経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!ひとり旅】 福島 吾妻連峰を借景に池泉廻遊式日本庭園「浄楽園」を巡る (ユーチューブのリンク付き)

2024-08-30 17:03:00 | ユーチューブで視る【カシャリ!ひとり旅】

 

  【カシャリ!ひとり旅】 福島 吾妻連峰を借景に池泉廻遊式日本庭園「浄楽園」を巡る

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 福島県福島市 温泉と果物の街

   https://www.city.fukushima.fukushima.jp/

■ 地理


 福島市は、福島県の北東部に位置し、猪苗代湖から北東へ約50km、東京から北へ約260kmのところに位置しています。

 福島県中通りの北部に位置する市で、県庁所在地であり、中核市に指定されています。

 西側の奥羽山脈と東側の阿武隈高地に挟まれた福島盆地の南西部分とその周辺の山岳・丘陵地域が主な市域です。市内からは西に吾妻連峰を、南西に安達太良山を仰ぐことができます。

 北流する阿武隈川を中心に福島盆地を形成していていて、奥羽山脈を源とする摺上川、松川、荒川等がそれぞれ市西部に扇状地をつくりながら東流し阿武隈川に注いでいます。

 福島市は日本海側と太平洋側の中間の気候であり、夏と冬で気温差の激しい盆地特有の内陸性気候の特徴を示しています。

■ 歴史
 

 江戸時代以前より、福島城(杉妻城、大仏城)の城下町として町並みを形成してきました。福島藩時代には、幕府直轄領、本多家(徳川四天王本多忠勝の一族)、堀田家(老中を多く輩出した家)と藩主が変わりました。

 江戸中期になると徳川将軍家との関係が深い重昌流板倉家が治めることになり、福島藩は会津藩に次ぐ石高を有しました。

■ 産業
 

 明治以降の福島は蚕種、生糸、織物の集散地として栄え、日本銀行の支店を函館に続き東日本で2番目(全国7番目)に開設しました。

 1990年代には、東北新幹線と山形新幹線が福島駅で分岐することになり、また2020年代には東北自動車道と東北中央自動車道が交わるという、交通の要所でもあります。

 第一次産業の面では、福島県内第1位の農業産出額です。特に全国有数の収穫量を誇る桃をはじめ、梨など果樹の栽培が盛んで「果物王国」の異名を持っています。

 観光の面では山の名所が点在し、個性ある温泉街を複数抱えています。東北地方唯一のJRA福島競馬場を有し、経済面で寄与しています。

 日本一の大きいわらじを担ぐ祭事の信夫三山暁まいり(わらじまつり)が有名です。

 山の名所としては、国立公園にも指定を受けている浄土平から福島のシンボルともいえる吾妻小富士のお鉢巡りがあります。市街地からほど近くで福島盆地を見渡せる信夫山や、花見の名所でもあり「福島に桃源郷あり」とも唄われる花見山公園もあります。

 福島市内に代表的な温泉街が3か所あります。その代表が、ヤマトタケルが残る古い歴史を有する古湯である飯坂温泉です。また、全国有数の高濃度硫黄泉で知られる高湯温泉、伝統工芸品のこけし発祥地として有名な土湯温泉があります。

 令和初期の時点で福島市で唯一の名誉市民であり、昭和時代に数多くの行進曲、応援歌、校歌を手掛けた作曲家である古関裕而の出身地としても知られています。

 

■ アクセス

 

【東北新幹線】東京から:1時間32分 仙台から:25分
【山形新幹線】山形から:1時間

【東北自動車道】浦和ICから福島西ICまで:3時間

 

■ 「浄楽園」 吾妻連峰を借景に池泉廻遊式日本庭園

   http://www.jyourakuen.jp/

 

 福島市街地から、車で20分ほどの所に位置します。

 

 福島県の名峰・吾妻連峰の四季を背景にした室町時代の趣をもつ池泉廻遊式庭園です。

 

