急速な技術革新によって私たちの社会生活や日々の暮らしが目の回るような速度で変わっていくのを目の当たりにし、私はなかば呆然と立ちつくし、傍観しているにすぎない。少しでも時代についていこうと情報収集や即席の独学に心身をすり減らす気にはなれない。そんなことをしてもどうせ時代はどんどん遠ざかってゆき、そのうち私自身がこの世から退場していくのであるから、もっと私自身にとって大切なことに時間を使いたい。
とはいいながら、ネット上に氾濫する情報には翻弄されるし、遠い先のことは考えないようにしても、近い未来を思うだけで暗澹とした気持ちになる出来事やニュースには事欠かない。無数の情報がネット上を駆け巡っているにもかかわらず、そのなかから自分が特に関心のある事柄に関するものに限って継続的に追跡しようとしても、それらの「商品価値」がなくなると、ネット上から跡形もなく消えてしまう。その消滅までの時間がどんどん短くなっていく。
物質的には豊かなのに、心は貧しくなっていく一方で、悲しくなることがある。
そんなとき、ふとネット上で目に止まったのが大岡敏昭著『武士の絵日記 幕末の暮らしと住まいの風景』(角川ソフィア文庫、2014年。原本、相模書房、2007年)である。
幕末、江戸から北に一五里ほど離れた武蔵野の一角にあった小さな城下町に暮らした忍藩下級武士、尾崎石城が文久元年(一八六一)から翌年二月までの一七八日間の暮らしを綴った絵日記を、石城が描いた挿絵をふんだんに盛り込みつつ紹介した本である。武士たちが残した日記は数多くあるが、日常の細部を具体的に詳細に記録し、しかもそれに多数の挿絵を添えた絵日記で、しかもこれほどの長編は、現在までに発見された日記類のなかで唯一であろうと著者は言う。
石城は文才と画才に恵まれた下級武士であった。彼は独り身で、妹夫婦の家に同居していた。その妹の夫もまた下級武士であった。石城は、自分と自分を取り巻く人たちの暮らしの様子を挿絵入りの日記として書いているのであるが、それは「愉快で楽しく、また和やかである。その挿絵は[…]、実にうまくて、思わず吹き出してしまうような場面も多いが、それは作者の人柄がにじみ出ているからであろう」(「まえがき」より)。
この絵日記からは、下級武士たちの暮らしがどのようなものであったか、そしてどのような価値観をもって生きていたかを、具体的に、しかも視覚的に知ることができる。そこには、暮らしと生き方において、金銭物欲的で利己的な価値観がはびこる自己中心的な現代の社会的風潮とは異なり、きわめて心豊かな暮らしの風景を多く見出すのである。(「まえがき」より)
著者は「あとがき」で下級武士たちの暮らしについて次のように述べている。
下級武士たちの生活は貧しく窮していた。だからといって心貧しいわけではない。その不安定な生活から僅かの髪結いのお金に困ることがあるが、一方で料亭に繰り出したり、自宅で友人たちと酒宴をすることも多い。持ち合わせがないときは着物や帯を質入れし、それで酒と肴を買って友人をもてなす。そして困っている人がいれば手を差しのべ、皆で支え合い、残り少ない有り金を叩いてその窮乏を助けたりする。また友人たちの家を訪ねるときは、ささやかな酒か肴を持参し、突然に訪問されても有り合わせの食事で歓待する。そしてまた書物に投ずるお金は惜しまず、常に幅広く文芸を究め、己の教養を高めようとする。このように貧しく窮してはいても、武士として人間としての生きる気品と誇りを失わなかったのである。
そこには利他と情の心がある。この絵日記に登場する人びとの暮らしが、毎日おおらかに生き、豊かにさえ感じるのは、そのような人への思いやりと心の豊かさがあり、人と人との和の絆があったからであろうと思う。それは武士の住まいにもいえる。道に広く開かれた住まいは、外からやってくる人びとを大切に迎えるという考えでつくられていたのである。
では貧しい暮らしながらも、なぜこのような温かい気もちになれるのか。それは過度の欲を持たず、身の回りのささやかな暮らしの中に喜びを見出すという生き方にあり、そのことで心にゆとりが生れていたからであろうと思う。
この好著を肴に酒盃を傾けることで、少し心が潤される。
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