経営コンサルタントへの道

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■【あたりまえ経営のすすめ】3部 ビジネスパーソン編 02 ハーバードビジネススクールで唱える学ぶ上で最も重要なこと 0512

2023-06-26 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ3 ビジネスパーソン

■【あたりまえ経営のすすめ】3部 ビジネスパーソン編 02 ハーバードビジネススクールで唱える学ぶ上で最も重要なこと 0512

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 ビジネスパーソンも、“真”のプロでなければ勝ち残りは愚か、生き残りもできません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 経営に王道なし

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 3部 【あたりまえ経営のすすめ ビジネスパーソン編】 ビジネスパーソンがめざす一歩上の発想とスキル

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。

 将来社会を担うビジネスパーソンのためのテーマでもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。この論理を「痛感できる」ビジネスパーソンでなければなりません。

 時代に即したスキルを磨きながら、業務に活かし、自分の更なる成長に繋げるにはどうしたらよいのでしょうか。その方法は、多岐にわたると思いますが、そのヒントとして、一助になるように、半世紀にわたる経営コンサルタント歴からお話して参りますので、参考にしてくださると幸いです。

 ビジネスパーソンは、常に「管理とは何か」を知り、自己管理ができなければなりません。ただしい「管理」を理解し、実践する❷は、「温かい管理」とは何かを正しく理解しなければ、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、ビジネスパーソンなら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、莫迦にしないで、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 士業・コンサルタントなど専門業とする先生方は、それを自分のものにし、現場では自分の体から出るオーラのごとく、相手に「感じさせる」ことができるようにして下さい。

■ 第3部1章 ビジネスパーソンとして成功する術

 他の人と、同じやり方をしていては、どんぐりの背比べになってしまいます。存在感を示すためにも、自分自身を「差異化(差別化)」しましょう。

 それが、ご自身の成長に繋がるでしょうし、ビジネスパーソンとして元気に生きて行くことができるようになるでしょう。

 それをどの様に身に付けて、どの様に活かしていったら良いのでしょうか。自分自身で立ち止まって考えてみることも重要です。

■ 3-1-02 ハーバードビジネススクールで唱える学ぶ上で最も重要なこと 0512

 ハーバードビジネススクールが、学生達に求めることとして、MBA教育の目的として以下のように記述されています。(日経新聞「私の履歴書」2002.11.90

   ハーバードビジネススクールで学ぶ最も重要なことは
   状況がはっきりしていないまま、
   限られた情報と限られた時間の中で、
   いかにに事態を分析し、
   判断を下すことである。

 現代の世界は、何が起こるのか、確実性を求めますと、「情報が不十分なので、結論を出すことは不可能です」というような答が返ってくることが多いです。

 われわれ経営コンサルタントは、それまでほとんど知らない企業に赴いて、その企業の問題点を明確にして、解決に取り組んだり、将来を見据えて、その企業の更なる発展を望める提案をしたりと、限られた情報による不確実な中で、判断をし、仕事をせざるを得ません。

 それでは、どの様に、私達、真のプロフェッショナルな経営コンサルタントは仕事に取り組むのでしょうか。

 「不確実で、不十分な情報の中で、今判断をするとしたら、この様な判断の下で、このように提案をします」という姿勢で取り組みます。

 このやり方には、異論が出ると考えますが、上記のハーバードビジネススクールの学生に求められる基本理念からもわかりますように、上述の姿勢がベターな策と考えています。

 一方で、不確実で不十分な情報の環境下で、最善の判断ができるかどうかが、プロなのか、セミプロなのかの分かれ目であり、“真”のプロフェッショナルとしての判断を下せることが求められているのです。

<次項に続く>

 

■【あたりまえ経営のすすめ】 バックナンバー

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■【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎 ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

2023-06-26 06:33:00 | 【話材】 きょうの人06月

 

  【きょうの人】 0626 ■ 最澄(伝教大師) ■ 木戸 孝允 ■ 山川健次郎 ■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