 約2万5千平方メートルの広大な敷地に赤松、五葉松、さくらなどの樹木とあやめ、睡蓮、石楠花など花々にいろいろな形状の石を主体にした庭園です。


 野鳥の声を聞きながら、四季折々の花を鑑賞できます。

 

 〒960-2151 福島県福島市桜本字荒神38(アクセス)
 TEL 024-591-1304

◆開園期間 3月20日(年により異なる)~11月30日 (※開園期間中は無休)
◆開園時間 9:00~17:00(10月以降は16:30)
◆入場料 大人 500円 団体割引(20名様以上)450円 子供及び障害者 250円

アクセス

バス:JR福島駅西口バスターミナルより
   →福島交通(水保・土船行き)→原の町下車→徒歩10分
   →福島交通(高湯・上姥堂行き)→中谷地下車→徒歩15分

車 :東北自動車道 福島西ICから約15分
   国道115号線を土湯方面へ、フルーツラインを右へ入り進行方向左側
   看板を目印においでください。
 

 

 

 遠くに、雪をかぶる吾妻連峰を背景に、福島を代表するももの花、

それにアクセントを付けているのがレンギョウです。
 浄楽園には、福島西ICから車で約15分で行けます。

国道115号線を土湯方面へ向かい、フルーツラインを右折しますと

進行方向左側に浄楽園を示す看板があります。
 

 

浄楽園の案内板に従って道を折れますと、

遠くに桜がこんもりと茂っているのが見えます。

大型バスも駐車できる、広く、桜に囲まれた駐車場が、

浄楽園の人気を物語っています。

 

 

 浄楽園は、福島三桜の一つに数えられる桜の名園でもあります。
 入口を入ると正面に立派なしだれ桜がデンと構えて、

思わず「おー」という声を漏らしてしまいました。

 福島の三大桜というのは、ここ浄楽園のほか、

白河の南湖や松川の桜が含まれます。

福島市内には、花見山公園や信夫山公園、

また、福島市の東には、

日本三大桜のひとつであります「三春の滝桜」があります。
 

 

 浄楽園のハイライトであります、たくさんの石を擁した、

廻遊式の池に続く道には、

石楠花をはじめ、いろいろな花が、道端を飾っています。
 

面積約25.000平方メートルに赤松・五葉松・石を主体にした、

池泉廻遊式純日本庭園です。

金閣寺などを手がける一流庭師により、

十余年の歳月をかけて完成したそうです。
 

 

 

立派な建物の四阿や、休憩所には、

赤い傘や赤毛氈が敷かれています。
休憩所で、お菓子のついたお抹茶を一服いただきました。

 

 休憩所の前には、筧がかかり、苔むした岩に流れ落ちています。

流れ落ちる音が、心に安らぎを醸し出してくれました。


 緑の松や四季折々の花を愛でながら、野鳥の声も楽しめます。

さらに奥に進みますと、いろいろな形をした石が水辺に配されています。
 

 

 池を半周したあたりから、先ほど一服のお茶を嗜んだ休憩所や四阿が、

チラリチラリと姿を現します。
 松と池だけでも、日常の風景とは異なり、心が安らぎますのに、

その上、松、岩、池にこれらの建物の組み合わせが次々と変化し、

絵になる景色の連続をもたらせてくれます。

 

 

 

 池の広いところに出てきました。
 空の青と、松の緑が水面に映っています。

 いろいろな形をした石が、処々に配されています。
 オヤッと、思う様な形をした、大きな石も見えます。

浄楽園は、金閣寺の庭園を手がけたりしている

玉根徳四郎さんが作庭したからでしょうか、

室町時代的な池泉廻遊式庭園の良さを感じさせてくれます。
 

 

福島の名峰・吾妻連峰を借景とした浄楽園も見納めです。

 

 

池泉廻遊式庭園「浄楽園」

↑ クリック

 

100数十枚の写真や動画を10余分にまとめ

ユーチューブにアップロードしました。

 

 

 

 

 

■ カシャリ! ひとり旅

 


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【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 6 アテンド客との同行でロングアイランドへ

