高御産巣日神と神産巣日神は、記紀の神代巻に天之御中主神に続いて出現するいわゆる造化三神の中の二神だが、この二つの神名に共通して出てくる「産巣日 ムスヒ」は、『岩波古語辞典』(1990年)によれば、「《草や苔などのように、ふえ、繁殖する意。ヒはヒ(日)と同根。太陽の霊力と同一視された原始的な観念における霊力の一》 生物がふえてゆくように、万物を生みなす不可思議な霊力」である。そして、「後世「結び」と関係づけて解釈されたが、起源的には関係ない」と注記されている。
松前健『日本の神々』(講談社学術文庫、2016年、初版1974年)にも、上掲の二神の「ムスビ」について、「もともとこの語は「生成」「生産」を表わすムスと、「神霊」もしくは「太陽」を表わすヒとの合成語である」とあり、「この神々が、鎮魂の神、玉結びの呪術の神とされ、ムスビが「産す霊」ではなくて、「結び」だとされるに至ったのは、たぶん後世的な機能の転化によるものである」と、『岩波古語辞典』の注記を補ってくれる記述が見られる。
両者が言う「後世」とはいつ頃のことなのか、どちらにも明記はされていないのだが、どんなに下っても平安後期には「産霊」と「結び」との混同が発生していたことは、『奥儀抄』『伊呂波字類抄』などの「結ぶの神」の語義説明からわかる。
本来語源を異にする両語の音韻的近接性と意味論的類縁性が古代日本語において引き起こした「生成・生産・形成」と「結合」との観念連合がそれ以後の日本思想史の一つの流れを形成していると言えるように思う。〈結ぶ〉に〈産む〉力が意味論的に充填されることで、〈結び〉が諸物の生成・生産・形成の原理となり、それが「結ぶ」という語の語義の展開にも表れている。
とすれば、〈結び〉によって〈産霊〉の意味がいわば収奪されることによって、万物生成の原理としての〈ムスヒ〉が隠蔽されていく過程を古代的世界像の終焉の一つの指標と見なすことができるのではないだろうか。