27日の記事で話題にした小関智弘の『大森界隈職人往来』(岩波現代文庫、2002年。原本、朝日新聞社、1981年)には、その底本となっている同時代ライブラリー版(岩波書店、1996年)の「あとがき」が収録されている。その中の次の一節を読んで、本書の本文が活写している「職人」たちは、シモンドンのいうところの「技術者」と「労働者」の間に位置する存在だということに気づいた。引用中の「その人たち」とは、モノづくりを忘れた工場労働者たちのことである。
その人たちは、そのボタンを押せばなぜ機械が動き、どうしてバイトで鋼が削れるのか、ということなど知らない、考える必要もない。それでも機械がモノを作ってくれる。そういう労働者として働いている。
そこで働いている人たちは、たしかに働いているのに、モノを作っているという労働実感からはほど遠く、作らされているのか、せいぜいのところ、作れてしまうという実感しか持ち得ない。そういう労働が、町工場のなかにもたくさん生まれた。[…]自分の手で作っているという実感とは限りなく遠い労働、仕事が出現した。
モノそのものとの対話のなかから新しい形を創り出していく技術者。技術者によって開発された技術を工場現場での創意工夫によって再生可能なモノの形として実現する職人。技術によるモノとの直接対話とは無関係となり、モノづくりから疎外され、ただ技術と機械に使われるだけの労働者。
シモンドンのいう「技術者」たちだけではモノは作れない。シモンドンが批判する「労働者」だけでももちろんモノは作れない。しかし、「職人」がいなければ、「技術」は現実に機能しない。「職人」がいなくなった社会はモノが作れない。それだけではなく、「人がいなくなる」(同書巻末の小関氏と経済評論家の内橋克人との解説対談の中での内橋氏の言葉)。
対談の終わりの方で、小関氏は、「職人」の復活についてほとんど絶望的な状況だとの認識を内橋氏と共有しつつも、モノづくりの新しい形を生み出しつつある次世代に希望を託している。
いま若者がよく育っている町工場を見ると、むしろあまりこまごまと、あれはこうしろ、これはこうしろと言わないで、語った理念に向かって、あとはお前たちがやってみな、プロセスはどうでもいいんだ、お前たちに任せるから、やってみてくれないか、という任せ方をしている。
そうすると、そこから、いいのが育つのです。マニュアル労働をさせてしまうと育たないのですけれども、大胆に任せてしまうと、経営者の頭のなかにあるようなプロセスとはぜんぜん違うものを若者は発見してきて、新しい工夫が生まれたりしている。
この解説対談が行われたのは2002年6月26日である。それから二十年余りが経過した。現状はどうなのだろう。
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