2024-08-30 12:03:00 | 【連載小説】竹根好助の経営コンサルタント起業

  【小説】竹根好助の経営コンサルタント起業5章 中小企業を育てる 6 アテンド客との同行でロングアイランドへ 

 
■ 【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。
 これからコンサルタントを目指す人の参考になればと、私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。 原稿ができた分を、原則として、毎週金曜日に皆様にお届けします。
【これまであらすじ】
 竹根好助は、私の会社の後継者で、ベテランの経営コンサルタントでもあります。
 その竹根が経営コンサルタントに転身する前、どのような状況で、どの様な心情で、なぜ経営コンサルタントとして再スタートを切ったのかというお話です。

 1ドルが360円の時代、すなわち1970年のことでした。入社して、まだ1年半にも満たないときに、福田商事が、アメリカ駐在事務所を開設するという重大発表がありました。
 角菊貿易事業部長の推薦する佐藤ではなく、初代駐在所長に竹根が選ばれました。それを面白く思わない人もいる中で、竹根はニューヨークに赴任します。慣れない市場、おぼつかないビジネス経験の竹根は、日常業務に加え、商社マンの業務の一つであるアテンドというなれない業務もあります。苦闘の連続の竹根には、次々と難問が押し寄せてくるのです。
 日常業務をこなしながら、アテンドという商社マンにつきものの業務を自分なりに見つめ直す竹根です。

◆5章 中小企業を育てる
 商社マンは、商品を輸出すれば良い、というのが、それまでの商社の生き方でした。
 はたしてそれで良いのか、疑問に纏われながらの竹根好助でした。その竹根が、何とか現状で仕事をしながら活路を見いだそうと考えていました。
  ※ 直前号をお読みくださるとストーリーが続きます。
     直前号 ←クリック

◆5-6 アテンド客との同行でロングアイランドへ
 午後は、ケント光学の北野原社長と、ロングアイランドにある顕微鏡を主体とした光学機器の販売店に行くことになっている。
「これから行くところは、竹根さんの知っているところかい?」
「いいえ、先々週初めて電話をしたところ、快く社長の訪問を受け入れてくれました。アメリカ人というのは、自分にプラスにならないとなかなか会ってくれないようなのです。ニューヨークといっても、ロングアイランドにあり、まだ田舎の良いところが残っていて、いわゆるヤンキーの伝統的な良さを持ち続けているようです」
「ケントの顕微鏡が売れるようなところだろうか?」
 ニューヨークの喧噪から離れた、マンハッタン島の東にある東西に細長い、その名を表すようなロングアイランドである。
「不勉強で申し訳ありません。私もアメリカでどのような顕微鏡が売れているのかよく知りません。それどころか、社長の会社で二日間の研修を受けながら触らせてもらったのが十何年ぶりというお恥ずかしい次第です」
「福田商事は、事務機、電子機器、文房具、学校教材、理化学機器など幅広いから、当たり前だよね」

 昨日の雪で、郊外に入るとさすがに雪の積もっているところが多い。高速道路で四十五分ほどのところにあるフィルモア光学に近いインターを出た。高速道路がほぼ西から東に延びているので、高速道路をおりてから右方向、すなわち南に数マイル行ったところである。さらにその道をまっすぐ行くと大西洋だ。運転には自信のある竹根だが、高速道路をおりた雪道はさすがに怖い。VIPを乗せているだけに慎重だ。
 フィルモア社長は、大学の医学部の学生を対象としたビジネスが核であるために、光源つきの、安価な単眼顕微鏡が中心である。安価といっても、ケントの顕微鏡はおもちゃのようなレベルであることがわかった。
 ケントの双眼顕微鏡が安く作れるのであれば、ライバルが嘆願顕微鏡を中心にしているだけに差異化(差別化)ができてビジネスがうまく行くのではないかと竹根は心の中で思った。口にしなかったのは、今のケント光学の力では、双眼顕微鏡を安く作れるだけの力を持っていないことを承知しているからである。

