2. 3 存在論的次元としての〈奥行〉の分析
『見えるものと見えないもの』において、奥行概念は、他の存在論的概念との関連においてしばしば言及される。この関連の仕方に従いつつ、奥行を、その取り扱い方の一般性の程度に応じて、次の三つの段階に分けて分析することができる。すなわち、物らがそれとしてそこにある奥行、諸観念がそこにおいて現実化される奥行、そして、存在がそこにおいて己を隠蔽しつつ己を顕にする奥行である。
2. 3. 1 予備的考察(1)
存在論的概念としての「奥行」を三段階に分けて考察する前に、『知覚の現象学』における奥行知覚の記述を見直しておこう。なぜなら、メルロ=ポンティの最後期の思想の中では存在論概念として扱われる「奥行」も、『知覚の現象学』における細密な奥行知覚の記述をその前提としているからである。
メルロ=ポンティは、私たちの身体という知覚主体がそこに属する知覚世界を記述し分析する文脈の中で、奥行経験を取り上げる。そこで問題とされていることは、いかにして主客の対立から解放され、その対立ゆえに忘却されてしまった両者共通の生誕地である知覚世界へと立ち戻るかということである。「空間」と題された章は、客観的空間という現実か空間の主観的構成かという二者択一的な思考回路を解除することを目的としている。そこで、奥行知覚は、知覚の領野という生きられた空間の原初性を開示する経験として記述されている。奥行知覚において、その他の種々の知覚経験と較べてより確かな仕方で、原初的空間と私たちの身体との間の切り離し難い関係が顕になるからである。
奥行は、空間のその他の諸次元よりもより直接的に、世界についての偏見を投げ捨て、その世界が湧出する原初的な経験を再び見出すように私たちを強いる。奥行は、いわば、あらゆる次元に属しており、もっとも「実存的」である。なぜなら、[…]それは対象そのものの上に徴付けられるのではなく、明らかに、視野に属し、物らには属さないからである。
« Plus directement que les autres dimensions de l’espace, la profondeur nous oblige à rejeter le préjugé du monde et à retrouver l’expérience primordiale où il jaillit ; elle est, pour ainsi dire, de toutes les dimensions, la plus « existentielle », parce que [...] elle ne se marque pas sur l’objet lui-même, elle appartient de toute évidence à la perspective et non aux choses » (Phénoménologie de la perseption, p. 296).
奥行の視覚、つまり、まだ相互に外的な観点から客体化され構成されていない奥行を再び見出すことによって、私たちは、今一度古典的な二者択一を乗り越えて、主客関係を正確に記述することになるだろう。
« En retrouvant la vision de la profondeur, c’est-à-dire une profondeur qui n’est pas encore objectivée et constituée de points extérieurs l’un à l’autre, nous dépasserons encore une fois les alternatives classiques et nous préciserons le rapport du sujet et l’objet » (ibid.)
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