脚本家の橋田寿賀子さんが、安楽死を希望しているという記事があり、死生観として興味深く読みました。
橋田さんは今年91歳という高齢ですが、代表作である「渡る世間は鬼ばかり」のたぶん最終話となりそうなドラマの脚本を書くなど、偉人の一人になる人だと思っています(私の仲間ではこういう人は化け物と呼んでいます)。
橋田さんは熱海の田舎に住んでおり、時折スピーカーから徘徊して行方の分からくなった老人をさがす放送が聞こえて来るそうです。こういったことに対し橋田さんは「私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」ということから安楽死を選択されたようです。
そこでいろいろ調べた結果、スイスの医療団体が日本人も受け入れるということで、認知症の兆候が出たらスイスへ旅立つとしています。ヨーロッパでは何か国か安楽死を認めているが、外国人を受け入れるのはスイスだけのようです。
余談ですが安楽死を目的にスイスに渡航する人は非常に多く、2008年から2012年までの5年間で31か国611人の人が訪れているようです。これは年々増加傾向で、今では申し込みから実行日まで3か月待ちだそうです。
この橋田さんのように思っている人は、たぶんかなり多いような気がします。ただ安楽死を実行する人はほとんどいないとは思います。橋田さんのような人がスイスに旅立つのを、まわりが許すとは思えませんので、橋田さんも実行できないような気もします。
私も当然この意見には賛成というより、もっと過激?な感じを持っています。たぶん60歳を過ぎたあたりから、70まで生きられれば良いという気持ちになってきました(もうすぐですが)。
これは当時健康寿命が70歳程度でしたので、一つの目安として健康でいられるまでということで70歳が出てきました。別に70歳になったら自殺するというわけではなく、たぶん今と同じように過ごすことにはなりそうです。
私は若いころから、健康のために何かするというのが嫌いでした。自分の好きなように過ごして、それで病気になり死んでもやむを得ないというのが基本でした。昔から死という物をそれほど恐れない、もしくは生きていることに拘らないというのが私の死生観なのかもしれません。
幸いここまで大きな病気にもならず、健康を保ってきましたが、今年軽い肺炎になったように年齢による衰えを感じています。現在のような生活ができなくなったときどうするか、それはそうなってから考えるというのが私らしいような気がしています。
橋田さんは今年91歳という高齢ですが、代表作である「渡る世間は鬼ばかり」のたぶん最終話となりそうなドラマの脚本を書くなど、偉人の一人になる人だと思っています(私の仲間ではこういう人は化け物と呼んでいます)。
橋田さんは熱海の田舎に住んでおり、時折スピーカーから徘徊して行方の分からくなった老人をさがす放送が聞こえて来るそうです。こういったことに対し橋田さんは「私は認知症になった場合を考えると、恐ろしくてたまらないのです。何もわからず、ベッドに縛りつけられて生きるなんて考えたくもない。誰にも迷惑をかけないで安らかに逝きたい」ということから安楽死を選択されたようです。
そこでいろいろ調べた結果、スイスの医療団体が日本人も受け入れるということで、認知症の兆候が出たらスイスへ旅立つとしています。ヨーロッパでは何か国か安楽死を認めているが、外国人を受け入れるのはスイスだけのようです。
余談ですが安楽死を目的にスイスに渡航する人は非常に多く、2008年から2012年までの5年間で31か国611人の人が訪れているようです。これは年々増加傾向で、今では申し込みから実行日まで3か月待ちだそうです。
この橋田さんのように思っている人は、たぶんかなり多いような気がします。ただ安楽死を実行する人はほとんどいないとは思います。橋田さんのような人がスイスに旅立つのを、まわりが許すとは思えませんので、橋田さんも実行できないような気もします。
私も当然この意見には賛成というより、もっと過激?な感じを持っています。たぶん60歳を過ぎたあたりから、70まで生きられれば良いという気持ちになってきました(もうすぐですが)。
これは当時健康寿命が70歳程度でしたので、一つの目安として健康でいられるまでということで70歳が出てきました。別に70歳になったら自殺するというわけではなく、たぶん今と同じように過ごすことにはなりそうです。
私は若いころから、健康のために何かするというのが嫌いでした。自分の好きなように過ごして、それで病気になり死んでもやむを得ないというのが基本でした。昔から死という物をそれほど恐れない、もしくは生きていることに拘らないというのが私の死生観なのかもしれません。
幸いここまで大きな病気にもならず、健康を保ってきましたが、今年軽い肺炎になったように年齢による衰えを感じています。現在のような生活ができなくなったときどうするか、それはそうなってから考えるというのが私らしいような気がしています。