 帰りに、ロングアイランドを東に、すなわち東端方向にさらに三十分ほど行ったところにある漁港のレストランまで足を伸ばした。大西洋の波が押し寄せる海岸に建っている。時間的にディナー時間までには早いこともあるからだろうが、客は竹根たちだけである。窓側の席に案内された。
 レストランのほぼ中央に大きな水槽がある。水槽にいるメインロブスターを自分で選ぶと、それを料理してくれる。日本の伊勢エビとは比べものにならないほど大きい。左のはさみが異常に大きく、挟まれたら痛いだろうと思いながら一匹ずつ、二人で格闘することになった。
 北野原の要望で、しっぽの部分は生で出してもらった。醤油はないが、何もつけずに口にほおばるとプリプリした新鮮な歯あたり、甘味が口に広がり、かくもうまいものがこの世にあるのかと二人とも夢中になった。言葉もない。ひたすら、皮をむき、身を食べて行く。
 白ワインでも飲みたいところなのだろうが、運転をする竹根のことを考えて、さすがに北野原はアルコールを控えた。

 ホテルに戻ってから、近所のバーに入った。ピアノがおいてあり、曲を選ぶとピアニストが演奏をし、それにあわせて歌を歌うのである。ピアノバーと呼ぶことを日本人から教えられていた。今日のカラオケの前進のようなお店である。北野原が美空ひばりの悲しい酒を頼むと、ピアニストが上手に弾いてくれる。日本を思い浮かべているのか、昔を懐かしんでいるのか、北野原も良い声で歌った。それから二人が交代で何曲か歌ってから、その日はお開きにした。
  <続く>

■ バックナンバー
 

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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 8月29日 元気な会社 仕事は同じでも志が異なる「3人のレンガ職人」 3222-4827

2024-08-30 08:03:00 | 【小説風老いぼれコンサルタントの日記】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 8月29日 元気な会社 仕事は同じでも志が異なる「3人のレンガ職人」 3222-4827 

 平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 

 

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

 【小説風 傘寿の日記】
 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。
 台風10号が猛威を振るっていましたが、上陸後勢力を落とし、暴風圏が消滅したそうです。
 しかし、雨台風としては強力だそうですので、警戒を緩めるわけには行きません。
 台風といえば、発生順に数字が割り当てられてゆきます。これは、日本での名前の付け方で、国際的には、国際機関「台風委員会」で決められています。
 決め方は、加盟国などが提案した名称が、あらかじめ140個用意されていて、発生順につけられてゆきます。
 台風10号の名前は「サンサン(Shanshan/珊珊)」です。これは、香港が提案した名称で、少女の名前が由来だそうです。

 私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私が企業で、何を観て、何を話すか、私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、コンサルタントとして、それを顧問先に活かしたいという考えのようです。

 竹根の部下が紹介してくれた企業は、遠方にあるので、オンラインでインタビューと社内見学をさせていただきました。

◆【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 仕事は同じでも志が異なる「3人のレンガ職人」 3222-4827

