経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 ご紹介

2023-05-28 10:03:00 | 【話材】 お節介焼き情報 カシャリ!一人旅

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 ご紹介

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 1 主庭園池泉部 

 

 「齋藤氏庭園」(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市前谷地にあります。“東北三大地主”のひとつとして挙げられ、9代当主により明治時代に作庭された池泉回遊式庭園で、国指定名勝(平成17年7月14日 )でもあります。邸宅から背後の丘陵地まで、一体感のある空間は見る者を圧倒します。

 園内は、大きく4つのエリア(除受付・駐車場)に分けることができます。
    1 宝ケ峰縄文記念館エリア
    2 主庭園エリア
    3 奥池エリア
    4 東池エリア

 斎藤氏は、秋田県の池田市酒田の本間氏と並び近代における東北三大地主と言われています。江戸時代、二代目善兵衛の時に酒造業を始め、9代目善右衛門の時に酒造業を辞め、莫大な資産を背景に会社を設立して社長となり、衆議院議員を勤めました。

 齋藤氏庭園は、複数の池泉回遊式庭園でなり、国の名勝に指定された美しい庭園で、近代庭園として学術上も高く評価されています。園内には茅葺き屋根、一部は江戸時代から残る土蔵などの外観を見学でき、たくさんの建物や石灯籠等があります。

 齋藤氏庭園内にある宝ヶ峰遺跡に関わる縄文記念館には、遺跡から発掘された縄文時代後期の土器や矢尻などが保存展示されています。

アクセス
 JR石巻線 前谷地駅より徒歩10分
 三陸道矢本ICから車で約15分、石巻河南ICから車で約15分
 〒987-1101 宮城県石巻市前谷地字黒沢73-1

開園時間
 4月1日から11月30日まで 9時30分から16時30分まで
 12月1日から翌年の3月31日まで 9時30分から16時まで
休園日
 月曜日(注)休日を除く、休日の翌日、12月28日から翌年1月4日まで
観覧料
  個人    一般:500円  高校生:300円 小・中学生    :150円(団体割引あり)

 

斉藤氏庭園は、宮城県石巻市前谷地に位置します。

一般的には、仙台駅から東北本線で小牛田(こごた)まで50分弱、北上し

JR石巻線に乗り換え、20分ほどのところにある前谷地駅で下車します。

 

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 1 主庭園

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 2 主庭園 主屋横小池

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 3 奥池エリア

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 4 東池エリア

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 5 建物編

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 6 主屋とその周辺

宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 7 宝ヶ峯縄文記念館

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【話材】 昨日05/2のつぶやき 宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

2023-05-28 07:07:00 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日05/2のつぶやき 宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/7740caebe817766fc95dcf05222ac723

晴れb5

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【きょうの人】 0528 斎藤 道三 没 戦国武将・美濃のマムシ  独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介

2023-05-28 06:33:00 | 【話材】 きょうの人05月

 

  【きょうの人】 0528 斎藤 道三 没 戦国武将・美濃の

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 斎藤 道三  没 美濃のマムシ

 さいとう どうさん
 明応3年(1494年)-弘治2年4月20日(1556年5月28日) 
 改名 長井規秀→斎藤利政→道三

 NHKの大河ドラマで、信長の義父として登場、一旦後継者として認めた息子との戦で討ち死にするというシーンは、目に焼き付きましたね。

  斎藤 利政(さいとう としまさ)は、戦国時代の武将、美濃の戦国大名で、坂口安吾「信長」や山岡荘八「織田信長」といった小説の影響により「美濃の蝮(マムシ)」という綽名でも知られています。

 娘に姉小路頼綱正室がいますが、下の娘であります帰蝶は、濃姫として知られる織田信長の正室で、NHK大河小説で一躍脚光を浴びました。

 北条早雲らと並ぶ下克上大名の典型であり、名もない境遇から僧侶、油商人を経てついに戦国大名にまで成り上がった人物といわれています。(近年の研究により父と二代にわたって行われたという説が有力視されています。)

 権謀術数を用い、道三は美濃の戦国領主として天文23年(1554年)まで君臨した後、家督を譲った息子義龍と、弘治2年(1556年)4月に長良川河畔で争い、討ち死にしました。

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f


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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

2023-05-27 15:21:40 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺6 中国的七堂伽藍 天王殿

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 天王殿 

 

天王殿(てんのうでん) (重要文化財)

 

 萬福寺の玄関として天王殿が設けられています。
 中国では一般的な建て方で、四天王と弥勒菩薩と韋駄天を同様に祀ります。×型の組子を入れた匂欄は、日本では特異なたすき匂欄で、中国で使用されているデザインです。

 天王殿(重要文化財)は、寛文8年(1668年)建立された、一重入母屋造の建物です。寺の玄関としての堂宇で、本堂の手前にこのような堂が配されるのは中国式の伽藍配置で、日本では珍しい形です。
 内部には弥勒菩薩の化身とされる布袋像が、目のつく位置に安置されています。この像は日本で著名な半跏思惟形の弥勒菩薩像とは全く異なり、太鼓腹の布袋像として表されているのが特徴です。
 他に、堂内左右に四天王像、布袋像の背後に、本堂の本尊と対面するよう韋駄天像が安置されています。
 これらの像は、范道生の作で、いずれも清風の様式で造られています。
 方柱はチーク材で、道内に2本の円柱があり、黄檗の七不思議の一つと云われている造りです。
 X型の組子状の勾欄は、日本では特異な襷勾欄(たすきこうらん)といい、中国・チベットで使用されているデザインなのです。
 

天王殿(てんのうでん) (重要文化財)

