相手が無知なのをいいことに、自分がろくに知りもしないことをさも知悉しているかのように喋々している人を見ると、すごく嫌な気がする。情けない、とも思う。
他の点ではすべて相手に劣っているのに、ある一点において優位に立てるのをいいことに、上から目線で相手を子供扱いする人を見ると、その人を軽蔑したくなる。恥ずかしくないのか、と言いたくなる。
実は、語学教師にこの手の輩が少なくない。過去に何人もこのタイプを見てきた。そうとわかると、もう話す気もしない。
ああ、いや、語学教師だけではないね。
あんたが教室でやっていること、それとどこが違うの? そう聞かれたら、どうこたえるか。「まったく違う!」 そう言い切れるか。
言い切れないけれど、「いや、かなり違うかな」、くらいのことは言えるように、日々努力はしている。
では、その違いはどこにあるのか。
ここまで書いて、『ソクラテスの弁明』の有名な一節を思い出した。それに我が身を引き比べるというのではもちろんなくて、ただ、ここに哲学の原点があることを忘れてはいけないと思って。
私はこの人間よりは知恵がある。それは、たぶん私たちのどちらも立派で善いことを何一つ知ってはいないのだが、この人は知らないのに知っていると思っているのに対して、私のほうは、知らないので、ちょうどそのとおり、知らないと思っているのだから。どうやら、なにかそのほんの小さな点で、私はこの人よりも知恵があるようだ。つまり、私は、知らないことを、知らないと思っているという点で。(納富信留訳、光文社古典新訳文庫、2013年)
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