 「3人のレンガ職人」という物語がある。中世のヨーロッパで旅人が3人のレンガ職人に出会った。旅人が「何をしているのか」と尋ねると、1人目は「親方の命令でレンガを積んでいる」と答え、2人目は「大変だが、賃金がいいからやっている」と答えた。これに対して3人目は目を輝かせながら「完成まで100年以上かかる教会の大聖堂を造っている。こんな仕事に就けて光栄だ」と答えた、というものだ。
 多少異なるバージョンもあるが、自己啓発本など多くのビジネス関連書籍で紹介されており、かの有名な経営学者、P・F・ドラッカー氏の著書でも「3人の石工」として似たような物語が登場している。最近の取材で、この話を引き合いに出したのが、仮設の水処理プラントのレンタルを手掛けるS社(千葉市)のI社長だった。
 1974年設立の同社は泥水や下水といった水処理を得意とし、2000年には、土木工事で発生する大量の泥水を高速・連続的に処理する土木泥水再利用システムを開発し、費用削減と工期短縮を実現した。また大規模災害の復旧事業でも活躍し、2011年の東日本大震災や19年の台風19号では、被災地に短期間で水処理プラントを設置し、インフラ施設が復旧するまでの間、被災地の下水処理を担った。
 同社の技術はSDGsの目標「安全な水とトイレを世界中に」の達成に貢献できると海外でも高く評価。アラブ首長国連邦(UAE)が主催し、持続可能な課題解決に取り組む世界各国の中小企業などを表彰する2022年度の「ザーイド・サステナビリティ賞」で水資源部門のファイナリストに選出された。受賞は逃したものの、注目度はいっそう高まった。
 国内外で話題を集める同社は「日本一の仮設水処理技術で世界に存在する社会課題解決に貢献する」との目標を掲げている。ところが、「『日本一の~』という目標を口にすると、従業員は引き気味になる」(I社長)というのだ。そこで登場したのが「3人のレンガ職人」の物語。「同じ仕事をしていても志が違う。当社のビジネスモデルは世のため人のために大いに役立つものだ。従業員には高い志を持ってほしい」とI社長は従業員の意識変革に期待している。
 「3人のレンガ職人」には続きがあった。あれから10年後、1人目は相変わらず言われたままにレンガを積んでいて、成長は見られない。2人目は、それなりに技術を磨き、危険を伴う仕事もして高い賃金を得ていた。そして3人目は、現場監督に登用され、完成した大聖堂に自分の名前が刻まれたという。志の違いによって生じた差は歴然だった、という結末である。

【 コメント 】

 「3人のレンガ職人(石工職人)」という物語は、社員研修等の教材としてしばしば使われます。

 S社は、社員研修にも力を入れている企業で、この物語をトップが実務に用いているという経営者の姿勢が評価されます。

 最近では、社員研修やOJTを軽視する企業が多いだけに、あまり研修費を投じなくても社員研修を実現できるという好例と言えます。

■【今日は何の日】 
  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。
  この欄には、発信日の【今日は何の日】などをご紹介します。
   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/7c95cf6be2a48538c0855431edba1930
■【経営コンサルタントの独り言】 

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

 プロに依頼することは、それなりの価値があります 828

 バブルがはじけた頃は、日本の経営者の多くが自信喪失時代といっても良いほどで、日本式経営の見直しにも真剣に取り組みました。

 失われた20年を経験し、一時的な景気回復があったものの、なかなか成果に結びつきません。

 政治家は、得てして、自信過剰というか、強引さというか、国民目線のなさが、禍を引き起こしているように思えます。

 振り回されているのは、日本国民です。

 その中でも、中小企業の経営者は苦労をしています。

 その苦労も、収益がなかなか改善せず、社員の財布が豊にならず・・・

 かといってその中小企業の経営者の多くは、特段経営面での工夫をするのでもなく・・・

 もちろん、そうでない経営者も多数いますが、まだ工夫がたりない経営者が大半ではないでしょうか。

 独りでは限界があります。

 外部ブレインを使ってみては如何でしょうか。

 高額な費用???

 費用対効果を考えると、プロに依頼するだけの価値はあります。

  https://www.jmca.or.jp/

【今日は何の日】
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  ■【今日は何の日】 8月30日 ■ 冒険家の日 太平洋単独横断の堀江謙一氏 ■ マッカーサー進駐記念日

■【小説】 竹根好助の経営コンサルタント起業

 「【小説風 傘寿】老いぼれコンサルタントの日記」から独立して、最初から発信していたします。
 
 私は、経営コンサルタント業で生涯現役を貫こうと思って、半世紀ほどになります。しかし、近年は心身ともに思う様にならなくなり、創業以来、右腕として私を支えてくれた竹根好助(たけねよしすけ)に、後継者として会社を任せて数年になります。
 竹根は、業務報告に毎日のように私を訪れてくれます。二人とも下戸ですので、酒を酌み交わしながらではありませんが、昔話に時間を忘れて陥ってしまいます。それを私の友人が、書き下ろしで小説風に文章にしてくれています。
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【これまでお話】 バックナンバー
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■【今日のおすすめ】 最近の徒然草 徒然なるままに日暮パソコンに向ひて  

