
 下層の額「萬徳尊」は木庵の書です。「萬徳尊」とは、すべての徳を備えた尊い人物という意味で、お釈迦様のことを指します。本堂内部須弥壇の上の勅額「真空」は、明治天皇の御宸筆となっています。
 建物の前には、白砂を敷いた「月台」(げったい)があります。

 

大雄宝殿(だいおうほうでん) (重要文化財)

一般的な寺院の「本堂」「仏殿」にあたる建物であり、

境内最大の伽藍

堂宇の前にある石造りのステージは「月台(げったい)」

大雄宝殿

 

 月台(げったい)
 建物の前にある、白砂を敷いたところが「月台」です。
 仏教行事は、インドでは陰暦で執り行われ、太陽神よりも月の神を上位としている。中国では、仲秋節は三大節句の一つであり、明・清時代には月を祭る行事が行われ、天地日月を祀る場所が設けられた。黄檗山では1日(新月)と15日(満月)には特別の法要を執り行い、その前日の14日と晦日に半月間の罪を懺悔する経を読む。したがって、月台は仏教と戒律と月を象徴する。月台の中心には「罰跪香頂石」(ばっきこうちょうせき)と呼ばれる長方形の平石がある。叢林の共住規約を守らなかったものが罰として線香を立て、この石上に跪き礼拝し懺悔する。また、月台の両側には丸く剪定された銀木犀(桂樹)が植えられており、「双桂樹」と呼ばれる。中国では月に生える樹木として信仰され、寺院に植えられるのが慣例だった。
 

大雄宝殿

文8年(1668年)に建立された、

歇山重檐式(けっさんじゅうえんしき)、入母屋造の建物です。

一見すると二階建てに見えるのですが、

一重裳階(もこし)付きですので、その様に見えます。

上層の額「大雄寶殿」は隠元書です。

黄檗宗では、釈迦牟尼仏を奉仕する仏殿のことを

「大雄宝殿(だいおうほうでん)」

または「大雄殿(だいおうでん)」と呼びます。
 下層の額「萬徳尊」は木庵の書です。

「萬徳尊」とは、すべての徳を備えた尊い人物という意味で、

お釈迦様のことを指します。

円窓
 日・月を象徴しています。

他の諸堂にも同じ大きさの円窓が設けられています。

  桃戸
 正面入口には、扉に彫られた「桃符」と呼ばれる

桃の実形の飾りがある「桃戸」と呼ばれる半扉があります。

桃の実の彫刻は、魔除けとなります。

香廬

大雄宝殿の内陣

本尊は、釈迦牟尼佛で、

両脇侍は、迦葉、阿難の二尊者です。

さらに両脇に、十八羅漢像が安置されています。

ご本尊の釈迦牟尼佛

両脇に安置されている十八羅漢像(左)

十八羅漢像(右)

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

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  ■ カシャリ! ひとり旅


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【ロジカル・シンキングがよく身につく】 6-7-350 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具 フローツールでロジカル・シンキングを進める リスキリング・ミニ講座

2023-05-28 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ6 思考法

  【ロジカル・シンキングがよく身につく】 6-7-350 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具 フローツールでロジカル・シンキングを進める リスキリング・ミニ講座

「筋の通った人生を送るためのリスキリング」

 この度、日本人の多くが不得意としている論理思考力体得のための書籍「ロジカル・シンキングがよくわかる本」を、新規書籍に匹敵するくらい大幅改訂をして上梓することになりました。

 ロジカル・シンキングを身に付けて、筋の通った思考をし、説得力ある表現力を身に付け、一歩上の人生を歩んでいただくことを祈念して、本書のご紹介をして参ります。

 

 

■7-3 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具

 「ロジカル・シンキング」というと難しく感じるかもしれませんが、ビジネスパーソンの皆さんは、すでに何らかのかたちでロジカル・シンキングを使っているはずです。それを更に深めて行くには、自己流では限界があります。

■7-350 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具 フローツールでロジカル・シンキングを進める

 第3章 ロジカル・シンキングの思考用具

  3-1 ロジカル・シンキングのツール
  3-2 ヒエラルキー・ツール
  3-3 フレームワークでロジカル・シンキングを進める
  3-4 フレームワーク マトリックスを使いこなす
  3-5 フローツールでロジカル・シンキングを進める

