内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

やがて消え入る老いの繰り言、あるいは虚空に漂うテツガク的戯言

2021-01-08 20:20:53 | 雑感

 今更なのですが、自分自身について、今日、こんなふうに思いました。
 客観的に見て結構過酷な状況に置かれても、わりと平気でいられるのは、少なくとも医者にかからなくてはならないような病的な状態に陥らずにすんでいるのは(あくまで心もとない自己診断に過ぎませんが、このことをカミに感謝します)、もしかすると、根が単純な作りだからなのかもしれない、と。
 こう言えば、「えぇ~、今頃気づいたの! 根が単純と言うよりも、その鈍感さがあんたの救いなのさ」という意地悪な反応が、打てば響くように(― 旦那、使い方、間違ってまっせ)、返ってきそうです。が、まあ、やがて消え入る老いぼれの繰り言でございますから、寛大な心で聞きてくだされ(黄昏れゆく年寄りに対するこういう優しさが世の中から消え去りつつある厳しい現実があるわけですが、それは置いといて)。
 つまらぬことですぐに落ち込むかわり、ちょっとしたきっかけですぐに立ち直ります。といっても、心の底でつねに蠢いている何かどす黒いものを感じないわけではないのですが、それは飼いならしている、と言えば真っ赤な嘘になりますが、そんなの手の施しようがないしなあ、と諦めています。何か困ることがあっても、「なんでこうなるのよ」とさっさと愚痴って、「しゃあないやん」とわりとすんなりと状況を受け入れ、「はいはい、わかりました。やればいいんでしょ、やれば」と表向き粛々と仕事をこなし、「一日の苦労は一日で足れリ」とか「明日は明日の風が吹く」とか「明けない夜はない」とか、利いた風な口を叩き、さっさと寝ます。
 と、ここまで書いてきて気づいたのですが(― だからテメエは鈍感だっていうんだよ)、こういう心性って、ほんとうは自分でもよくわかっていないことをわかっているような振りをして、小難しい理屈を七面倒臭い仕方で延々と捏ねくりまわすことからなっているテツガク的戯言を弄するには不向きですね。
 では、私はいったい今まで何をしてきたのでしょうか(― 知るか!)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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