本堂の手前に立つ萬福寺の玄関、一重入母屋造の建物

四天王と弥勒菩薩と韋駄天が祀られています。

弥勒菩薩(布袋)座像
 范道生作、寛文3年(1663年)造立の像高110.3cmの木像です。

 布袋は、弥勒菩薩の化身と云われ、萬福寺では弥勒仏とされています。

広隆寺の弥勒菩薩のように、美形で、半跏像でないのが中国風といえます。

背面に背中合わせに韋駄天が配されています。

寛文3年11月末に隠元禅師の命を受けて、

この弥勒菩薩の作者・范道生が造立

寛文8年(1668年)の天王殿建立時に、

天王殿に移されたと考えられます。

  韋駄天立像
 木像、像高200.0cmで、伽藍守護神として、

天王殿の弥勒像の背面に安置されていて、

大雄宝殿と対面しています。


 康熙43年(1704年)頃、清で造立されたものを請来したものです。

この像以前には別に、

天王殿に范道生作の韋駄天像が祀られていましたが、

現在は文華殿に蔵されています。

 

韋駄天(いだてん、塞建陀、私建陀、別表記:違駄天)

 仏教において天部に属する神です。韋陀、韋天将軍とも言われます。
 増長天の八将の一神で、四天王下の三十二将中の首位を占める天部の仏神です。特に伽藍を守る護法神とされ、中国の禅寺では四天王、布袋尊とともに山門や本堂前によく祀られます。日本の禅宗では、厨房や僧坊を守る護法神として祀られることが多いです。
 また小児の病魔を除く神ともいわれます。密教の曼荼羅では、護世二十天の一尊として西方位に配されます。

 

 

 

大雄宝殿側から見た天王殿

扉が開いている部分から韋駄天を見ることができます。

すなわち韋駄天は、大雄宝殿を対面にして立っているのです。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【ロジカル・シンキングがよく身につく】 6-7-340 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具 フレームワーク マトリックスを使いこなす リスキリング・ミニ講座

2023-05-27 13:17:12 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ6 思考法

  【ロジカル・シンキングがよく身につく】 6-7-340 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具 フレームワーク マトリックスを使いこなす リスキリング・ミニ講座

「筋の通った人生を送るためのリスキリング」

 この度、日本人の多くが不得意としている論理思考力体得のための書籍「ロジカル・シンキングがよくわかる本」を、新規書籍に匹敵するくらい大幅改訂をして上梓することになりました。

 ロジカル・シンキングを身に付けて、筋の通った思考をし、説得力ある表現力を身に付け、一歩上の人生を歩んでいただくことを祈念して、本書のご紹介をして参ります。

 

 

■7-3 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具

 「ロジカル・シンキング」というと難しく感じるかもしれませんが、ビジネスパーソンの皆さんは、すでに何らかのかたちでロジカル・シンキングを使っているはずです。それを更に深めて行くには、自己流では限界があります。

■7-340 第三章 ロジカル・シンキングの思考用具 フレームワーク マトリックスを使いこなす

 第3章 ロジカル・シンキングの思考用具

  3-1 ロジカル・シンキングのツール
  3-2 ヒエラルキー・ツール
  3-3 フレームワークでロジカル・シンキングを進める
  3-4 フレームワーク マトリックスを使いこなす
  3-5 フローツールでロジカル・シンキングを進める

 ロジカル・シンキングを習得するには、❶論理基本、❷論理手法、❸論理用具の3項について体得するのが近道であることはお話済みです。

 頭の中だけの思考では、MECEにならなかったり、抽象的であったりしがちでず。ここでは前章で紹介した様々な思考手法を手助けするためのツールを解説します。
 ツールとして、まずはロジカル・シンキングと密接に関係する「ロジックツリー」が挙げられます。その他、フレームワークの代表的なツールである「マーケティングの4P」や、各種マトリックスのロジカル・シンキング的な利用法を学びます。そのほか、ロジカル・シンキングの助けになるツールについても復習しておきましょう。

 「ロジカル・シンキングを習得するには論理思考用具を征服せよ」と言っても過言ではないほど、ロジカル・シンキング・ツールは重要です。
 ロジカル・シンキング・ツールは、第二章と連携し、大きく3つのグループに分けて理解しますと、ロジカル・シンキングの活用がスムーズに進むでしょう。「ヒエラルキー・ツール」、「フレームワーク・ツール」、「フロー・ツール」です。

 第三章「ロジカル・シンキングの思考用具」の4節では「フレームワーク マトリックスを使いこなす」と題してご紹介します。
 フレームワーク・ツールは、既述のとおりフレームとマトリックスの2つに大別されます。
 マトリックスは、表形式として、利用されているでしょうし、文書を見ますと必ずといっても良いほど、表が見られます。ロジカル・シンキングでは「マトリックス」と呼ぶことが多いのですが、表側と表頭にどのような頂目を持ってくるかによって、様々な組み合わせで活用できます。
 ここでは単純、コンパリスン、オプション、加重のマトリックスとして分類し、ご紹介します。

 マトリックスは、あまりにも誰もが知っていることですので、PDCAなどと同様に「いまさら」とおっしゃる方が多いです。PDCAなどと同様に、自己流での使い方が多く、誤った情報を伝えかねませんし、より良い情報の伝えかたのできるマトリックスがあるかもしれません。
 大半のマトリックスが「標準(単純)マトリックス」と言われます。ご自身では気がつかないうちに、その他のマトリックスを利用されていると思いますが、用途により以下のように分類されています。
 異なった複数の事象を、特定の条件で比較・整理した表を「コンパリスン・マトリックス」といいます。事象同士を比較する時に便利な作表法です。その時に単に比較するだけではなく、複数の事象の中から比較・選択をするようとの表を「オプション・マトリックス」といいます。その選択を補助するためにウェイト付けをした表を「加重オプション・マトリックス」といいます。
 マトリックスは、縦横に次元の表利用ではなく、複数の次元で表現することが来ます。これを「マトリックスの多次元活用」といいます。さらにそれを応用利用するのが「多要素・多次元マトリックス活用」で、これにより複合思考できます。
 マトリックスの形をした定型ツールも多く、ここでは、「ABCDセグメント戦略立案表」と「PPM分析」について、利用法も含めご紹介しています。