 ロジカル・シンキングを習得するには、❶論理基本、❷論理手法、❸論理用具の3項について体得するのが近道であることはお話済みです。

 頭の中だけの思考では、MECEにならなかったり、抽象的であったりしがちでず。ここでは前章で紹介した様々な思考手法を手助けするためのツールを解説します。
 ツールとして、まずはロジカル・シンキングと密接に関係する「ロジックツリー」が挙げられます。その他、フレームワークの代表的なツールである「マーケティングの4P」や、各種マトリックスのロジカル・シンキング的な利用法を学びます。そのほか、ロジカル・シンキングの助けになるツールについても復習しておきましょう。

 「ロジカル・シンキングを習得するには論理思考用具を征服せよ」と言っても過言ではないほど、ロジカル・シンキング・ツールは重要です。
 ロジカル・シンキング・ツールは、第二章と連携し、大きく3つのグループに分けて理解しますと、ロジカル・シンキングの活用がスムーズに進むでしょう。「ヒエラルキー・ツール」、「フレームワーク・ツール」、「フロー・ツール」です。

 第三章「ロジカル・シンキングの思考用具」の5節では「フローツールでロジカル・シンキングを進める」と題してお話します。
 フロー・ツールはプロセスツールとも呼ばれ、主にフロー(過程)思考に用いられるツールグループです。
 ある事象について、時間流・物流・金流・情報流・作業流といった流れの概念を取り入れて、事象全体を一連の過程(流れ)で把握・整理して考え、「ムリ・ムダ・ムラ」を避ける--という、生産性およびその品質向上のための思考法です。

 フローツールとは何かを理解していただくために、まず、どなたでもご存知のPDCAを使ってご紹介します。(PDCAに関しては当ブログ別項にて詳しくご紹介しています)
 マーケティング分野では、よく知られている「AIDMAの法則」と「商品ライフサイクル分析」で、フロー・ツールの使い方を体得していただいています。
 AIDMAの法則は、開発されたばかりの新商品の市場への紹介から受注までの一連の流れをイメージするとわかりやすいでしょう。それをロジカル・シンキング的に捉えることにより、ロジカル・シンキング的な営業活動に繋げられます。ちなみに、AIDMAの法則は、管理会計システムとして利用することにより、さらに効果を上げられると思います。
 商品ライフサイクルも、大変よく知られていますが、その活用法は意外と不充分ではないでしょうか。ロジカル・シンキング的に商品ライフサイクルを利用して下さると幸です。

 本節では、これらについてお話します。

■自己変革体験をベースにしたロジカル・シンキング書

 ビジネスに役立つ論理的思考法「ロジカル・シンキング」が図解でよくわかる入門書です。2006年に本書初版を出版してから3回の大きな改訂を含む改訂を繰り返してきたロングセラー・ビジネス書の紹介です。

 これまでは、本書出版の経緯と、類似他書外床が異なるかについてお話してきました。
 ここからは「論理思考の必要性が高まっている」についてお話してまいります。

■ 本書執筆の契機

 筆者は、必ずしも論理思考力を駆使して、商社マン10年、経営コンサルタント約半世紀を過ごしてきたわけではありません。むしろ、論理思考の必要性を痛感してきました。

 そのために、業務を通して必死に論理思考力を身に付ける努力をしました。努力をしたといいますよりは、努力をせざるを得なかったのです。
 その過程で、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングが、論理思考を業務に活かせることを発見しただけではなく、ロジカル・シンキングそのものが論理思考力を身に付けるための強化ツールであることも発見しました。

■ 他書とどこが異なるか

 論理思考に関する書籍はコーナーがひとつできるほど、いろいろな書籍が出ています。ロジカル・シンキングは、その中でも比重が非常に高く、従って既刊書の数も他の分類よりも多くなっています。

  はじめに

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/692dfe619907f019f9a684c1add0698f

 本書は、大きく、次の5つの点で他書と異なっているといえます。

 ①論理思考を不得意としている者が執筆している

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a2aa5c16f1b08723ddf21c8a752259fe


 ②講演・執筆実績から内容が進化し続けている

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/acb4602f301f23a95cbbe7e6ded381d0

 ③筆者自身の思考力養成体験から執筆している

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/5050541b16a5cae084f732d87fc44b5e

 ④ハウツー本+トレーニングブックという性格を持っている

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/dc36796bde9414e31b8fc27090b6fb57

 ロジカル・シンキングだけではなくコミュニケーション力も重視

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e6d3d4bb4f9f347885f339deef1111bc

