経営コンサルタントへの道

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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

2023-05-29 14:06:52 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

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■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺9 中国的七堂伽藍 枯山水と池泉廻遊式日本庭園

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

黄檗山萬福寺には、枯山水や池泉廻遊式の複数の庭園があります。

その中から4つの庭園をご紹介します。

 

 石 條 

 

石條(せきじょう)
境内に縦横に走っている参道は、

正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ

特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。

中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、

黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、

菱形の石の上立てるのは住持のみです。

私達参拝者は、菱形石の上も歩いてよいと

受付でいわれました。

石條は、境内処々にあります。

重要文化財「通玄門」は、

開山堂にはいるための正門ですが、

ここも、やはり中央に

 

 放生池 

 

放生池 (ほうじょういけ)
 

 寛文4年(1664年)の造営です。萬福寺の造立が1661年ですので、その3年後に造られたことになります。
 総門を入ってすぐ右手に半月型をした池があります。放生池で、風水上の機能があります。
 ここでは、「放生会(ほうじょうえ)」という儀式が行われます。隠元禅師の放生思想は、明代の雲棲祩宏などの放生運動を受けたもので、「雲棲大師戒殺放生文」の跋文ほか放生を勧める法語が多いのが特徴です。
 放生会(ほうじょうえ)とは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教的な儀式です。
 放生会は古代インドに起源をもつ行事で中国や日本にも伝えられてきました。また、インド由来の六道輪廻説と中国の孝道が一体化したものともいいます。

 

放生池(ほうじょういけ)南側

放生池 北側

 

 庭園「中和園」枯山水庭園 

 

  1972年(昭和47年)、隠元の300年大遠諱に合わせて整備されました。

名称は、当地にあった大和田御殿に後水尾天皇の生母である中和門院が、

そこに住われていたことにちなんで「中和園」と命名されました。
枯山水庭園と池泉廻遊式日本庭園とがあります。

 

天王殿の方向に行く回廊右手に中和園はあります。

中和園 枯山水庭園

中和園は中和門院の屋敷である大和田御殿跡にあります。

  中和門院が日常的に使用されていた

中和井(ちゅうわせい)という井戸が

上記写真のほぼ中央にあります。

 

中和井も見えます。

 

 庭園「中和園」池泉廻遊式庭園 

 

上述「中和園」枯山水庭園に続いて

池泉廻遊式庭園があります。

 

 

 

 

 

 天王殿庭園 

 

天王殿を背にして右手に中和園の枯山水・池泉廻遊式日本庭園があります。

左前に睡蓮池があります。

 

天王殿テラスから池を見下ろす

奥の建物は天王殿

4~5月にかけて睡蓮が素晴らしいでしょう。

天王殿横の回廊を見ながら睡蓮の池を見る

 

 売茶堂庭園 

 

 1928年(昭和3年)に創建された、

煎茶の祖であり、黄檗僧である

月海元昭禅師が祀られています。

月海は、京都の鴨川畔に茶屋を開き、

各地に煎茶筵を設け、茶を売り、

売茶翁や高遊外と称されました。

禅師像は、加納鉄哉の作です。
庭園の手入れ作業中で、

庭園を見ることができませんでした。

 

売茶堂

庭園作業中をお邪魔しました。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-56 PDCAの「A:対策(Action)」のあり方を見直す

2023-05-29 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-56 PDCAの「A:対策(Action)」のあり方を見直す

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部3章 【管理編】 プロの管理職のための”新たな”PDCAと活用法 

 これまで第2章として、ホンモノのリーダーシップについてお話して参りました。

 そのリーダーシップと不可分にあるのがPDCAです。

 「いまさら、PDCAについて学ぼうとする人間なんていないよ」
 「もう、PDCAは古い!」

 このような声を聞くような時代になりました。それほど、PDCAが言い古されてきているのです。しかし、本当にPDCAが実行されているのでしょうか。そして、PDCAの効果が出ているのでしょうか。

 多くの方が、知識として知っていても、実行に移せていない人が多いのが「PDCA」です。

 一方で、「PDCAを常に意識しています」、という人もいます。ところが、本当にPDCAにより効果を上げられているのでしょうか?大半の方が、「効果を上げている”つもり”」であって、実際には、PDCAが適正に実行されていないがために、機会損失を起こしているのです。

 正しいPDCAとは何か?
 正しいPDCAの使い方とは?

