内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(八)

2014-03-11 00:31:00 | 哲学

2.2 歴史的生命の世界のロゴスとしての〈自覚〉
 最後期の西田哲学における哲学の定義の中には、「生命」と「自覚」という語が繰り返し現れる。特に、次の二つの簡潔な定義の中には、西田の哲学的探究の最終の要所がどこにあったかが端的に示されている。「哲学は我々の歴史的生命の自覚から始まる」(「知識の客観性について」)、「哲学とは生命の自覚的表現に外ならない」(「デカルト哲學について」)。この二つの定義に込められている含意を引き出すことが本章の本節以降の目的だが、そこでの考察の帰結を先取りして簡略な仕方で示しておこう。
 第一の定義は、哲学の始まりは歴史的世界に内在する我々が経験する自覚において生命が生命自身に現れることのうちにあることを含意しており、そこからさらに、哲学は我々において自覚する生命、歴史的形成作用によって形が与えられた我々において直接経験される生命、歴史的に限定された形を自らに与えることによって自らを思考する生命にその起源があるというテーゼへと展開される。
 同様に、第二の定義は、哲学は生命の自己表現であり、その生命は自己の根源的内在性の自覚において自己を表現し、この自覚においては表現するものと表現されるものとが一つであることを含意している。それに加えて、生命の自己表現とはその自己限定にほかならず、このことは生命が各瞬間に自らに限定された形を与えつつ、自己の非時間的な実体化を本質的に逃れるものであることを意味している。
 私たちは、これから最後期の西田哲学における自覚論について考察していくが、そこで問題になるのは、まさに哲学の〈始源〉としての自覚にほかならない。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(七)

2014-03-10 00:00:00 | 哲学

2.1.3 自覚の構造から場所の論理へ
 こうして、自覚の基本構造を構成する第三項である「自己に於て」がそれとしてノエシス的自己からもノエマ的自己からも区別されるまさにそのところで、西田哲学は、意識の立場から飛躍する契機を捉える。内的経験としての自覚の構造を内在的に徹底的に探究することを通じてその第三項へと到達し、この第三項が他の二項とは厳密に区別されなければならないことを明らかにすることを通じて、内的経験としての自覚をそれとして成立させているのは、それがそこにおいて成立する〈そこ〉であり、〈そこ〉は自己が自己であることを自己において可能にしながら、その自己にはけっして還元されないというテーゼが確立される。そして、この〈そこ〉に「場所」という名が与えられる。このようにして「自己に於て」という自覚の構造契機の規定を介して、そしてそれを超えて、場所の論理の地平が開かれることになる。この地平において、ノエマ的自己に対するノエシス的自己は「相対無の場所」と規定され、自覚が成立する「絶対無の場所」とは厳密に区別される。
 この場所の論理に至るまでの自覚論の展開は、内的経験としての自覚の構造からその成立の場へと向かう探究であり、内在から超越へという方向を取っていると言うことができる。しかし、この第三段階において、〈自己〉という審級から〈場所〉という審級へと〈自己〉の問題が超越論的現象学の圏域外へと移行させられるに至っているだけではなく、場所の自己限定作用という契機の導入によって、内在か超越かという二者択一の問題としてではなく、内在的超越として〈自己〉の根本構造を捉えることが可能になっている。
 ところが、そこにはさらに超越から内在へという探究の方向性も、そして超越的内在として〈自己〉の成立過程を捉えることを可能にする契機も、場所の論理には含まれているのである。次節での考察を先取りして言えば、〈自己〉の問題を歴史的現実(あるいは歴史的生命)の世界、すなわち自らの内部に無限の形を自ら与える世界における形の一つとしての〈自己〉の問題として問い直す契機を自覚論の問題圏域に引き込むことを可能にしているのも場所の論理なのである。しかし、この契機がそれとして主題化されるのは、自覚論の最終段階である第四段階においてであり、そこにこの契機の主題化をもたらした一つの哲学的転回があることもまた確かである。この自覚論の最終段階における中心主題は「世界の自覚」であり、それは世界自身が自らその内部へと到来させる出来事にほかならない。そこで、自覚論は、哲学の〈始源〉にまさに最接近することになる。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(六)

