内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「結ぶ」、「繋がる」、そして死者と生者の共生 ―『君の名は。』『ちはやふる』『僕だけがいない街』などをめぐって(上)

2018-10-12 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の「日本文化文明講座」(実のところは、「日本事情」とか、ちょっと古めかしく言えば、「日本記聞」くらいがむしろ適当)では、フクシマ・東日本大震災以後の日本で頻繁に使われるようになったと私に思われる言葉とそれらに込められた意味について話した。
 実際には、「寄り添う」という言葉が一番耳について、次第にちょっとしたことでも安易に使われ、ついには何かと言えば「安売り」されるようになり、正直に言うと、うんざりするほどだった。まさにそれが理由で授業ではこの語のことは話題にしなかった。
 言葉としては、「結び」(あるいは「結ぶ」)と「繋がる」(あるいは「繋がり」「繋ぐ」)の二つを取り上げた。メディアで頻繁に使われるようになったばかりでなく、日常の会話の中でも頻度が歴然と高まったように思われる。もっとも、普段日本にいないから、日常については実感としては確信を持って言えないが。
 映画・ドラマでは、もう数え切れないくらいの作品がこの二つの言葉のいずれか、あるいは両方ををキーワードとしている。もしくは、作品の表面には表れていなくても、作品のテーマを説明しようとするときにこれらの言葉を使えばうまく説明できることが多い。
 「結び」とくれば、これはもう『君の名は。』である。昨年の古代文学史の講義では、『万葉集』中の一首がこの映画のキーノートになっていること、「かたわれどき」という言葉が映画の中で三回(「かたわれ」も含めると四回)使われているが、この言葉が「たそがれどき」「かわたれどき」と重ね合わされていることにそれらの場面を見せながら注意を促したりした。今回は、すでに何度も観たことがある学生たちもいて、三葉の祖母が「結び」について語る場面を見せながらの私の日本語での説明も比較的容易に理解できたようだ。