内的自己対話-川の畔のささめごと

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「神様が草花を染める時」(正岡子規『病牀六尺』より)― 根岸・子規庵不訪問記

2024-08-09 14:56:20 | 雑感

 正岡子規が27歳から35歳で亡くなるまで過ごした子規庵の現住所は東京都台東区根岸2‐5‐11であるが、今そこに建っているのは戦後昭和25年に復元されたものである。一般にも公開されているが、8月は夏季休庵で家の中や庭を見学することはできない。子規庵のサイトでそれを知ったうえで、子規庵の外観とその周囲だけでも一目見ておこうと、真昼の炎天下に小石川植物園前から現地までの3,5キロほど道のりをダラダラと汗を流しながら歩いていった。
 三田線白山駅前の坂を登りきり、しばらく平坦な道を千駄木方向に進んでから団子坂下まで下り、そこからまた谷中霊園の方へ坂を登る。霊園内を通過して山手線の線路を日暮里駅と鶯谷駅の間の歩道橋を渡って越える。そこから路地を右左に何度か曲がると数分で子規庵の前に出る。
 間口奥行数間の粗末とも言える平屋の小家である。裏に回るとかろうじて小庭が見える。松山市立子規記念博物館は二度訪ねたことがあるが、実に立派な建物で、展示スペースもゆったりとしており、落ち着いて静かな時間を過ごせる。それとはまさに好対照な子規庵の佇まいである。ここで最晩年はほとんど仰臥したまま病苦に呻吟しつつ、句作し、歌論をものし、日記をつけ、日録的随筆を発表し、水彩の写生を描き続けた。友人たちは頻繁に子規を訪ねてきた。空間的には小さくとも、そこは子規の文学世界が生動する現場だったのだ。
 『病牀六尺』の1902年8月9日付の記事に子規は次のように記している。

或る絵具と或る絵具とを合せて草花を画く、それでもまだ思ふやうな色が出ないとまた他の絵具をなすつてみる。同じ赤い色でも少しづつの色の違ひで趣きが違つて来る。いろいろに工夫して少しくすんだ赤とか、少し黄色味を帯びた赤とかいふものを出すのが写生の一つの楽しみである。神様が草花を染める時もやはりこんなに工夫して楽しんで居るのであらうか。

 この記事の40日後に子規は亡くなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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