 本節では、これらについてお話します。

■自己変革体験をベースにしたロジカル・シンキング書

 ビジネスに役立つ論理的思考法「ロジカル・シンキング」が図解でよくわかる入門書です。2006年に本書初版を出版してから3回の大きな改訂を含む改訂を繰り返してきたロングセラー・ビジネス書の紹介です。

 これまでは、本書出版の経緯と、類似他書外床が異なるかについてお話してきました。
 ここからは「論理思考の必要性が高まっている」についてお話してまいります。

■ 本書執筆の契機

 筆者は、必ずしも論理思考力を駆使して、商社マン10年、経営コンサルタント約半世紀を過ごしてきたわけではありません。むしろ、論理思考の必要性を痛感してきました。

 そのために、業務を通して必死に論理思考力を身に付ける努力をしました。努力をしたといいますよりは、努力をせざるを得なかったのです。
 その過程で、ロジカル・シンキングやクリティカル・シンキングが、論理思考を業務に活かせることを発見しただけではなく、ロジカル・シンキングそのものが論理思考力を身に付けるための強化ツールであることも発見しました。

■ 他書とどこが異なるか

 論理思考に関する書籍はコーナーがひとつできるほど、いろいろな書籍が出ています。ロジカル・シンキングは、その中でも比重が非常に高く、従って既刊書の数も他の分類よりも多くなっています。

  はじめに

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/692dfe619907f019f9a684c1add0698f

 本書は、大きく、次の5つの点で他書と異なっているといえます。

 ①論理思考を不得意としている者が執筆している

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a2aa5c16f1b08723ddf21c8a752259fe


 ②講演・執筆実績から内容が進化し続けている

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/acb4602f301f23a95cbbe7e6ded381d0

 ③筆者自身の思考力養成体験から執筆している

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/5050541b16a5cae084f732d87fc44b5e

 ④ハウツー本+トレーニングブックという性格を持っている

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/dc36796bde9414e31b8fc27090b6fb57

 ロジカル・シンキングだけではなくコミュニケーション力も重視

   https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/e6d3d4bb4f9f347885f339deef1111bc

■ 本書の内容

 本書の目次は、下記のようになっています。
  第1章 ロジカル・シンキングの基本と本質
  第2章 ロジカル・シンキングの思考手法
  第3章 ロジカル・シンキングで活用する便利なツール
  第4章 ちょっと高度なツールでロジカル・シンキングに挑戦
  第5章 ロジカル・シンキングによるニーズ把握
  第6章 ロジカル・コミュニケーションで理解を得る

 本書第1章から2章までは、論理思考力を高めるために、ロジカル・シンキングに不可欠な基本的知識を応用力として活かすには、なにが基本で、どの様な思考手法を「体得」したら良いのかという観点を重視しました。

 第3章では、ロジカル・シンキングを行う場合に必要なツールについて、どのようなツールがあり、それをどのように使ったらより効果を上げられるのか、利用面からの分類と特質を詳説しています。

 第4章以降は、ロジカル・シンキングを実務にどの様に活かすか、とりわけコミュニケーションを効果的に進めるには、ロジカル・シンキングを通した論理思考をいかに活かすかという視点で改訂しました。

 本書は、単なる読み物として、あるいは参考書としてのロジカル・シンキングではなく、実務に使いながら、論理思考力を高められるように、「思考しながら体得する」をキーワードにして追補し、改訂しました。

■ 詳細情報・ご注文

 書店でご注文して下さると幸いです。

 アマゾンでも購入できますので、こちらからのご注文でも結構です。

  図解入門ビジネス 最新ロジカル・シンキングがよくわかる本 | 今井信行 |本 | 通販 | Amazon

 


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【カシャリ!ひとり旅】 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 7 宝ヶ峯縄文記念館

2023-05-27 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】写真・旅行 Misc.

  【カシャリ!ひとり旅】 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 7 宝ヶ峯縄文記念館

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

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 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

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■ 宮城県石巻市 齋藤氏庭園 東北三大地主作庭の池泉廻遊式庭園 7 宝ヶ峯縄文記念館 

 「齋藤氏庭園」(さいとうしていえん)は、宮城県石巻市前谷地にあります。“東北三大地主”のひとつとして挙げられ、9代当主により明治時代に作庭された池泉回遊式庭園で、国指定名勝(平成17年7月14日 )でもあります。邸宅から背後の丘陵地まで、一体感のある空間は見る者を圧倒します。

 園内は、大きく4つのエリア(除受付・駐車場)に分けることができます。
    1 宝ケ峰縄文記念館エリア
    2 主庭園エリア
    3 奥池エリア
    4 東池エリア

 斎藤氏は、秋田県の池田市酒田の本間氏と並び近代における東北三大地主と言われています。江戸時代、二代目善兵衛の時に酒造業を始め、9代目善右衛門の時に酒造業を辞め、莫大な資産を背景に会社を設立して社長となり、衆議院議員を勤めました。

 齋藤氏庭園は、複数の池泉回遊式庭園でなり、国の名勝に指定された美しい庭園で、近代庭園として学術上も高く評価されています。園内には茅葺き屋根、一部は江戸時代から残る土蔵などの外観を見学でき、たくさんの建物や石灯籠等があります。

 齋藤氏庭園内にある宝ヶ峰遺跡に関わる縄文記念館には、遺跡から発掘された縄文時代後期の土器や矢尻などが保存展示されています。

アクセス
 JR石巻線 前谷地駅より徒歩10分
 三陸道矢本ICから車で約15分、石巻河南ICから車で約15分
 〒987-1101 宮城県石巻市前谷地字黒沢73-1

開園時間
 4月1日から11月30日まで 9時30分から16時30分まで
 12月1日から翌年の3月31日まで 9時30分から16時まで
休園日
 月曜日(注)休日を除く、休日の翌日、12月28日から翌年1月4日まで
観覧料
  個人    一般:500円  高校生:300円 小・中学生    :150円(団体割引あり)

