経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

2023-05-26 17:12:25 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 潜修禅・鼓楼 

 

 

庫裏への門

「修禅」とは、

禅定を修すること。

コトバンクによりますと「禅定(ぜんじょう)」とは

心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」

その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」

 

香椿(チャンチン)

隠元禅師が中国より持参

若葉は食すことができるそうです。

鼓楼(重要文化財)
 延宝7年(1679年)に信夢善士が建立した、

重層入母屋造、本瓦葺で、二階四周に縁と逆蓮柱付の勾欄を巡らしています。
 鐘楼と対称位置に建ち、階上に太鼓が置かれています。

朝5時開静、夜9時の開枕に鐘楼の大鐘と鼓楼の太鼓をもって、

時刻と消灯、起居動作の始終を知らせています。
 また、賓客来山の時には、鐘鼓を交鳴させて歓迎の意を表します。

二階四周に縁と逆蓮柱付の勾欄が巡らされています

 

 祖師堂 

 


 

祖師堂(重要文化財)
 寛文9年(1669年)、今津浄水居士が建立しました。

伽藍堂と対称位置に建ち、

中国禅宗の祖である達磨の像「達磨大師坐像」と、

開山隠元禅師からの歴代管長の位牌が安置されています。

祖師堂は、一般的には開山堂とも呼ばれます。

しかし、禅宗寺院の多くでは

開山堂だけではなく、祖師堂を別に設けています。

開山堂は、開山した人が祀られますが、

禅宗では、祖師堂に達磨大師が祀られます。

達磨大師坐像

中国禅宗の祖である達磨の像「達磨大師坐像」と、

開山隠元禅師以降の歴代管長の位牌が

左右に安置されています。

  達磨大師坐像
 寛文3年(1663年)に、范道生作により造立された、

木造、像高166.5cmの像です。
 もともと体全体に金色が施されていました。

現在は、下地の朱漆色が目立ちます。

萬福寺所蔵の逸然性融筆『朱衣の達磨像』や

馬言『隻履達磨図』と同様に、

前歯が2本に表現されているのが特徴です。

祖師堂屋根・破風

 

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺4 中国的七堂伽藍 寿塔と石碑亭

2023-05-26 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 


  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺4 中国的七堂伽藍 寿塔と石碑亭・合山鐘



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺4 中国的七堂伽藍 寿塔と石碑亭・合山鐘


 


 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。


 


■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。


 


■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)


 


■ アクセス


 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。


 



 



同寺サイトのコンテンツは充実していて


以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。


 


 寿 塔 


 


寿蔵(寿塔、真空塔、重要文化財)


  寛文3年(1663年)に建立された、本瓦葺六角堂で、屋根は宝形造となっていて、頂に路盤・宝珠が配されています。屋根の六方には、中国の仙人を表した鬼瓦があります。寿蔵の瓦は、舎利殿とともに寺島藤右衛門によって寄進されました。
 半円形石垣に囲まれていて、周囲の柵から中へは入れません。
 これらの特徴は、中国の墳墓の形式を忠実に踏襲したものです。
 寿蔵は隠元の生前に、木庵を中心に法子・法孫らにより隠元の墳墓として築造されていました。中央円窓戸板の題「寿蔵」は隠元の書で、勅額「眞空塔」は、霊元天皇の宸筆です。
 


 


 



寿塔 重要文化財


開山堂の裏手に立つ、六角の建物



 



 



中央円窓戸板の題「寿蔵」は隠元の書で、


勅額「眞空塔」は、霊元天皇の宸筆です。



屋根の六方には、中国の仙人を表した鬼瓦があります。



本瓦葺六角堂で、屋根は宝形造となっていて、


頂に路盤・宝珠が配されています。



回廊



石碑亭(せきひてい、重要文化財)
 宝永6年(1709年)に建立されました。内部の亀趺付きの顕彰碑には、隠元の特賜大光普照國師塔銘が刻まれています。



合山鐘と並んで立つ石碑


亀の上に立っています。



 



石碑亭まえで回廊が右に曲がります。


正面に梵鐘が下がっています。



合山鐘(がっさんしょう)
 開山堂の正面回廊の途中に吊るされている雲紋梵鐘で、
 開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭にのみ鳴らされる梵鐘です。



第6代千呆性侒によって元禄9年(1696年)に再鋳されました。



合山鐘の下に鬼瓦


 










































中国的七堂伽藍を巡る


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de


門と回廊


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258


開山堂


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866


寿塔と石碑亭


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159


潜脩禅・鼓楼・祖師堂


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159


天王殿 当寺の玄関


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb


大雄宝殿 最大伽藍


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d


法堂・鐘楼・開梆・雲版


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479


庭園と放生池


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38



 





  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm





  ■ カシャリ! ひとり旅





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【話材】 昨日05/2のつぶやき 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

2023-05-26 06:52:59 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日05/2のつぶやき 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8f84a1cb6e7280fb1559b1fd2f9e4d7a

晴れ

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【きょうの人】 0526 木戸 孝允 没 鞍馬天狗のお話にも登場する

2023-05-26 06:33:00 | 【話材】 きょうの人05月

 

  【きょうの人】 0526 木戸 孝允 没 鞍馬天狗のお話にも登場する

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 木戸 孝允 没

 きど たかよし/きどこういん
 天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日)

 長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。

 長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しました。

 特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続けました。鞍馬天狗の話の中にも、桂小五郎として登場します。

 維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けました。

 文明開化を推進する一方で、版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に努め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えました。

 海外視察も行い、帰朝後は、かねて建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に努め、一層の士族授産を推進しました。

 長州藩主・毛利敬親や明治天皇から厚い信頼をうけました。

 一方で、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神的苦悩が絶えませんでした。

 西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、夢の中でも西郷隆盛を叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったといわれています。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする