内的自己対話-川の畔のささめごと

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動物たちにも心的装置を認めた最晩年のフロイト

2024-06-15 11:25:09 | 読游摘録

 フロイトは、昨日引用した『文明への不満』の三年前に刊行された『幻想の未来』(1927)のはじめのほうで、文化と文明とを区別しないでと断ったうえで、文化(文明)に次のような定義を与えている。

文化とは、人間の生を動物的な条件から抜けださせるすべてのものであり、動物の生との違いを作りだすもののことである。(光文社古典新訳文庫『幻想の未来/文化への不満』中山元訳、2013年)

 この定義そのものはフロイトの独創によるものではなく、当時としては多くの欧米知識人たちに共有されていた文化(文明)観であろう。文化(文明)をもっていることにおいて、人間は動物たちとは異なり、より高度な存在である。このような考え方に当時反対する人がいたとしても、それはごく少数だったろう。
 ところが、心的装置に関して、最晩年のフロイトは『精神分析概説』(死の前年1938年に書かれ、死後1940年に刊行)の第一章の末尾で次のように述べている。

心的装置のこの一般的な構図は、人間と心的類似性をもった高等動物についても当てはまる。超自我の存在は、人間においてと同様、その成長過程初期にかなり長い期間依存関係に置かれざるを得なかった生き物の場合にはいたるところに認めるのが妥当であろう。自我とエスとの区別は否定しがたい事実である。動物心理学は、ここに提供されたままになっている興味深い研究にまだまったく取り組んでいない。(仏訳Abrégé de psychanalyse, PUF, 1951からの私訳)

 『幻想の未来』では、文化の定義において人間と動物とをはっきりと区別していたフロイトが、最晩年には、少なくとも高等動物と人間との間の心的装置における類似性を認めていたことは興味深い。フロイトが飼い犬をとても可愛がり、それこそ家族として認めていたことはよく知られているし(二匹の飼い犬についてビンスワンガーに送った1929年12月27日付の手紙参照)、飼い犬と戯れる最晩年のフロイトは映像としても残されている。
 心的装置における人間との類似性をどこまで動物たちに拡張できるかは難しい問題だと思う。ただ、上掲の引用にあるように、成長過程初期に一定期間なんらかの依存関係に置かれた動物たちにその行動を規制する超自我の存在を認めるという仮説に従えば、心的装置を、言語と無意識の関係にのみ基づいたそれに限定することなく、また人間との接触の多寡とは関わりなく、動物たちにも認めることができるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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