 

斉藤氏庭園は、宮城県石巻市前谷地に位置します。

一般的には、仙台駅から東北本線で小牛田(こごた)まで50分弱、北上し

JR石巻線に乗り換え、20分ほどのところにある前谷地駅で下車します。

前谷地駅から南東方向に徒歩10分ほどのところにあります。

 

 

庭園全景(園内表示板より)(北:▼)

 

❶ 宝ヶ峯縄文記念館

 

 

宝ヶ峯縄文記念館は、

受付を通って右手の広場の一角にあります。

 

記念館入り口

 

 

宝ヶ峯縄文記念館全景

 

宝ヶ峯縄文記念館前の石道路

 

宝ヶ峯縄文記念館前には一枚板のベンチがあります

 

 

齋藤氏庭園内にある、「宝ヶ峯縄文記念館」には、

宝ヶ峯遺跡から発掘された縄文時代後期の土器等を保存、展示されています。

 

北村地区の丘陵にある縄文時代後期から晩期にかけての遺跡です。

明治43年から昭和2年にかけて斉藤養二郎氏が発掘調査したときに

多数の土器や石器を採取しました。

とりわけ、土偶やスタンプ状土器は珍しい物です。

 

しっかりとしたドア

なぜか、横に金庫が置いてありました。

金庫は、谷も数個いろいろなところに置かれています。

 

展示場

 

宝ヶ峯のケヤキの一部

 

貝塚

 

里浜貝塚台地区の貝層断面
 鳴瀬町の宮戸島にある里浜貝塚は、日本で最も大きい貝塚のーつです。その台地区の貝塚の貝層断面を布に糊をつけて剥ぎ取ったもので,貝層の堆積状況がよくわかります。
 この断面は縄文時代後期(およそ3300年前)のもので,貝はアサリが多くみられます。よくみると縄文人の食べかすである魚や動物の骨が沢山ふくまれているのがわかります。宝ヶ峯遺跡の一部でもタニシの貝殼からなる小さな貝塚が発見されており,そこから鹿角でつくったヤス・モリ・釣針などが出土しています。

 

 

 

 

 

 

スタンプのように使われていたようです。

 

動物土偶 猿

 

縄文時代も終わりの方になると

結構高度な技術で芸術的なものを作っていたのですね。

 

 

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています

 

 

■ アクセス

 

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【話材】 昨日05/26のつぶやき 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

2023-05-27 07:01:07 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日05/26のつぶやき 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8845a266901b2c0ce5350e90c1e06cb2

晴れ

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

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■【きょうの人】 0527 道了(妙覚道了)室町時代前期の曹洞宗・修験道の僧

2023-05-27 06:33:00 | 【話材】 きょうの人05月

 

  【きょうの人】 0527 道了(妙覚道了)室町時代前期の曹洞宗・修験道の僧

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 道了(妙覚道了) 室町時代前期の曹洞宗・修験道の僧

 みょうかくどうりょう
 生没不詳

 室町時代前期の曹洞宗・修験道の僧で、妙覚は字です。出生地などについては不詳です。道了大権現・道了薩埵・道了大薩埵・道了尊などとも称されます。

 1394年(応永元年)曹洞宗の僧了庵慧明が、最乗寺を開創しますと、慧明の弟子でありました道了は、その怪力により寺の創建に助力しました。

 師の没後は寺門守護と衆生救済を誓って神通力により小天狗となって空高く消えていったと伝えられ、相州南足柄・曹洞宗最乗寺の守護神として明覚宝殿に祀られています。

 道了大菩埵と尊崇され、最乗寺境内に、小天狗の狐に乗った像も祀られています。

 関東屈指の霊場の一つとして、庶民の間でも信仰を集めて講が結成されたり、また、江戸の両国などで出開帳が行われたりしました。

 

 

◆ バックナンバー

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f


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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

2023-05-26 17:12:25 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺5 中国的七堂伽藍 潜脩禅・鼓楼・祖師堂

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 潜修禅・鼓楼 

 

 

庫裏への門

「修禅」とは、

禅定を修すること。

コトバンクによりますと「禅定(ぜんじょう)」とは

心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」

その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」

 

香椿(チャンチン)

隠元禅師が中国より持参

若葉は食すことができるそうです。

鼓楼(重要文化財)
 延宝7年(1679年)に信夢善士が建立した、

重層入母屋造、本瓦葺で、二階四周に縁と逆蓮柱付の勾欄を巡らしています。
 鐘楼と対称位置に建ち、階上に太鼓が置かれています。

朝5時開静、夜9時の開枕に鐘楼の大鐘と鼓楼の太鼓をもって、

時刻と消灯、起居動作の始終を知らせています。
 また、賓客来山の時には、鐘鼓を交鳴させて歓迎の意を表します。

二階四周に縁と逆蓮柱付の勾欄が巡らされています

 

 祖師堂 

 


 

祖師堂(重要文化財)
 寛文9年(1669年)、今津浄水居士が建立しました。

伽藍堂と対称位置に建ち、

中国禅宗の祖である達磨の像「達磨大師坐像」と、

開山隠元禅師からの歴代管長の位牌が安置されています。

祖師堂は、一般的には開山堂とも呼ばれます。

しかし、禅宗寺院の多くでは

開山堂だけではなく、祖師堂を別に設けています。

開山堂は、開山した人が祀られますが、

禅宗では、祖師堂に達磨大師が祀られます。

達磨大師坐像

中国禅宗の祖である達磨の像「達磨大師坐像」と、

開山隠元禅師以降の歴代管長の位牌が

左右に安置されています。

  達磨大師坐像
 寛文3年(1663年)に、范道生作により造立された、

木造、像高166.5cmの像です。
 もともと体全体に金色が施されていました。

現在は、下地の朱漆色が目立ちます。

萬福寺所蔵の逸然性融筆『朱衣の達磨像』や

馬言『隻履達磨図』と同様に、

前歯が2本に表現されているのが特徴です。

祖師堂屋根・破風

 

