授業の準備と試験問題作成の際、ある知識をそのまま覚えさせるのではなく、理解し覚えたことをその後さまざまな仕方で使えるようになりたいという気持ちに学生たちをさせるにはどうすればよいのかと常々考えている。
授業のレベル・目的・分野によって事情も異なるわけであるから、この問題についての自分の考えがどんな場合にも適用可能だとはもちろん考えてはいない。
古典文学と文学史の授業を担当していて、こちらからの願いとして、学生たちには、古典作品の魅力をわかってもらい、自分で読んでみようという気になってほしいということがまずある。ところが、それに対して、答えが決まっているような、ただ知識の正確さを問うだけの試験形式は、かえって学生たちからその気を奪い、古典の世界から遠ざけてしまいがちだ。
この問題は、歴史の授業でもほぼ同じような仕方で生じてしまう。ただ覚えることを強制するのではなく、歴史を学ぶことの大切さと魅力を感じてもらい、自ら進んで調べ理解し、必要とあれば覚えるという姿勢を身につけてもらうには、どうすればいいのだろうか、そういつも自問しながら授業の準備をしている。
この問題への一つの私なりの答えとして、これまでの四年間にも、日本文学史と日本史の講義で、実際かなり型破りな試験問題を与えてきことは、拙ブログでも何度か話題にしてきた。
今回の前期中間試験では、さらに積極的な学びの姿勢を学生たちに身につけてほしいとの願いから、私にとっても初めての形式を採用することにした。ただ、それはあまりにも破天荒だとの誹りを招きかねないので、課題を複数与え、その中から学生たち自身が自由に選んでよいことにした。と同時に、こうした自由な選択を苦手とする「お利口さん型」の学生たちのために、一問はオーソドックスな形式にするという配慮はした。
今日の授業で、学生たちにすべての課題を公開し、こちらの出題意図をパワーポイントを使って詳しく説明した。問題はすべて『平家物語』を対象あるいは素材にしている。試験までまだ二週間あるが、学生たちには他の試験の準備もあるから、私が与えた課題は相当に重いはずである。
今まで見たこともない課題を眼の前にして、学生たちは目を丸くし、顔を見合わせ、しばらく教室内はざわついた。これは当然の反応で、想定内である。ところが、彼らの表情に表れていたのは、どうすればいいのかという困惑というよりも、これはもしかしたらやってみると楽しいかも知れないという期待感のようなものだった。自分はどの課題を選ぼうかとさっそく考え始め、授業後、自分のアイデアは許容範囲か聞きに来た学生もいた。
さあて、こちらの期待通りの結果が出るかどうか。それは二週間後のお楽しみである。ちなみに課題を説明したパワーポイントは、大学のイントラネットの当該授業の頁に公開してある。