内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

カイロスとクロノス(17)― 思考においては完全な自己同一はけっして成立しない

2018-10-03 23:59:59 | 哲学

 バンヴェニストが言うように、もし発話行為が主観性と意識の基礎なのならば、発話行為に必然的に伴う思考と発語形成との間の〈ずれ〉或いは後者の前者に対する〈遅れ〉は、主観の構造の構成要素を成している。思考はつねに言語行為として成り立つのであれば、まさにそれが理由で思考はそれ自身のうちに必然的に操作時間を内含している。言い換えれば、思考においては、それがたとえどんなに高速度で実行され、その鳥瞰能力がいかに大きくても、けっして完全な自己同一は成り立たないということである。意識が己自身に現前するということはつねにすでに時間形式においてである。このことは思考の時間と表象の時間とはけっして完全には一致しないということも説明してくれる。思考がそれらを通じて自己表現する語群 ― そして、あるイメージ時間がそれらにおいて実現される語群 ― を形成するために、思考はいくらかの操作時間を必要とする。この操作時間は、ある仕方でそれを内含している表象の中に表象され得ない。