2014-03-09 00:23:00 | 哲学

2.1.2 自覚の基本構造の第三項 ―「自己に於て」
 しかし、西田は上述のような内的経験の地平に留まる「意識の立場」を越えて現実世界の構造あるいは事柄そのものを捉えようとして、自覚の構造の探究をノエシス的自己の方向にさらに徹底化させていく。その探究は、ノエシス的自己はノエマ的自己をどこで見るのか、あるいは、どこでノエマ的自己はそれとしてノエシス的自己に現れるのか、という問いによって方向づけられていると言うことができる。この問いに対する端的な答えは、自覚の基本構造の定式「自己が自己に於て自己を見る」の中に実はすでに含まれている。つまり「自己に於て」である。この定式の中ですでに、自己の自己に対する現前がそこにおいて現実化される自己がまさにそれとしてノエシス的自己と区別されているのである。この言わば「第三の自己」において、自己は自己自身を見、自己は自己に現れる。より厳密に言えば、この第三の自己においてこそ、ノエマ的自己がそれとして現れるところにノエシス的自己は無として自己自身に現れている。この第三の自己は、ノエシス的自己でもノエマ的自己でもないという意味において、まさにその自己否定によって、ノエマ的自己のノエシス的自己への現前を可能にしている。つまり自覚の基本構造である「自己が自己に於て自己を見る」ことは、この第三の自己の自己否定によってもたらされる現実性にほかならない。自己の自己への現前である自己意識の根柢において恒常的に自己否定として作用しているこの第三の自己は、したがってどのような実体的自己同一性にも還元できないものである。ここにおいて、自己意識は、その現実的成立を自己の作用にはいかなる仕方でも還元しえない他なるものの恒常的な自己における作用に負っていることが、一言でいえば、自己意識はこの他なるものと不可分・不可同であることが明らかとなる。










生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(五)

2014-03-08 00:00:00 | 哲学

2 — 哲学の〈始源〉としての自覚


 自覚という概念が『善の研究』以後最後期に至るまでの西田哲学の生成発展過程においてその基軸としての機能を果たしていることは論を待たない。純粋経験は、その最初の瞬間にとどまるかぎり、たとえ哲学にその根本動機を与える原初的事実であるにしても、それ自体は哲学ではなく、それ以前に留まる。哲学の始まりは、純粋経験の自発自展の過程の中に必然的に含まれている契機の一つであるとしても、その契機が現実を構成するその他の諸契機から区別され、まさに哲学の始まりとして事実経験される瞬間の規定を『善の研究』の中に見出すことはできない。自覚という概念は、西田によって生きられている純粋経験がその限界を自ら突破していく決定的な契機として西田哲学の中に導入され、西田哲学固有のその他の諸概念と相互に規定し合いながら、展開・拡張・深化させられていくが、それはまさに哲学の〈始源〉への一つの遡行過程にほかならない。

2.1 〈自覚〉概念の発展の四段階

 私たちは、まず、自覚概念が西田哲学固有の契機として導入、展開され、場所の論理による飛躍的拡張を経て、さらにまた新たな地平において根本的に捉え直される最後期に至るまでの全過程を四つの段階に分けて略述するが、その作業を通じて自覚概念の〈自己〉〈主体〉〈意識〉等の概念との関係における規定を明確化し、西田の自覚論が提起する諸論点を近代哲学の基本的な脈絡の中に位置づけていく。

