八兵衛のセカンドライフ

46歳で脳幹(橋)出血、現在72歳の車イス男性。ブログはFact is factで(事実だものしょーがねぇべ)

そして新天地=宮城病院へと

2011年05月10日 14時09分08秒 | 脳幹出血
私が意欲を持ってリハビリする限り、宮城病院はどこまでも訓練の機会を与えてくれて、まさに新天地となった。

PT/OT では早々に全身検査をし、さらに松葉杖での歩行を診て、
  ・ 装具は一切不要。
  ・ 会社復帰も考えて、杖は見た目が軽い一本杖で。
また、11月末の退院までの日課は下記で通した。
  ・ 9:00~10:00 平行棒の中の歩行(PT先生の遠隔監督のもとで自主訓練)
  ・ 11:00~12:00 OT(作業療法、パソコン操作+メール等)
  ・ 15:00~16:00 平行棒の中の歩行(PT先生の遠隔監督のもとで自主訓練)
  ・ 16:00~17:00 PT(ストレッチ、バランス運動、一本杖歩行訓練:周回60m×2)

11月末の退院前には、
マヒ側を付添いに強く支えて貰えば、1本杖で数10mは歩行できるまでになった。
マヒ側が重過ぎて1歩毎に上体が後に仰け反り、曲芸みたいな危なっかしい歩行だった。
しかし、将来もたとえ単独での杖歩行が叶わぬとしても、
今後も息長いリハビリを続けて行く事で、付添者の軽い支えで杖歩行が可能になりそう、
との確信をしっかり掴むことができ、宮城病院に感謝で一杯の気持ちだった。

9月上旬:身体障害者手帳=1種1級の認定通知。

10月上旬:会社復帰の上申書を作成し提出。宮城病院の診断書を上申書に添付した。
       主治医の図らいで、診断書の就業意見は「知的デスクワークに限り可」とした。
10月中旬:会社復帰の内定通知。(復帰日=平11年1月4日、東北支社兼務)

10月21日:お銀の父が心不全(狭心症)で死去、享年81歳。
      1週間前内定した会社復帰を大変喜び、そして安堵し、
      前日20日までは元気だったが、21日朝には安らかな眠り顔を浮かべ逝ってしまったとの事。
      私が倒れて大変心配かけてしまったけど、土壇場に親孝行できたのがせめてもの救いだった。

11月下旬:宮城病院を退院

平成11年1月4日:会社復帰(3月までは半日勤務、4月からは終日勤務)

  娘達は社会人に自立したし、住宅ローンは完済したし・・・そろそろ軟着陸しても・・

平成18年3月末:退社(30年勤続)
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