■ 本書の内容

 本書の目次は、下記のようになっています。
  第1章 ロジカル・シンキングの基本と本質
  第2章 ロジカル・シンキングの思考手法
  第3章 ロジカル・シンキングで活用する便利なツール
  第4章 ちょっと高度なツールでロジカル・シンキングに挑戦
  第5章 ロジカル・シンキングによるニーズ把握
  第6章 ロジカル・コミュニケーションで理解を得る

 本書第1章から2章までは、論理思考力を高めるために、ロジカル・シンキングに不可欠な基本的知識を応用力として活かすには、なにが基本で、どの様な思考手法を「体得」したら良いのかという観点を重視しました。

 第3章では、ロジカル・シンキングを行う場合に必要なツールについて、どのようなツールがあり、それをどのように使ったらより効果を上げられるのか、利用面からの分類と特質を詳説しています。

 第4章以降は、ロジカル・シンキングを実務にどの様に活かすか、とりわけコミュニケーションを効果的に進めるには、ロジカル・シンキングを通した論理思考をいかに活かすかという視点で改訂しました。

 本書は、単なる読み物として、あるいは参考書としてのロジカル・シンキングではなく、実務に使いながら、論理思考力を高められるように、「思考しながら体得する」をキーワードにして追補し、改訂しました。

■ 詳細情報・ご注文

 書店でご注文して下さると幸いです。

 アマゾンでも購入できますので、こちらからのご注文でも結構です。

  図解入門ビジネス 最新ロジカル・シンキングがよくわかる本 | 今井信行 |本 | 通販 | Amazon

 


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

2023-05-28 10:03:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

 

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

 北上市は、岩手県南西部に位置し、北上盆地の中央にあります。人口は約9万2千人で、岩手県では4番目に多く、県南広域振興圏に位置し、花巻市と共に北上都市圏を形成しています。
 江戸時代には、花巻市と水沢市の間にある農業地域でしたが、工業振興を町づくりに掲げ、企業誘致に取り組みました。
 人口が増加し、マンションやホテルが相次いで建設され、教育機関が多いため、学園都市としての姿もあります。また、豊かな自然に恵まれ、交通の要衝として国道4号、JR東北本線、国道107号、JR北上線が交差し、東北新幹線、東北縦貫自動車道、東北横断自動車道釜石秋田線などの高速交通体系も整備されています。
 北上市は、農業産出額・製造品出荷額とも県下有数で、注目を集めています。また、観光地としても、展勝地、北上・みちのく芸能まつり、スキー場、キャンプ場などのアウトドア施設があります。

 

 北上市の観光名所である北上展勝地は、桜の名所として知られ、令和3年に開園100周年を迎えました。
 毎年、桜の季節に開催される「北上展勝地さくらまつり」では、多くの花見客が集まります。期間中は、川上空をこいのぼりが泳ぎ、満開の桜並木をノスタルジックな雰囲気たっぷりの観光馬車が走ります。
 また、夜にはライトアップされた桜並木が美しく川面に映し出されます。
 展勝地公園内には、約150種類の桜があり、4月中旬から5月上旬まで咲き誇ります。レストハウスでは、地元の新鮮な野菜や山菜を使用した季節料理、手打ちそば、臼杵つき餅などの郷土料理を味わうことができます。
 

 

 

 北上展勝地の桜 

 

 

陣が丘から見た北上展勝地全景

ソメイヨシノの満開の時期(案内看板より)

ライトアップされたソメイヨシノ(案内看板より)

桜トンネルは、葉桜が見事でした<笑い>

 

陣が丘から見た北上展勝地のしだれ桜

ソメイヨシノには間に合いませんでしたが、

枝垂れ桜は満開でした。

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜の並木

陣が丘から見た北上展勝地の枝垂れ桜並木にそうせせらぎ

八重紅枝垂れは、東北ではよく見られます。

ピンクがやや濃いのが特徴です。

観客のいないお猿さんの芸

 

 北上展勝地と音楽 

 

サトウ ハチロー
 1903年〈明治36年〉5月23日-1973年〈昭和48年〉11月13日 
 日本の詩人、童謡作詞家、作家
  多くの別名を用いています。
 作家の佐藤愛子氏は、異母妹にあたるのだそうです。
 「うれしいひなまつり」、「リンゴの唄」の作詞者として知られています。

 

北上夜曲(きたかみやきょく)
 1940年に、当時水沢農学校の生徒だった菊池規(1923年 - 1990年)が作詞を担当、

翌年2月に当時旧制八戸中学校の生徒だった安藤睦夫(1924年 - 2007年)が、

作曲しました。


 別名、「北上川の初恋」といいます。

蘇州や曲の知名度にちなみ

「北上夜曲」と改名されたといわれています。
 北上展勝地のある北上川の畔に歌碑が建っています。

北上夜曲化碑横に立つ「おいらん松」

 