2.1.1 自覚の基本構造 —「自己が自己に於て自己を見る」
 純粋経験をその最初の純粋性を失うことなしにそれとして思考することはどのようにして可能なのか。この純粋経験と反省的思考との統一という問題は『善の研究』の純粋経験論に対して提起されざるをえず、しかもその中に留まるかぎり解決しえない。自覚概念は、この問題に対する解答として導入される。つまり、自覚は、最初の純一性の経験である純粋経験とその純一性を思考することとが事実統一されている現実の次元およびその構造を意味している。
 自覚の基本構造は、「自己が自己に於て自己を見る」こと、つまり、自己が自己を自己の内部に投射することと定式化されうる。西田は、この自己における自己投射という内的経験において自己自身を見る自己を「ノエシス的自己」、この自己によって見られる自己を「ノエマ的自己」と呼ぶ。西田は、他方、自覚を「考えることを考えること」とも定義する。したがって、この内的経験において、考えるもの即ちノエシス的自己と考えられるもの即ちノエマ的自己とは、一つの経験を成立させる不可分・不可同の双性をなす基本契機にほかならない。
自覚は、さらに、「知るものが知るもの自身を知ることであり、自覚に於ては知るものと知られるものとが一である」とも規定される。この知るものと知られるものとの同一性とは、どのような同一性なのだろうか。「自己は自己に於て自己の内容を限定し自己の中に自己の内容を映すことによって知るのである、自ら無にして有を限定するということができる。」つまり、ノエシス的自己が自ら無としてノエマ的自己がそこにそのまま現れるようにさせるかぎりにおいて成立する同一性なのである。言い換えれば、ノエシス的自己は、ノエマ的自己がある限定された形において機能するものとして現れるまさにその場所において、自らにいっさいの距離なしに現れているのである。西田は、このノエシス的自己を「相対無」と呼んでいるが、それは、この自己との関係において、より端的に言えばこの自己において、ノエマ的自己がそれとして現れるからにほかならない。内的経験としての自覚における自己の自己への現前は、このような無と現れることとの同一性に拠っている。しかし、この段階に留まるかぎり、自覚は考える主体の作用という圏域を超えるものではなく、したがって、自覚概念は、超越論的主観性の理論的枠組みを超え出るものではない。











生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(四)

2014-03-07 00:44:00 | 哲学

1.2.3 フッサールと西田における哲学の始まりと哲学的言説との関係

 西田における純粋経験に対する哲学的言説の関係を、フッサールにおける純粋経験に対する現象学的記述の関係と対比するとき、その固有性と問題点を浮かび上がらせることができる。
 フッサールの語る純粋経験と西田の語る純粋経験とは、どちらもいっさいの反省的思考に先立つという点以外に共通点を持たない。フッサールにおいては、純粋経験に対して認識の最初の契機としての独立した地位が与えられていない。沈黙のうちにとどまり、自らのうちに閉じこもったままであるかぎり、純粋経験はいかなる反省の対象ともなりえず、したがって哲学的認識の手前にとどまったままである。最初に与えられた純粋経験は、自らにその基礎を与える厳密な科学にいかなる仕方でも属さない。純粋経験はそれゆえ哲学の始まりではない。哲学の始まりは「我思う ego cogito」の言明にあり、哲学の始まりの真正な表現であるこの「我思う」は、純粋経験からその自己表現へのその自発的な移行ではなく、最初に与えられた純粋経験との決別の宣言である。〈我思う〉と思惟されたものとの間に方法的に確立された切断は、前者にあらゆる経験的所与からの独立とそれらに対しての自立性を与え、自らに基礎を置いたあらゆる認識の礎石としての価値を与える。フッサールにおいて、哲学の始まりはあらゆる経験的所与に対して超越的なこの自ら宣言する〈我〉である。
 西田においては、これとは反対に、哲学的言説の始まりは〈我〉にあるのではなく、純粋経験そのものがその自己発展の過程において自らに言葉を与えるに至ることにある。しかし、最初に与えられた未だ沈黙したままで非人称的な純粋経験から出発して、〈我思う〉という哲学の最初の宣言を発することなしに、どのようにして哲学的言説に到達することができるのだろうか。〈我思う〉なしに、どのようにして哲学を始めることができるのだろうか。哲学の始まりにほかならない純粋経験と哲学者自身が合一することによってと言うだけではこれらの問いに答えたことにはならない。しかし、『善の研究』の中には、純粋経験から哲学的言説への移行の契機を明らかにする記述は見出しがたいので、ここではこれらの問いに対する答えは留保することにしよう。
 西田の純粋経験は、客観的に私たちの知識を体系化する理論的な出発点ではなく、哲学的探究の始まりへと開かれた原初的事実である。最初の純粋経験が西田にそこからすべてを説明しようという哲学的希求を与えたのである。しかしながら、西田において、他のものへと還元あるいは解体されることを拒む最初の純粋経験とその純粋経験からすべてを説明しようとする哲学的希求との間にはつねに緊張した関係がある。哲学的探究を体系的に追究していく過程で、哲学者はつねに最初に与えられた純粋経験の純粋性から遠ざかる危険、そしてそれを隠蔽し、ついには忘却する危険につねに晒されているからである。探究が推し進められれば進められるほど、最初の純粋性と組織されつつある知の体系との間の緊張も高まる。この恒常的な緊張、〈生命〉の自らを理解しようとする初源の意志に由来するこの緊張こそ、西田の哲学的探究の炉心である。純粋経験の最初の純粋性、つまり〈生命〉の自らへの最初の純粋で直接的な現れを忘却せずに、哲学的探究を徹底的に追求することはどのようにして可能なのか。この問いが西田哲学をつねに哲学の〈始源〉へと立ち戻らせることになる。












