ごっとさんのブログ

病気を治すのは薬ではなく自分自身
  
   薬と猫と時々時事

あの大震災から5年

2016-03-12 10:22:07 | 日記
昨日であの大震災からもう5年がたってしまいました。このところテレビなども震災復興についての番組一色です。

5年前の3月11日はまだはっきり覚えており、私にとっても重大な日だったような気がします。5年前はまだ市内の企業研究所に勤務していました。地震発生時はちょうどオフィスにいたのですが、7階建てのビルの5階でしたので本当に激しく揺れました。地震だということで、デスクにかけてあるヘルメットをかぶりましたが、みなどうしてよいかわからず、うろうろするだけでした。

本当に長い時間大きく揺れていました。少しおさまってきたときに、かみさんの携帯に電話したところ、まだすぐつながり無事を確認できました。オフィス内は物が落ちたりしたところは少しありましたが、特に被害はなく、車内放送で全員が中庭に集まり、人員確認など行い無事であったようです。

すぐに解散になり、私は実験室の様子を見に行きましたが、私の実験室は別棟の2階で、そこに向かっているときにまた大きな余震が来ました。おさまってから実験室に入りましたが、ウオーターバスの水がほとんどこぼれて周りが濡れている程度で、室内には特に異常はなく被害も出ていないようでした。

オフィスに帰るとどうも東北が震源地だったなど、少し情報は入ってきましたが、全体の様子はわからず落ちたものの片づけなどしていました。このころになると電話は全く通じなくなり、所内は特に大きな被害はないということで一安心でした。定時前に帰宅してもよいという案内は出たのですが、電車が動いていないようだという情報で、どうやって帰るかなど相談しました、やはりこういうときはどうやって正確な情報を得るかは、本当に難しいものでした。

私は車通勤でしたので、帰宅は問題ないはずでしたが、会社を出てすぐに信号が消えていました。みなそれほどスピードは出ていないのですが、片側2車線の広い国道を横切るときは本当に怖かった記憶があります。これでは自宅も停電かと思っていましたが、自宅近くになると信号は消えている割には家の明かりはついており、停電にはなっていませんでした。

自宅に帰りもう一度被害がないか調べましたが、全く問題はありませんでした。こういったときは電気水道などが異常がないことは本当にありがたいものです。ところがテレビではあの大津波の映像が流れており、予想以上の被害が出ていることが分かりました。この後はかみさんとずっとテレビに張り付いていましたが、本当に自然災害というのは予期せぬことが起こるものです。

以上が私にとっての3.11でしたが、この時はまだ原発についての情報は入ってきませんでした。