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺4 中国的七堂伽藍 寿塔と石碑亭

2023-05-26 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 


  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺4 中国的七堂伽藍 寿塔と石碑亭・合山鐘



 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。


 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。


 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。


 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・


 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。


 



名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道


 


■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺4 中国的七堂伽藍 寿塔と石碑亭・合山鐘


 


 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。


 


■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。


 


■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)


 


■ アクセス


 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。


 



 



同寺サイトのコンテンツは充実していて


以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。


 


 寿 塔 


 


寿蔵(寿塔、真空塔、重要文化財)


  寛文3年(1663年)に建立された、本瓦葺六角堂で、屋根は宝形造となっていて、頂に路盤・宝珠が配されています。屋根の六方には、中国の仙人を表した鬼瓦があります。寿蔵の瓦は、舎利殿とともに寺島藤右衛門によって寄進されました。
 半円形石垣に囲まれていて、周囲の柵から中へは入れません。
 これらの特徴は、中国の墳墓の形式を忠実に踏襲したものです。
 寿蔵は隠元の生前に、木庵を中心に法子・法孫らにより隠元の墳墓として築造されていました。中央円窓戸板の題「寿蔵」は隠元の書で、勅額「眞空塔」は、霊元天皇の宸筆です。
 


 


 



寿塔 重要文化財


開山堂の裏手に立つ、六角の建物



 



 



中央円窓戸板の題「寿蔵」は隠元の書で、


勅額「眞空塔」は、霊元天皇の宸筆です。



屋根の六方には、中国の仙人を表した鬼瓦があります。



本瓦葺六角堂で、屋根は宝形造となっていて、


頂に路盤・宝珠が配されています。



回廊



石碑亭(せきひてい、重要文化財)
 宝永6年(1709年)に建立されました。内部の亀趺付きの顕彰碑には、隠元の特賜大光普照國師塔銘が刻まれています。



合山鐘と並んで立つ石碑


亀の上に立っています。



 



石碑亭まえで回廊が右に曲がります。


正面に梵鐘が下がっています。



合山鐘(がっさんしょう)
 開山堂の正面回廊の途中に吊るされている雲紋梵鐘で、
 開山堂、寿蔵、舎利殿で行われる儀式の出頭にのみ鳴らされる梵鐘です。



第6代千呆性侒によって元禄9年(1696年)に再鋳されました。



合山鐘の下に鬼瓦


 










































中国的七堂伽藍を巡る


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de


門と回廊


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258


開山堂


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866


寿塔と石碑亭


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159


潜脩禅・鼓楼・祖師堂


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159


天王殿 当寺の玄関


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb


大雄宝殿 最大伽藍


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d


法堂・鐘楼・開梆・雲版


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479


庭園と放生池


https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38



 





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  ■ カシャリ! ひとり旅





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【話材】 昨日05/2のつぶやき 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

2023-05-26 06:52:59 | ブログでつぶやき

 

  【話材】 昨日05/2のつぶやき 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

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本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

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晴れ

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

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 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

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【きょうの人】 0526 木戸 孝允 没 鞍馬天狗のお話にも登場する

2023-05-26 06:33:00 | 【話材】 きょうの人05月

 

  【きょうの人】 0526 木戸 孝允 没 鞍馬天狗のお話にも登場する

 

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 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取っていただけると幸いです。

 

■ 木戸 孝允 没

 きど たかよし/きどこういん
 天保4年6月26日(1833年8月11日)- 明治10年(1877年)5月26日)

 長州藩の武士、明治政府の政治家等で、桂小五郎(かつら こごろう)ともいいます。明治維新の指導者として活動し、維新の三傑の一人です。

 長州藩内の尊王攘夷派(長州正義派)の指導者で、留学希望・開国・破約攘夷の勤皇志士、長州藩の外交担当者、藩庁政務座の最高責任者として活動しました。

 特に志士時代には、幕府側から常時命を狙われていたにもかかわらず果敢に京都で活動し続けました。鞍馬天狗の話の中にも、桂小五郎として登場します。

 維新後、総裁局顧問専任として迎えられ、当初から「政体書」による「官吏公選」などの諸施策を建言し続けました。

 文明開化を推進する一方で、版籍奉還・廃藩置県など封建的諸制度の解体に努め、薩長土肥四巨頭による参議内閣制を整えました。

 海外視察も行い、帰朝後は、かねて建言していた憲法や三権分立国家の早急な実施の必要性について政府内の理解を要求し、他方では新たに国民教育や天皇教育の充実に努め、一層の士族授産を推進しました。

 長州藩主・毛利敬親や明治天皇から厚い信頼をうけました。

 一方で、急進派から守旧派までが絶え間なく権力闘争を繰り広げる明治政府の中にあって、心身を害するほど精神的苦悩が絶えませんでした。

 西南戦争の半ば、出張中の京都で病気を発症して重篤となり、夢の中でも西郷隆盛を叱責するほどに政府と西郷双方の行く末を案じながら息を引き取ったといわれています。

 

 

◆ バックナンバー

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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

2023-05-25 15:10:42 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺3 中国的七堂伽藍 開山堂

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

 

 開山堂 

 

 開山堂 (かいさんどう、かいざんどう)とは、仏教寺院において開山した人の像を祀った堂宇を指します。

 寺院の「開山」とは、当該する寺院に最初に住した僧のことを指すのが一般的です。寺院の創立を発願し、経済的基盤を提供した人を「開基」といって、開山とは区別します。
 開山や宗祖の像を安置する堂を、寺によっては「祖師堂 (そしどう)」とか「御影堂(みえいどう、ごえいどう)」、「影堂(えいどう)」などともいいます。