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

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■バックナンバー
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■【今日は何の日】 8月30日 ■ 冒険家の日 太平洋単独横断の堀江謙一氏 ■ マッカーサー進駐記念日

2024-08-30 00:03:00 | 【今日は何の日08月】

 

  【今日は何の日】 8月30日 ■ 冒険家の日 太平洋単独横断の堀江謙一氏 ■ マッカーサー進駐記念日

 一年365日、毎日が何かの日です。

  季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

  これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

  独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ 冒険家の日


 8月30日は、冒険家で知られる植村直巳氏が1970年にデナリ(旧マッキンリー)に単独登頂した日です。1989年の同日、マーメイド号という小型ヨットで太平洋を単独横断した堀江謙一氏が、今度は太平洋単独往復した日でもあります。


 それらを記念して、「冒険家の日」が制定されました。

 世界的な冒険家の植村直己さんが1984年に、アメリカ・アラスカ州にある北米最高峰で消息を絶たれました。
「マッキンリー」という名峰名をご記憶の方は多いでしょう。ホワイトハウスは、2015年8月30日に、その名称を、先住民族が古くから呼んできました「デナリ」に変更することを発表しました。アラスカ先住民族の言葉で「偉大なもの」という意味ですので、標高6194メートルという堂々たる名峰にふさわしい名前になったといえます。
 そもそも「マッキンリー」という名称は、1896年、現地を探検していた男性が当時、共和党の大統領候補だったウィリアム・マッキンリー氏への支持を表明するために名付けられたといいますので、あまりにも俗世臭い起源だったのです。

 堀江氏の西宮~サンフランシスコ間の太平洋単独航海は1962年に行われました。当時の法律では、ヨットによる出国は認められていなかったので、密出国になります。このことに対して、マスコミで非難記事が掲載され、犯罪者扱いすらされる記事が掲載されました。

 それに対して、当時のサンフランシスコ市長は、コロンブスを例に挙げ、パスポートなしの堀江氏を尊敬の念をもって迎入れました。それだけではなく、名誉市民として受け入れるという懐の深さを示しました。その瞬間、日本のマスコミは手のひらを返したかのように態度を一変しました。

 当時の「アメリカに弱い日本」という世相は、今日もあまり変わっていません。

 因みに、1971年に私がサンフランシスコを訪問したときには、マーメイド号がサンフランシスコ海洋博物館に展示されていました。フィルムネガを探せば、どこかにその写真があるはずで、いつか探してみようと思います。

 

■ マッカーサー進駐記念日


 1945年8月30日に、連合国日本占領軍最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が厚木飛行場に到着しました。

 終戦直後は、連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)が、第二次世界大戦終結に伴うポツダム宣言を執行するために日本で占領政策を実施しました。

 極東委員会の下に位置し、最高責任者は連合国軍最高司令官(連合国最高司令官とも、よび、英語では「Supreme Commander of the Allied Powers; SCAP、スキャップ」)といいます。

 日本では、総司令部 (General Headquarters) の頭字語をとってGHQと呼び、私が子供の頃は、「進駐軍」という通称で呼んでいました。

 あくまで「占領支配」ではなく「ポツダム宣言の執行」が本来の役目であることから「占領軍」とはいいませんでした。

 1952年(昭和27年)4月28日に日本国との平和条約が発効されるまで、連合国軍占領下の日本は対外関係を一切遼断されていました。

 沖縄や小笠原は、完全に米軍に抑えられていました。東京の横田基地をはじめ、安保理の名の下に、いまだに米軍基地には、治外法権が認められています。

 日本と外国との間の人・物資・資本等の移動は、上述のSCAPの許可によってのみ行われたのです。

 ある意味では、大変屈辱的な扱いでしたが、日本人は、それを公に口に出さずに、耐え忍んできたのです。

 今日では、考えられないことかもしれません。

 

(ドアノブ)

趣味・旅行のブログ

 

 


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