
僕が住んでる中津にも寺町があり、
今でも寺院の密集地帯だ。
津(三重県)にもあるにちがいない。
当てずっぽうだけど、寿町がそうじゃないだろうか。
もともと寺町は織豊時代の町割りの定番で、
いざ籠城というときの防衛戦にするために、寺院を1ヵ所に集めておいた。
当時、大軍を収容できる大きな建物は、城を除けば、寺院しかなかった。
さて、アテもなく津城下をぶらついている。
前述の寿町で、寺院を眺めながら歩いていると、
「史跡 寒松院藤堂家墓地」に迷いこんだ。
そこには、歴代の津藩主、そして支藩である久居藩主たちが祀られていた。
初代高虎候をはじめとして、歴代藩主の巨大な五輪塔が数十基もあり、
その迫力には圧倒させられる。
せっかくだからお参りをしていこうと本堂を探したが、
それらしき建物が見当たらない。
よくよく観察すると、壮大な五輪塔群とは裏腹に、
寺域には門や大きな建築物はなく、
墓塔だけが立ち並んでいる。
これも当てずっぽうだけど、
建築物は戦禍によって焼失したんじゃないだろうか?
なんせ歴代藩主の墓地なのだ。
おそらく、往時は荘厳を極めた建築物がひしめいていたと思う。
僕は、セントレア行きの高速船乗り場に向かって歩いている。
寿町から港までは思いの外ちかく、10分ほどで着いた。
直線距離だと1キロほどだろうから、
かつては寒松院付近まで海岸線があったのだろう。
寒松院という名称は、古のこの辺りの海岸に松林の防風林があり、
そこから名づけられたのだろうか?
これまた当てずっぽうな推測で、何の根拠もない。

前夜、会食した音楽家の方が
わざわざ見送りに足を運んでくださっていた。
穏やかな海と雪化粧を纏った山々を一望に見渡せるカフェで、
彼女と昼食をとった。
前夜同様、会話に花が咲いた。
とはいっても、彼女とは共通の思い出話はない。
なぜなら、今回の津での再会以前に、彼女と会ったのはたったの1度きり。
それも14年も前のことで、その時間もほんの数分間だけだった。
けど、彼女と僕を結びつけてくれている人がいる。
その人はもう亡くなってしまったけど、
彼女の心の中〈SOUL〉にも、そして僕の心の中〈SOUL〉にも、
今も確かに存在している。
僕は船に乗り込み、家路についた。
彼女は、波止場から、いつまでも手を振っていた。
僕は、彼女が見えなくなってからも、船上から津のまちをずっと眺めていた。
形容しがたい想いが、僕に押しよせてきた。
おそらく彼女も、同じ想いで海を眺めてたんじゃないだろうか?
There's a rainbow in my soul...
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