 禅宗では、とくに中国禅宗の初祖である「達磨 (だるま)大師」を指します。

 

 

通玄門 (重要文化財)
開山堂にはいるための正門で

三門を入ると左手に位置しています。

中央は、石條が直線に連なり

左右に状砂が配されています。

通玄門は、重要な結界の一つであるため、

三門等と同様に円柱が使われています。

奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門です。

「通玄」の扁額

「通玄」とは「玄理を知る」ことです。

「玄理」とは「奥深い道理、深遠な真理」のことで

通玄とは、道理や真理の奥深くまで知ることを意味します。

 

 

通玄門 (重要文化財)
開山堂に入るための正門で

三門を入ると左手に位置しています。

中央は、石條が直線に連なり

左右に状砂が配されています。

この門は重要な結界の一つであるため、

三門等と同様に円柱が使われています。

奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門です。

開山堂 (重要文化財)

通玄門の正面にあります。

氷裂文の石畳(同じ形の石はまったくない)が中央に、

左右に白壁、白砂が目前に広がります。

建物には卍の勾欄(卍崩し)の建物です。

黄檗開山の隠元禅師がお祀りされています。

 上層正面の扁額「瞎驢眼」は費隠の筆

下層の扁額「開山堂」は木庵の筆

開山堂内陣

毎月1・15日には、山内の僧が祝拝し、

3日には、開山忌を営まれます。

祥忌の4月3日には、

他山から僧を招待し、厳粛に執り行われます。

開山堂内陣 隠元禅師像

勾欄(こうらん)
ここ開山堂だけではなく、法堂正面の勾欄は、

卍及び卍くずしの文様になっています。

これらはすでに奈良時代の法隆寺などの

南都寺院に使われています。

それとは別に、江戸時代初期にあらためて

黄檗を通じてもたらされたものです。

開山堂北側のハス

松蔭堂

松隠堂(重要文化財)
  白壁の塀に囲まれた書院造の和様の建物をした客殿で、宮川藩主関長政夫人寄進によるものです。
 寛文3年(1663年)に庵として建立され、翌4年に隠元が住持を退き、寛文13年(1673年)に死去するまで居住しました。
 死後は客殿として持続されたが、元禄7年(1694年)に現在地に移転・増築され、開山塔院(墓所)ともなりました。このときから「松隠堂」と称されるようになりました。
 松隠堂は元は萬福寺とは独立した宗教法人でしたが、1959年(昭和34年)に宗教法人萬福寺と合併したのです。
 

開山堂前の回廊

三内の建物は、回廊でつながれています。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b1c971f5d6ae684410e0f52f989d64eb

大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/578c48cf55819f437cafc8e201741479

庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺2 中国的七堂伽藍の門と回廊

2023-05-25 14:10:27 | 【カシャリ!ひとり旅】 京都

 

  【カシャリ!ひとり旅】京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺2 中国的七堂伽藍の門と回廊

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間か、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅は、時間に追われる現実からの開放、明日への糧となります。

 写真は、自分の記録であるとともに、お節介焼き精神から、他の人に情報提供も兼ねてとり続けてきました。

 何を思って撮影したのだろうか? 自分も行ってみたい・・・

 他の人に、そう思っていただける写真を撮りたいと思って、ライフワークとして、続けられるだけ続けてまいりたいです。

 

名所旧跡  グロマコン 経営コンサルタントへの道

 

■■ 京都府宇治市 黄檗宗大本山萬福寺2 中国的七堂伽藍の門と回廊

 

 京都府宇治市にある黄檗宗大本山の寺院「萬福寺」、山号は黄檗山は、1661年に、中国明朝時代の臨済宗を代表する僧である「隠元隆琦(いんげんりゅうき)禅師」によって開創されました。中国福建省にある黄檗山萬福寺の住職をしていましたが、日本からの度重なる招請に応じ、63歳の時に弟子20名を伴って1654年に来朝しました。当初「臨済宗黄檗派」などと称していましたが、幕府の政策等により、宗派を黄檗宗(おうばくしゅう)と改称し、現在に至っています。
 「禅宗」は、日本では、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三宗に分類されています。他の2つの禅宗と黄檗宗が大きく違う点として、中国的な特徴を色濃く残していることです。江戸初期から中頃にかけて、黄檗宗の大本山・黄檗山萬福寺(京都府宇治市)の住職は、殆どが中国から渡来した僧侶でした。
 萬福寺の建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は日本では他に例がありません。代表的禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額などが国の重要文化財に指定されています。

 

■ 隠元隆琦(いんげん りゅうき)
 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉-寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 特諡として大光普照国師、仏慈広鑑国師、径山首出国師、覚性円明国師
 勅賜として真空大師、華光大師、

 万暦20年・文禄元年11月4日〈1592年12月7日〉 - 寛文13年4月3日〈1673年5月19日〉
 明末清初の禅宗の僧で、日本黄檗宗の祖です。隠元自身は、「臨済正宗」と称していたそうです。
 独特の威儀を持ち、禅とさまざまな教えを兼ね併せる、当時の「禅浄双修」の念仏禅や、「禅密双修」の陀羅尼禅を特徴とする明朝の禅である「明禅」を日本に伝えました。
 また、道者超元と共に当時の禅宗界に多大な影響を与え、江戸時代における臨済・曹洞の二宗の戒律復興運動等にも大きな貢献をしました。
 明代の書をはじめとして当時の中国における文化や文物をも伝えています。隠元豆の名称に名を残していることは広く知られています。
 日本における煎茶道の開祖ともいわれていますし、能書家としても知られ、木庵性とう、即非如一とともに「黄檗の三筆」といわれるほどです。
 承応年には江戸で将軍家綱に拝謁し、後に宇治に地を与えられ万福寺を建てました。

 