生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(三)

2014-03-06 00:00:00 | 哲学

1.2.2 ベルクソンにおける持続の純粋性と西田における〈今〉の純粋性との差異
 西田は、『善の研究』執筆前後の時期にベルクソンの哲学への深い共感を表明しており、とりわけその哲学的方法論と「純粋持続」論とを高く評価していた。両者共に当時の実証万能主義的傾向に抗して、経験の只中において全体性と無限への展望を開く一種の新しい形而上学をそれぞれの仕方で創出しようとしていた。両者共に理論的思弁的地平を超えた、同時に実証的かつ創造的な形而上学的経験へとそれぞれの哲学を徹底化させていった。こうした共通する哲学的姿勢が経験の最初の純粋性への回帰、直観的に把握可能なもっとも現実的な現実への回帰へと両者の哲学的探究を方向づけている。
 しかし、ベルクソンの純粋持続の純粋性と西田の純粋経験の純粋性との間に両者の哲学の差異もまたはっきりと現れている。ベルクソンによれば、純粋持続の純粋性は私たちの内部にしか見出されず、内的持続の純粋性を損なわざるをえない空間性に根本的に対立する 。純粋持続の純粋性とは「内的諸現象」の純粋性である。これに対して西田の純粋経験は持続と延長、内部と外部といった対立に先立っており、あらゆる対立を潜在的に含んでいる。この意味で、純粋経験は、後に顕在化するいかなる対立も排除せずにそれらを可能態として自らのうちに含み持っている。ベルクソンに見られるような本来的自己と非本来的自己との区別もまた西田の純粋経験においては適用されえない。なぜなら、自己が純粋経験を捉えるのではなく、純粋経験そのものが自らを捉えることから〈自己〉が生まれて来ると西田の純粋経験論は考えるからである。言い換えれば、純粋経験の直接把握は、純粋経験そのもの以外、何も前提としない。
 ベルクソンの純粋持続の〈現在〉と西田の純粋経験の〈今〉との差異にも一言触れておこう。ベルクソンの持続は、それがすべての過去を含みながらつねに未来へと向かって進んでいくという意味において絶えず現在にあるのに対して、西田の純粋経験においてはそれがそれとして自らに経験される瞬間としての〈今〉そのものに力点が置かれている。純粋経験の初源の純粋性は現在の直接性において捉えられるかぎりにおいて自らが自らにそれとして現れる。純粋経験は各瞬間に新たにされることによってその純粋性をけっして失うことがない。「此点より見れば精神の根柢には常に不変的或者がある。この者が日々その発展を大きくするのである。時間の経過とは此発展に伴う統一的中心点が変じてゆくのである、此中心点がいつでも『今』である。」ベルクソンにおいては絶えず更新されていく時間の持続性がその純粋性にほかならないのに対して、西田においては現在から現在へと移り行くその都度の〈今〉の唯一性が純粋性として経験されるのである。











生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(二)

2014-03-05 00:12:00 | 哲学

1.2 純粋経験の〈純粋性〉について ― ジェームズ、ベルクソン、フッサールとの対比

 西田は、W・ジェームズ、ベルクソン、フッサールとほぼ同時代を生き、「私たちの生に最も直接的に最も具体的に与えられたものへの回帰」という、その時代の哲学の主潮の一つを彼らと共有している。それゆえ、西田の純粋経験の〈純粋性〉を、W・ジェームズの「純粋経験 pure experience」、ベルクソンの「純粋持続 durée pure」、フッサールの「純粋意識 reines Bewußtsein」それぞれにおける〈純粋性〉と比較することは、西田の純粋経験を特徴づけているものをある一定の哲学的文脈においてよりよく把握することを私たちに可能にする。そこで、ここでは、これら三人の哲学者それぞれの論点と西田のそれとの差異を簡略にまとめて示すことによって、西田の純粋経験の固有性を際立たせてみよう。

