八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

2月28日(私の脳の可塑性は手すり伝い歩き生活があってこそ)

2021年02月28日 18時00分20秒 | リハビリ・ADL

◇今朝は寝坊して5時に元気(体温=36.4度)に起床した、感謝感謝。
  
外気温=-5℃だったけど、トイレも洗面所も水は凍らなかった、やれやれ。
  私の記憶の中では今季-7℃だったのが最高で、-5℃はそれに次ぐ寒さだ。
  今日は2月最終日で、明日からやよいの3月だというのに、この寒さだ。
  放射冷却か?、まあ好いや、仕方なかんべー、自然現象だもの。
  今日は完全休養の日曜日、うだうだと一日を過ごした。

23年前の初外泊許可の頃を、久しぶりにふり返ってみた。
  あの時の手すり据付の自宅改修は、病院の反対を押し切っての私の独断だった。
  東北大病院の私の診断は、『将来でも歩行は不可、だから車イス生活を』だった。
  従って自宅の改修意見も車イス生活のための改修だったが、
  自宅改修レベルでは車イスの生活は無理で、新築し直すレベルの改修(改築)だった。
  自宅購入してまだ10年だったし、病院にはもう相談しないで手すり据付の改修に決めた。
  あとあとこのことが主治医との衝突の遠因になり、国立宮城病院に転院することになった。
  しかし今では、私の反骨魂に火を点けた東北大病院に感謝している。
  こういうイキサツがなかったら、何が何でも手すりを伝い歩く自宅生活、
  将来は意地でも歩いて見せる自己流リハビリ、この両方
を続けて来られなかった。
  人生にタラレバはないけど、あの時手すり改修を決断して心底良かったと思う。
  
  脳幹出血から23年。
  今でも年々非常にゆっくり回復し続けているのは、
  手すり伝い歩きによる自宅生活がベースになっているからだと思っている。
  換言すれば、私の脳の可塑性は手すり伝い歩き生活があればこそだと思う。

ああ上野駅(島津亜矢)
 島津亜矢の歌は好いなぁ、ほんと元気がでる。

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コメント
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