八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

感情の起伏、喋ることの大変さ

2012年08月22日 13時42分43秒 | 脳幹出血
だいぶ前になるけど私が倒れた頃を思い出して、
感情の起伏と喋ることの大変さについて、以前に書いた文章を一部手直しして再度書いてみる。

 1.感情の起伏
   脳幹出血では知能・感情に影響はないとはいえ、
   重い身体障害を負ってしまった驚きと悲しみ、自分の欲求を伝え難いもどかしさなどから、
   大なり小なり感情の起伏は出る。

    (1)意識回復直後:変わり果てた自分に驚愕し→憤激→罵倒→失望を繰り返し、お銀にメチャクチャ八当たり

    (2)~1年後の職場復帰まで:他人とはあまり会いたくなかったので面会謝絶していた。

    (3)職場復帰後~受容~現在まで:葛藤が5年間続き、受容後は急速におとなしく(?)なっていった。

       なんとしても歩きたいがため、そして5年後には幕張に転勤してみせるという狂気の5年間だった。
       この間はまるで腫れものか、手負いの狼に触るように、家族は私に接していた。
       私は私で感情の起伏が激しく、『オレの前では絶対に後ろ向きの話をするな』と、張りつめていたね。
       でも時にはイジケやヤケをおこして、お銀が泣くまで自暴自棄になったりもした。(年に数回)
       理不尽な八つ当たりと自分でも分かっていても、お銀に当たる衝動は押さえきれなかったなぁ~
       お銀も相当のストレスになったと思うけど、
       結婚してここまで来た以上は、私と一蓮托生で・・・の気持ちだったのではと、
       今では自分に都合良く想像しているけどね。
 
       会社を辞める決心をしてからは、急速に大人しくなって行った。
       それまでは自分の負った身体障害を真っ正面から認めたくない、そんな気持ちだったと思う。
       それが認めた瞬間に心の中で何かがガラガラと崩れて、精も根も尽き果てたような気がした。

    (4)そして今
       負ってしまった後遺症を腐れ縁の相棒だと思って、『しょーがない、一生付き合って行くか』の心境で暮している。

 2.喋ることの大変さ
   脳幹出血ではあらゆる神経に影響が出るから、喋りの面でも大きな影響が出てくる。

    (1)意識回復直後
       『○○』などと、一言二言を弱々しくカタコトでタドタドしくしか発声できないから、
       聞く人も耳をそばだてて聞くけど、分からないと『え?』と聞き返されるけど、聞き返されることがもの凄く嫌だった。
       苦労しながら絞り出すように大きく喋っているのに、気軽に聞き返すなコノヤローと、こんな具合だった。
       自分の喋り音は頭蓋骨の骨伝導でハッキリ聞えるけれど、
       他人には空気の振動でしか伝わらないので、こんな軋轢が起きてしまうんだよね。

    (2)退院後
       倒れてからの数年間は、息継ぎをしながら喋ることができなくて、『うっ』と息を止めて喋っていた。
       咽喉がマヒして肺活量も小さくノーブレスで必死に喋るから、いつも怒鳴り口調になって、
       『お父さんと話していると、なんか怒られているみたい』と、娘達には敬遠されていた。

       そこで、お銀は会社へ送迎する車内では、私にたくさん喋らせるように仕向けていた。
       出社時の1時間、帰りの40分、毎日車の中で、私はずーっと喋りまくっていた。
       たまに入るお銀の相槌もうわの空に、一心不乱にとにかく喋り続けた。
       振り返ると、この喋りまくりが良いリハビリになったと思う。
       単身赴任で7年間も離れて暮らしていたから、
       二人三脚でやってきたこの10年間は私達の第2の新婚時代だった気がする。

    (3)そして今
       時々咽ることもあるけど、ものを食べながらお喋りもできるし、(よく娘に注意されるけどね)
       音楽のおもちゃ箱から好きな歌を引っ張り出して、ヘタっぴながら一人カラオケをするまでになっている。
コメント (6)
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