 謙虚に、再度、PDCAに取り組んでみては如何でしょうか。あなたのPDCAとは違ったPDCAがあるかもしれません。

■ 3-56 PDCAの「A:対策(Action)」のあり方を見直す

 既述のように、単発で終わる場合には、「A:対策(Action)」は、「C:チェック(check)」にもとづき、どの様な問題があり、それに対して対応策を打ちます。
 ところが、多くの企業では、それが次のPDCAに連続します。すなわち、「A:対策(Action)」は、「C:チェック(check)」をもとに、「P:計画(Plan)」に組み込まれますので、私どもでは、「A:対策(Action)」を独立して行うのではなく、CやPの一環として行うことを前提としています。

 前項でご紹介しましたように「C:チェック(check)」の段階で、システム連携してデータを加工しますと、それまであれば便利とわかっていながら、下項に手間がかかる情報を創り出すことができます。

 営業部門を例に考えてみましょう。
 SFAのシステムを利用できますと、販売管理システムや財務管理システムなどの基幹業務システムと連携しやすいですが、導入していないところも多いでしょう。
 導入していないところでは、営業日報など、報告書と、これらのシステムをリンクさせることにより、同様なことができます。
 システムを連携することにより、それまではできなかった、きめ細かな分析ができるようになります。
 たとえば、ある営業パーソンが、一か月にどのくらいの訪問件数実績があるか、それには、どのくらいの時間を費やしているのか、そのためにいくらの経費を上げ、いくらの利益を稼いでいるのかなど、営業パーソン管理上のデータは容易に出てきます。

 ある営業パーソンは、顧客訪問に熱心で、訪問件数もずば抜けて多いのですが、売上や受注などの実績に繋がっていません。
 「営業は足で稼ぐ」を地で行っているこの営業パーソンは、なぜ、営業成績が良くないのでしょうか。

 すでに「トレーラーの生産性論」で学びましたように、営業パーソンの活動と業績というのは、何らかの関連性があります。
 営業日報や基幹業務システムのデータをリンクして分析しますと、図にありますように、営業パーソンをいくつかのタイプに分けることができます。
 当該営業パーソンが、そのどこに当てはまるかにより、管理職の立場であればアドバイスの仕方が変わります。営業パーソン本人であれば、どこに問題があるのかを気づくことができます。
 この事例にあります営業パーソンは、訪問件数は多いのに受注や売上高が少ないのです。
 訪問件数が多いことは良いことですが、「トレーラーの生産性論」の分子を思い出して下さい。分子は「行動の量×行動の質」です。
 分子を大きくすることが生産性を高めることですので、行動の量が多い上に、さらに生産性を高めるためには、行動の質を高めなければなりません。

 

【 注 】 PDCA詳細情報

「ロジカル・シンキングがよくわかる本」(今井信行著 秀和システム刊 1,760円)の第3章5節で詳しく説明しています。

ご購入は書店または下記よりamazonで

https://www.amazon.co.jp/%E5%9B%B3%E8%A7%A3%E5%85%A5%E9%96%80%E3%83%93%E3%82%B8%E3%83%8D%E3%82%B9-%E6%9C%80%E6%96%B0%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%8C%E3%82%88%E3%81%8F%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8B%E6%9C%AC-%E4%BB%8A%E4%BA%95%E4%BF%A1%E8%A1%8C/dp/4798068896/ref=sr_1_4?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E4%BB%8A%E4%BA%95%E4%BF%A1%E8%A1%8C&qid=1679879669&s=books&sr=1-4

 

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■【きょうの人】 0529 与謝野 晶子 日本の歌人、作家であり、思想家  独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介

2023-05-29 06:33:00 | 【話材】 きょうの人05月

 

  【きょうの人】 0529 与謝野 晶子 日本の歌人、作家であり、思想家

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 与謝野 晶子 日本の歌人、作家であり、思想家

 正字: 與謝野 晶子 戸籍名与謝野 志やう(よさの しょう)
 よさの あきこ
 1878年(明治11年)12月7日 - 1942年(昭和17年)5月29日)

 日本の歌人、作家であり、思想家ともいえます。

 旧姓鳳(ほう)、ペンネームの「晶子」の「晶」は、本名の「しょう」から取ったといわれています。

 夫は、歌人の与謝野鉄幹(与謝野寛)であることはよく知られています。夫妻で、雑誌『明星』に短歌を発表しロマン主義文学の中心的人物といえます。

 浪華青年文学会に参加の後、1900年(明治33年)、浜寺公園の旅館で行なわれました歌会で歌人・与謝野鉄幹と不倫の関係になりました。

 鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表し、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』(鳳晶子)を刊行しました。これにより浪漫派の歌人としてのスタイルを確立したといえます。

 その際に詠んだ 「いざ、天の日は我がために金の車をきしらせよ、 颶風の羽は東より いざ、こころよく我を追へ。黄泉の底まで、なきながら、 頼む男を尋ねたる、その昔にもえや劣る。 女の恋のせつなさよ。晶子や物に狂ふらん、 燃ゆる我が火を抱きながら、 天がけりゆく、西へ行く、 巴里の君へ逢ひに行く。与謝野晶子」と書かれた石碑が、ウラジオストクの極東連邦大学東洋学院の敷地にあります。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

 


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【話材】 昨日05/28のつぶやき 宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

2023-05-29 06:02:44 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【話材】 昨日05/28のつぶやき 宇治市 黄檗宗大本山萬福寺8 中国的七堂伽藍 大雄宝殿・方丈・巡照板

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/03fc21e394eadcc2afc901254676299f

  ■【今日は何の日】 5月29日 ■ エベレスト登頂記念日 ■ 肉の日  一年365日、毎日が何かの日

傘

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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