 山川健次郎 没

 やまかわ けんじろう
 1854年9月9日(嘉永7年閏7月17日)- 1931年(昭和6年)6月26日

 明治時代から昭和初期にかけての日本の物理学者であり、教育者でもあります。男爵の爵位を持っていました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 会津藩出身で、白虎隊の兵士として明治政府と戦った勇者でもあります。国費で米国留学をして、東京帝国大学(東京大学の前身)に登用されました。東京帝国大学総長や九州帝国大学(九州大学の前身)の初代総長など、多数の大学等で共育に携わってきました。

 少年期に、白虎隊に入隊していたの時の経験を元に著した、戊辰戦争を会津藩側の立場から見た『会津戊辰戦史』はM死後の昭和7年(1932年)に出版されました。この本は旧幕府軍側を「東軍」新政府軍側を「西軍」と書いた初めての本です。

 会津藩に対する忠誠心は、壮年期以降は「愛国心」に転じ、日露戦争の時にはすでに東大総長であったにも関わらず陸軍に「一兵卒として従軍させろ」と押し掛けたという逸話もあります。

「はじめてカレーライスを食べた日本人」と諸本で紹介されていますが、定かではありません。しかし、明治4年(1871年)に、国費留学生としてアメリカに向かう船中で、カレーライスを食べたという記述が回想録に書き残されています。しかし、カレーライスを選んだのは、それが唯一米を使った料理でしたからで、カレーはすべて残したといわれています。

 

■ 木戸 孝允 生誕

 きど たかよし/きどこういん
 天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日)

 長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。

 長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しました。

 特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続けました。鞍馬天狗の話の中にも、桂小五郎として登場します。

 維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けました。

 文明開化を推進する一方で、版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に努め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えました。

 海外視察も行い、帰朝後は、かねて建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に努め、一層の士族授産を推進しました。

 長州藩主・毛利敬親や明治天皇から厚い信頼をうけました。

 一方で、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神的苦悩が絶えませんでした。

 西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、夢の中でも西郷隆盛を叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったといわれています。


■ 松平 乗保 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中

 まつだいら のりやす
 寛延元年(1748年)-文政9年6月26日(1826年7月30日)

 江戸時代中期から後期にかけての大名・老中で、美濃国岩村藩主で従四位下・侍従の官位を賜っています。

 丹波国福知山藩5代藩主・朽木玄綱の八男として誕生しましたが、先代藩主・松平乗薀の長男の乗国、次男の乗遠がいずれも早世し、玄綱が初代藩主・乗紀の息子であったことから養子に迎えられ、養父の隠居により家督を相続しました。奏者番、若年寄、大坂城代、西丸老中などを歴任しました。

 1826年(文政9年) 6月26日に、老中在職のまま死去しました。享年78歳でした。


■ 最澄(伝教大師)

 さいちょう、でんぎょうだいし
 神護景雲元年(767年)8月18日-弘仁13年6月4日(822年6月26日)

 平安時代の僧で、天台宗の開祖であり、伝教大師として広く知られています。

 生地は、近江国滋賀郡古市郷(現:滋賀県大津市・坂本)で、生源寺で、俗名は三津首広野(みつのおびとひろの)です。

 生年に関しては天平神護2年(766年)説も存在します。

 十二歳で比叡山に登り、研究修行を積みました。

 延暦23年に空海と共に、中国に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となりました。

 なお、最澄に唱える言葉は「南無宗祖根本伝教大師福聚金剛」です。

 

にっこり

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【話材】 昨日06/25のつぶやき 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖

2023-06-26 06:30:32 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日06/25のつぶやき 鑑真和上 奈良時代の帰化僧で、日本における律宗の開祖

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/29a527e26d5a1a1e955d359c27e57bcf

曇り

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

◆【経営コンサルタントの独り言】 ■ 野球とイメージ力のトレーニング 625 二兎を追うブログ

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 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

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