■ 伽藍
 萬福寺の伽藍は左右対称に配置されており、全体は西側を向いて乱れなく建てられています。
 一番西側にある「総門」をくぐり、右手に「放生池」を見ながら進むと、巨大な三間三戸の「三門」、そしてその奥には萬福寺の玄関にあたる「天王殿」があります。
 天王殿の奥には「大雄宝殿」、さらに奥には「法堂」が一直線になるように建てられています。
 萬福寺の伽藍は、そのすべてが屋根つきの回廊で結ばれており、雨天の際でも問題なく法式を執り行うことができるようになっています。回廊沿いにはそのほかにも、南側に鐘楼、伽藍堂、斎堂、東方丈が、北側には対称となる位置に鼓楼、祖師堂、禅堂、西方丈が、並んでいます。
 これら萬福寺内の建物は、一般的な日本の寺院建築とは異なっています。宗祖隠元禅師が日本に渡ってきた中国の明時代末期頃の様式で造られています。建築材も南アジア、東南アジア原産のチーク材を使用しています。各所に見られる「卍くずし」と呼ばれるデザインや、円い形をした窓、伽藍の扉に施された桃の実の形をした「桃符」という飾り、アーチ状に造られた「黄檗天井」など、ほかの日本の寺院では見かけることのないような建築手法、デザインが用いられています。
 また、三門から天王殿へと向かう参道を北側に折れたところには宗祖隠元禅師を祀る開山堂が建てられています。(【公式サイト】をもとに作成)

 

■ アクセス

 JR黄檗駅から徒歩5分、京阪宇治線黄檗駅から徒歩8分
 私は、JR黄檗駅下車し、改札正面辺りにある小径(わかりにくい)を入って行きました。
 京阪の駅は、JRより西側(萬福寺の反対側)にありますので、JR踏切を横切ってから小径に入ります。こちらも入り口が解りにくいので、地元の人に聞かれるとよろしいでしょう。

 

 

同寺サイトのコンテンツは充実していて

以下の説明は、公式サイトを基に作成しました。

当寺には、七堂伽藍以外のユニークな門があります。

 

総門 (重要文化財)
屋根が二重になっていて、中央の屋根を高くし、

左右を一段低くした中国風の門である

「牌楼(ぱいろう)式」の門で、漢門とも呼ばれます。

中央上部裏面には、風水的モチーフの

「白虎鏡」という円相が型取られています。

中国風の総門

扁額は「第一義」で、第5代高泉の書と伝わっています。

この額字は、高泉和尚が何度も書き改められたという

逸話が残っています。

 

三門 (重要文化財)
三間三戸、重層の楼門造りの門です。

左右に裳階(もこし)をつけ、山廊もついています。

大棟中央に火焰付宝珠があります。

正面の扁額「萬福寺」は隠元禅師による書

正面には2つの扁額があり「黄檗山」も隠元禅師による書です

山門は、三門とも書きます。

三門とは、三つの界の分かれ目ですので、

ここからは世俗を離れた清浄域です。

境内にある、円柱を用いた建物は、

三門・天王門・通玄門・舎利殿・寿蔵だけです。

 

通玄門 (重要文化財)
開山堂にはいるための正門で

三門を入ると左手に位置しています。

中央は、石條が直線に連なり

左右に状砂が配されています。

通玄門は、重要な結界の一つであるため、

三門等と同様に円柱が使われています。

奥深く玄妙なる真理=仏祖の位に通達する門です。

「通玄」の扁額

「通玄」とは「玄理を知る」ことです。

「玄理」とは「奥深い道理、深遠な真理」のことで

通玄とは、道理や真理の奥深くまで知ることを意味します。

庫裏への門

「修禅」とは、

禅定を修すること。

コトバンクによりマッスと「禅定(ぜんじょう)」とは

心を一つの対象に注いで、心の散乱をしずめるのが「定」

その上で、対象を正しくはっきりとらえて考えるのが「禅」

 

三内の建物は、回廊でつながれています。

春日大社のように吊り灯籠が下げられています。

勾欄(こうらん)
ここ開山堂だけではなく、法堂正面の勾欄は、

卍及び卍くずしの文様になっています。

これらはすでに奈良時代の法隆寺などの

南都寺院に使われています。

それとは別に、江戸時代初期にあらためて

黄檗を通じてもたらされたものです。

 

合山鐘

合山鐘は、

鐘楼ではなく、回廊の途中に吊り下げられています。

 

開梆(かいぱん)と雲版(うんぱん)
威徳殿の前に吊り下げられています。

黄檗清規には、飯梆(はんぽう)と記されています。

魚梆、魚鼓とも呼ばれます。

叢林における日常の行事や儀式の刻限を報じる

魚の形をして法器のことです。


雲版(奥の円形物)は、

朝と昼の食事と朝課の時に打って知らせる青銅製の板です。

 

【 コメント 】

 これまで、いろいろな寺院について、ご紹介してきましたが、門や回廊だけでまとめるほど、種々あるところはなかったと思います。

 七堂伽藍とはいえ、萬福寺は、いろいろな堂于があるということになります。

 

中国的七堂伽藍を巡る

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/b748d78db82db192352d412faf6250de

門と回廊

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2ea2bd7248ec4587e29d17697f9ff258

開山堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/a862cf8714f823fb0066f750814e2866

寿塔と石碑亭

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

潜脩禅・鼓楼・祖師堂

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/07d8ff7734cb7d67b9f14a74ce2d7159

天王殿 当寺の玄関

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大雄宝殿 最大伽藍

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/382b0ba3f3cc100e227f4c7a0552ee3d

法堂・鐘楼・開梆・雲版

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庭園と放生池

https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/6640d39a023332ddb3a5633aa3d75c38

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

  ■ カシャリ! ひとり旅


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■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-54 報告書の目的・効果を明確にすると経営の質が高まる

2023-05-25 12:03:00 | 【心 de 経営】 あたりまえ経営のすすめ2 管理編

■【あたりまえ経営のすすめ】2部 管理編3-54 報告書の目的・効果を明確にすると経営の質が高まる

 多様化の時代になり、ホンモノ智恵が求められる昨今です。

 世の中には、「専門家」とか「プロ」と呼ばれる人が多数いらっしゃいます。

 ところが、残念なことに、その大半というのが、「エセ専門家」「エセプロ」なのです。

 管理職も、“真”のプロ管理職にならなければなりません。

 ホンモノのプロ、要は「“真”のプロ」とは、どの様な人を指すのでしょうか。

 エセプロの多くは、「あたり前のことが、あたり前にできる」ということを軽視しています。

 「今の時代、最新の経営理論に基づく経営が重要である」と「あたり前」を蔑視をしている人もいるほどです。

 では、「あたり前」とは、なんでしょうか?

