内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

中間試験採点を終えての感想 ― 歴史の勉強が楽しくなるような試験問題

2019-11-06 23:59:59 | 講義の余白から

 ヴァカンス前に行った「近代日本の歴史と社会」の試験の採点を今日終えた。なかなか読みごたえのある答案が多くて、感心した。授業の内容をできるだけ活用した答案がある一方、授業外で自主的に調べたことを盛り込んで議論を発展させている答案もあった。
 第一タイプは、いわゆる小論文形式で、日本史における「近代」概念について問う問題。この問題については、授業でももっとも時間を割いて、多数の参考文献を参照しながら考察したこともあり、この問題を選択した学生たちは、それらの参考文献を参照しつつ、場合によっては他の文献も援用しながら、自分自身でよく考えて議論を展開していた。
 第二タイプは、神道非宗教論に関するテキストの注釈。日本近代における religion の翻訳語としての「宗教」概念と国家神道の関係、近代国家としての政教分離の原則などについてテキストの論旨をうまく捉えられているかどうかが評価のポイントになる。
 第三タイプは、日本における「キリスト教の世紀」をその時代の特定の人物の視点から記述することを求める問題。年代・文章のジャンル・人物の選択は、学生たち任せ。ジャンルとして選ばれたのは、日記、書簡、報告書、回想録。人物としては、イエズス会宣教師、ポルトガル商人、キリシタン大名、キリシタンになった武士あるいは農民、オランダ人と日本人女性の間に生まれたハーフなど。
 この第三タイプを選択する学生がもっとも多かったのだが、それは一見これが一番簡単に思えたからであろう。しかし、実際は、このタイプがもっとも難しい。論理的思考力だけでなく、歴史的想像力も試されるからだ。力不足だと、参考文献に書いてあることを登場人物の口に含めて羅列するだけに終わってしまい、それではこのタイプを選んだ意味がない。他方、ただ想像力に任せて書いても、歴史的根拠に欠けていれば、出来損ないの歴史小説の破片にしかならない。選んだ年代・人物等についてよく調べ、その上でその身になって当時の物事を見、考えることを真剣に試みなければ、優れた答案は書けない。結果として、このタイプの答案に一番点数の開きが出る。
 ただ、歴史の現場に身をおいて当時の問題を考えてみよ、というこちらの意図はかなりよく理解されていたことが答案を読んでいてわかる。中には、けっこう楽しんで準備してきたと思われる答案もあって、それは読んでいるこちらも楽しい。
 授業科目である以上、採点はせざるを得ないが、こうすれば歴史の勉強も楽しいし、いろいろと考える機会になる、ということを学生たちが理解してくれることのほうが私にとってはより重要なことである。