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」1 陣が丘

宮城県北上市 桜の名所「展勝地」2 桜と音楽を愛でる

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 ご紹介

2023-05-28 10:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報 カシャリ!一人旅

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 ご紹介

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 1 主庭園池泉部 

 

 「齋藤氏庭園」(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市前谷地にあります。“東北三大地主”のひとつとして挙げられ、9代当主により明治時代に作庭された池泉回遊式庭園で、国指定名勝(平成17年7月14日 )でもあります。邸宅から背後の丘陵地まで、一体感のある空間は見る者を圧倒します。

 園内は、大きく4つのエリア(除受付・駐車場)に分けることができます。
    1 宝ケ峰縄文記念館エリア
    2 主庭園エリア
    3 奥池エリア
    4 東池エリア

 斎藤氏は、秋田県の池田市酒田の本間氏と並び近代における東北三大地主と言われています。江戸時代、二代目善兵衛の時に酒造業を始め、9代目善右衛門の時に酒造業を辞め、莫大な資産を背景に会社を設立して社長となり、衆議院議員を勤めました。

 齋藤氏庭園は、複数の池泉回遊式庭園でなり、国の名勝に指定された美しい庭園で、近代庭園として学術上も高く評価されています。園内には茅葺き屋根、一部は江戸時代から残る土蔵などの外観を見学でき、たくさんの建物や石灯籠等があります。

 齋藤氏庭園内にある宝ヶ峰遺跡に関わる縄文記念館には、遺跡から発掘された縄文時代後期の土器や矢尻などが保存展示されています。

アクセス
 JR石巻線 前谷地駅より徒歩10分
 三陸道矢本ICから車で約15分、石巻河南ICから車で約15分
 〒987-1101 宮城県石巻市前谷地字黒沢73-1

開園時間
 4月1日から11月30日まで 9時30分から16時30分まで
 12月1日から翌年の3月31日まで 9時30分から16時まで
休園日
 月曜日(注)休日を除く、休日の翌日、12月28日から翌年1月4日まで
観覧料
  個人    一般:500円  高校生:300円 小・中学生    :150円(団体割引あり)

 

斉藤氏庭園は、宮城県石巻市前谷地に位置します。

一般的には、仙台駅から東北本線で小牛田(こごた)まで50分弱、北上し

JR石巻線に乗り換え、20分ほどのところにある前谷地駅で下車します。

 

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 1 主庭園

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 2 主庭園 主屋横小池

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 3 奥池エリア

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 4 東池エリア

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 5 建物編

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 6 主屋とその周辺

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 7 宝ヶ峯縄文記念館

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【話材】 昨日05/2のつぶやき 宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

2023-05-28 07:07:00 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日05/2のつぶやき 宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/7740caebe817766fc95dcf05222ac723

晴れb5

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【きょうの人】 0528 斎藤 道三 没 戦国武将・美濃のマムシ  独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介

2023-05-28 06:33:00 | 【話材】 きょうの人05月

 

  【きょうの人】 0528 斎藤 道三 没 戦国武将・美濃の

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 斎藤 道三  没 美濃のマムシ

 さいとう どうさん
 明応3年(1494年)-弘治2年4月20日(1556年5月28日) 
 改名 長井規秀→斎藤利政→道三

 NHKの大河ドラマで、信長の義父として登場、一旦後継者として認めた息子との戦で討ち死にするというシーンは、目に焼き付きましたね。

  斎藤 利政(さいとう としまさ)は、戦国時代の武将、美濃の戦国大名で、坂口安吾「信長」や山岡荘八「織田信長」といった小説の影響により「美濃の蝮(マムシ)」という綽名でも知られています。

 娘に姉小路頼綱正室がいますが、下の娘であります帰蝶は、濃姫として知られる織田信長の正室で、NHK大河小説で一躍脚光を浴びました。

 北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型であり、名もない境遇から僧侶、油商人を経てついに戦国大名にまで成り上がった人物といわれています。(近年の研究により父と二代にわたって行われたという説が有力視されています。)

 権謀術数を用い、道三は美濃の戦国領主として天文23年(1554年)まで君臨した後、家督を譲った息子義龍と、弘治2年(1556年)4月に長良川河畔で争い、討ち死にしました。

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f


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