 「“真”のあたり前」を知らずして、あたり前を軽視して欲しくないですね。

 あたり前は、その辺に転がっているのではなく、「あたり前は創るもの」です。

 1970年代から、半世紀近くの経営コンサルタント経験から、最善の策ではないにしても、ベターな策を講じるための智恵をご紹介してまいります。

メモ

■ 2部 【管理編】 プロの管理職のあり方

 本シリーズは、経営士・コンサルタントなどの経営専門業・士業の先生方を対象として、第1部の【経営編】をお送りしてきました。しかし、その内容は、視点を変えれば経営者・管理職のためのお話でもあります。ビジネス界においては、フレキシブルな視点の持ち方をできる人が高く評価されるのです。

 筆者は、経営コンサルタントという仕事柄、しばしば管理職研修も実施してきました。その時に、必ずといって問うことは、「管理とは何でしょうか?」ということです。

 管理職の皆さんは、よく勉強していて、私より立派な回答が返ってきます。

 「では、それをどの様に実務に活かしていらっしゃいますか」と問いますと、期待するような回答が返ってきません。

 難しいことを勉強しすぎているのではないでしょうか。知識と実務が乖離していますと、せっかくの知識が知恵として活かせません。

 管理職として、「あたりまえ」なことが、実務で行われているのかどうか、謙虚に自分自身を見ることも大切なのではないでしょうか。

 管理職は、「管理とは何か」「温かい管理」を正しく理解しなければ、部下からも、上司からも、社会からも正しく評価されません。

  温かい管理とは  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/8b7833c2ebc019660a3813e9dedbf92f

 ここでは、管理職なら誰もが知っているようなことを整理してみました。

 知識としてはご存知のことでしょうが、それを実務に活かすにはどうしたらよいのかを考えてくださる契機となると幸いです。

 

■ 第2部3章 【管理編】 プロの管理職のための”新たな”PDCAと活用法 

 これまで第2章として、ホンモノのリーダーシップについてお話して参りました。

 そのリーダーシップと不可分にあるのがPDCAです。

 「いまさら、PDCAについて学ぼうとする人間なんていないよ」
 「もう、PDCAは古い!」

 このような声を聞くような時代になりました。それほど、PDCAが言い古されてきているのです。しかし、本当にPDCAが実行されているのでしょうか。そして、PDCAの効果が出ているのでしょうか。

 多くの方が、知識として知っていても、実行に移せていない人が多いのが「PDCA」です。

 一方で、「PDCAを常に意識しています」、という人もいます。ところが、本当にPDCAにより効果を上げられているのでしょうか?大半の方が、「効果を上げている”つもり”」であって、実際には、PDCAが適正に実行されていないがために、機会損失を起こしているのです。

 正しいPDCAとは何か?
 正しいPDCAの使い方とは?

 謙虚に、再度、PDCAに取り組んでみては如何でしょうか。あなたのPDCAとは違ったPDCAがあるかもしれません。

■ 3-54 報告書の目的・効果を明確にすると経営の質が高まる

 報連相は、計画書をベースに行うことにより、何を双方向コミュニケーションすべきかが見えてきます。
 既述の通り、営業設備を面前に置いて双方向コミュニケーションするときに、「P:計画(Plan)」を立てたときはどうであったのか、それの「D:実行(Do)」は、計画通り進んだのか等々が具体的に見えますので、コミュニケーションの内容も濃くなります。
  計画と実績の差を確認
  計画と実績の差を分析
  計画と実績の差を埋める対策
  事実・コミュニケーション内容・対策の蓄積
  対策の蓄積をマニュアル化して共用できるようにする

 また、営業設備を効果的に活用するには、営業日報の目的を共通認識するだけではなく、営業日報を利用するメリットも全社員に徹底する必要があります。
    ① OJTの教材として利用できる
    ② ノウハウの蓄積の好材料を得る
    ③ 部下の見えない部分、聞きづらい声を知ることができる
    ④ 記録性から、時系列事実の備忘録となる
    ⑤ 上司と部下のコミュニケーションのきっかけとなる
    ⑥ 関連部門に生の声を届けることができる

 報連相を的確に行うことにより、多くの問題も解決して行きます。
 「問題とは、計画と実積の差異である」という名言があります。
 計画と実績に乖離があることを明確にすることにより、それを解決しようと頑張り度をあげるきっかけとなります。これがPDCAの「C」であり、管理会計を利用するメリットの一つです。差異があることで、計画通りに進捗していないという警告を得られるのです。
 予算実績管理というのは、その面では効果がありますが、これをカバーするのが、おおおうにして「頑張り」なのです。
 単なる「頑張り」という意識だけではなく、経営管理の仕組み的な活用法として、管理会計では、「受注ヒット率管理」という管理法があります。
 受注目標とその達成率の比率で、管理する方法です。詳細は、当該項をご参照くださることにし、この指標のように、営業の質をチェックして、営業力を高めるという気づきの指標もあります。

 

【 注 】 PDCA詳細情報

「ロジカル・シンキングがよくわかる本」(今井信行著 秀和システム刊 1,760円)の第3章5節で詳しく説明しています。

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