内的自己対話-川の畔のささめごと

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「人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ」― サン=テグジュペリ『戦う操縦士』より

2024-06-10 14:10:41 | 読游摘録

 「稀代」とか「当代無比」とか称される読書家でもある作家や批評家などの書評集成や読書日記などを読むと、名ガイドに導かれての名所の周遊や秘跡の探訪にも似た愉しみを味わえる。他方、どうやったらこんなにたくさんの本が読めるのか、しかもそれらの本について見事な書評や味わい深いエッセイなどが次から次へと書けるのかと、讃嘆の念とともに深く溜息をつくほかない。
 それらの読書家たちの渉猟する領域は広大だから、彼らの読んだ本のなかに私も読んだことがある本があったとしてもそれはまったく驚くにあたらないが、自分にとって大切な著作家が彼らにとってもそうであったことを書評や読書日記等を通じて知るのは嬉しい発見である。
 須賀敦子もそうした卓絶した読書家のひとりだったが、彼女にとって大切な著作家のなかに、シモーヌ・ヴェイユ、サン=テグジュペリ、ユルスナール、森鴎外などの名が見出されるのはことのほか私を喜ばせる。
 『遠い朝の本たち』(筑摩書房、一九九八年)に収録された「星と地球のあいだで」(初出「国語通信」筑摩書房、一九九二年十月号)はサン=テグジュペリのことがテーマになっている。
 大学を出た年(一九五一年)の夏、須賀は自分の行くべき方向を決めかねてそのために体調を崩してしまう。何人かの友人の誘いで信州の山の町に出かける。その旅荷のなかには『夜間飛行』と『戦う操縦士』が入っていた。その『戦う操縦士』がこのエッセイを書いている四十一年後にもまだ須賀の手元に残っている。

黄ばんだ紙切れがはさまった一二七ページには、あのときの友人たちに捧げたいようなサンテックスの文章に、青えんぴつで鉤カッコがついている。
「人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ」
 あの夏、私は生まれてはじめて、血がつながっているからでない、友人という人種に属するひとたちの絆にかこまれて、あたらしい生き方にむかって出発したように思う。

 引用されている文の原文は、 « L’homme n’est qu’un nœud de relations. Les relations comptent seules pour l’homme. » である。上掲の訳が須賀自身によるのか他の人の訳なのかいま確かめるすべがないが、nœud を「塊り」と訳すのはどうかと思う。むしろ「結び目」のほうがよいと思う。実際、光文社古典新訳文庫版(二〇一八年)の鈴木雅生訳は、「人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ」となっている。
 「塊り」はそれ自体で独立している個体も指すが、ここでそれは当てはまらない。ひとりひとりの人間はそれぞれに独立した個体ではなく、さまざまな関係の結び目として生成発展し、身を挺して人を守り、人から守られ、共に戦い、また傷つき苦しみもする。
 『戦う操縦士』のこの一文は、メルロ=ポンティが『知覚の現象学』の最後に引用している一文でもある。しかし、『知覚の現象学』では、この一文に先立って、その数頁前の一節が多くの中略を含みつつ次のように引用されている。

« Ton fils est pris dans l’incendie, tu le sauveras... Tu vendrais, s’il est un obstacle, ton épaule contre un coup d’épaule. Tu loges dans ton acte même. Ton acte, c’est toi... Tu t’échanges... Ta signification se montre, éblouissante. C’est ton devoir, c’est ta haine, c’est ton amour, c’est ta fidélité, c’est ton invention... L’homme n’est qu’un nœud de relations, les relations comptent seules pour l’homme. »

「自分の息子が火災に巻きこまれたらどうする? もちろん助けようとするだろう… 行く手を阻む障害物があれば、自分の肩を誰かに売り渡してでも、肩で体当たりをするはずだ。自分というものは、肉体ではなく行為そのもののなかに存在している。己の行為こそが自分なのだ… 何かと交換に自分を差し出すのだ… 自分という存在の意味が燦然と輝く。その意味とは、義務であり、憎しみであり、愛であり、誠実さであり、発明である… 人間はさまざまな関係の結び目だ。関係だけが人間にとって重要なのだ。」(鈴木雅生訳、メルロ=ポンティの引用の仕方にあわせて一部改変)

 学部論文から博士論文まで十数年にわたって読み返してきた大切なテキストにこうしてまた立ち戻る機会を恵まれて、人間はさまざまな読書経験の結び目でもある、と言いたくなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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