両手で手摺を掴んでいるとはいえ、やはりこの足踏みも15年がかりでここまできている。
倒れた年に宮城病院で一本杖で数10m歩いたことだって、屈強なセラピストにマヒ半身を1歩ごとに強く支えられてのこと。
お世辞にも歩いているとは言えないレベルのものだった。
会社復帰してからだって、窓際の長イスの背もたれ向きに両ヒザを折って立ち、両ヒザ踏みをたっぷり1年間はやったもの。
窓を眺めては、『ああ、自由に歩きまわれるようになりたい』と、何百回ため息をついたことか。
その後、会社の机に両手をパーに開いておき、上体を支えて足踏みのマネ事をするようになって行った。
もちろん最初の頃は連続で数歩足踏むのがやっとだったけど、そのうちに万歩計で2000歩/日以上がノルマになった。
(略:会社復帰の8年間)
両手で手摺を持った足踏みだって、会社を辞めてからだから、倒れて9年も過ぎてから始めたのだった。
最初は30秒も足踏みをするとマヒ足が重苦しくなって、また足踏みができるようになるまでに3~5分もかかって、リハビリどころじゃなかったっけ。
その後、重苦しくなったらスジを伸ばすストレッチをすれば、また足踏みが再開できる発見をしてから、だいぶリハビリらしくなったもの。
そして15年。
手摺を持った今の足踏みだって、本来の足踏み以前の低レベルのものだけど、決して一朝一夕にできた訳ではない。
倒れた年に宮城病院で一本杖で数10m歩いたことだって、屈強なセラピストにマヒ半身を1歩ごとに強く支えられてのこと。
お世辞にも歩いているとは言えないレベルのものだった。
会社復帰してからだって、窓際の長イスの背もたれ向きに両ヒザを折って立ち、両ヒザ踏みをたっぷり1年間はやったもの。
窓を眺めては、『ああ、自由に歩きまわれるようになりたい』と、何百回ため息をついたことか。
その後、会社の机に両手をパーに開いておき、上体を支えて足踏みのマネ事をするようになって行った。
もちろん最初の頃は連続で数歩足踏むのがやっとだったけど、そのうちに万歩計で2000歩/日以上がノルマになった。
(略:会社復帰の8年間)
両手で手摺を持った足踏みだって、会社を辞めてからだから、倒れて9年も過ぎてから始めたのだった。
最初は30秒も足踏みをするとマヒ足が重苦しくなって、また足踏みができるようになるまでに3~5分もかかって、リハビリどころじゃなかったっけ。
その後、重苦しくなったらスジを伸ばすストレッチをすれば、また足踏みが再開できる発見をしてから、だいぶリハビリらしくなったもの。
そして15年。
手摺を持った今の足踏みだって、本来の足踏み以前の低レベルのものだけど、決して一朝一夕にできた訳ではない。