八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

3月11日(7年前のあの日あの時)

2018年03月11日 18時36分13秒 | 東日本大震災・地震
◇昨日、別のところでお試しデイを体験してきた。
  食事&おやつも、理学療法士によるリハビリも、入浴も、シャワートイレも、車イスの自走も、そして雰囲気も、みんな良かった。
  屈託のない楽しさを、実に半年ぶりに味わえた。

   ps:男性同士で将棋と麻雀をやっていたから、土曜日なのに頭がシャッキリしている男性利用者の多さにド肝を抜かれた。
      麻雀はリハビリ目的だから手動、点棒なしで打っていたけど、途中でメンバ替えたので面子は5人いた。
      右手がダメな私は卓の後ろで見学したけど、片手で打てる全自動のジャン卓だったら私も参加できたのに、、、残念。
      昨日は半数以上が男性だった、曜日によって多少違うという話だったけど。
      イベントは月1回ということだけど、スタッフのオーバーワーク&ストレス化防止のためにも丁度良いのかもと思った。

◇あの東日本大震災から、今日でまる7年。
  もう7年なのか、まだ7年なのか、よく分からない。
  あの大津波に襲われた時の映像は悲し過ぎて、もう見たくないよ。

  思い出すなぁ、あの日、あの時。
  娘は夜勤明けで、1階の奥の和室で寝ていた。
  私は1階リビングで、手すりを掴んで足踏みのリハビリをしていた。
  ケータイの緊急地震警報を聴いた娘がリビングまで飛び起きてきて、
  『お父さん、大きな地震が来る、手すりに掴まって!!』と叫んだ。
  次の瞬間、経験したこともない徐々に揺れが大きくなる地震がきて、家が激しくローリングした。
  14:46、東日本大震災だった。
  際限なく続いた家の激しいローリングの中、途中で『家が潰れて娘と圧死するならそれも仕方ない』とも思ったけど、
  家の柱がギシギシときしみ続けるうちに『バキッ』と折れてしまわないよう、天国のお銀に必死に頼み祈り続けたな。

  14:46、私も一緒に黙祷を捧げた。

   ps:地震が発生した時、私はリビングーキッチン間の頑丈な手すりを両手で掴んでリハビリ(足踏み)していた。
      私の身を守る上でこれ以上の良い条件は無いというくらいの状況で、あの大地震が発生した。
      家を守ってくれたことといい、私が手すりを掴んでいた時の地震発生だったことといい、
      お銀ホトケさまのご加護のお蔭だと今でもそう信じている。
コメント (2)
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