1.2.1 ジェームズと西田における純粋経験に対する態度の差異
 西田がジェームズの純粋経験論から何らかの影響あるいは示唆を受けたかどうかは、ここでは問題としない。また両者における「純粋経験」がまったく同一の事柄を指し示しているのかという問いの立て方もしない。私たちのここでの目的からすれば、むしろ純粋経験論における両者の近接性よりも、その用語上の対応と問題圏の近接性とのゆえにこそ際立つ両者の決定的差異が指摘されなければならない。
 その差異は、純粋経験そのものに対する態度に関わる。ジェームズの純粋経験論において、純粋経験は世界が今あるように形成されるその出発点となる素材にほかならないが、そうであるかぎりにおいて、それは根本的な地位を占めている 。しかし、私たちが具体的に生きている世界をそのようなものとして分節化することを可能にする根本的な素材を探究する哲学者として、ジェームズは純粋経験へと回帰しているとしても、まさにそうであるがゆえに世界構成の素材であるにすぎない純粋経験と探究する自己とを区別する。ジェームズは哲学者として純粋経験においてもたらされる直接的な所与を観察するために、純粋経験のいわば直接的な生命の流れのほとりにとどまる。ジェームズの純粋経験の純粋性は事後的に構成されたあらゆる範疇に先立つ素材の純粋性である。この素材から機能的に異なった無数の形が生成する。このような純粋経験論が複数世界論の構想へとジェームズを導くのである。ところが西田にとっては、純粋経験はその最初の瞬間から哲学者自身よって生きられる経験であり、純粋経験と哲学者とは不可分である。純粋経験とは西田においてすべてをそこから説明したいという慾動を引き起こす〈始源〉の直接経験である。ジェームズのように世界構成の素材の傍らや直接的な生命の流れのほとりにとどまるのではなく、西田はその流れに飛び込み、その導くところに身をもって従おうとする。西田において純粋経験はそれとして外から観察することのできないものである。それ自身の内部において自らにそれとして経験されるものである。西田の純粋経験の純粋性はそれゆえ私たちの経験世界がそこから自己展開してくる根源的一性の純粋性である。













生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(一)

2014-03-04 00:03:00 | 哲学

1— 原初的事実としての純粋経験

 「純粋経験」は、西田哲学の初源にありかつ常にその底に生起しつづける出来事という意味で、西田哲学における〈原初的事実〉である。それは西田の哲学的言語システムの中でその名をもって呼ばれることがなくなった後にもそれとして生動しつづけ、西田の哲学的思考を起動させ続ける。それゆえにこそ、純粋経験に始まる西田哲学の全過程を生命の原初的前反省的経験である純粋経験の自己展開の過程として捉えることができる。とはいえ、そこに見られるのは一つの単純な直観を出発点とする直線的な理論的展開ではなく、純粋経験が自らの内包する自己矛盾をそれとして引き受け、自覚の契機を経て、「場所」の論理へと到達し、そこからさらに最終的な立場である「歴史的生命」の論理へと至る曲折を極めた思考のプロセスである。純粋経験の最初の瞬間から私たちの考察を始めることは、純粋経験を基点とした単線的な構図へと西田哲学を還元することではなく、その錯綜し重層する全過程をある首尾一貫した視野において捉えるという意図に基づいている。

1.1 〈始源〉の経験の始まりとしての純粋経験
 西田の全哲学的思索の基点である『善の研究』の冒頭の第一段落は、西田哲学における〈始源〉の経験の始まりとして読むことができる。

純粋経験というのは事実其儘に知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といって居る者も其実は何等かの思想を交えて居るから、毫も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。

 この最初の純粋経験の定義は次の三つのテーゼを含意している。第一に、純粋経験とは、知る働きそのものであって、外部からの作用に依存する受動的な状態ではないということである。第二に、純粋経験において思考する主体と思考される対象との分裂はないということである。第三に、純粋経験は、反省および判断とは区別され、さらに一般的には考える我の思考とも区別されながら、知ることそのことにほかならないことである。それは自発的かつ直観的な知であり、そこには知るものと知られるものとの区別はない。
 そこで、私たちは、この純粋経験の定義に対して、次のような三つの問いを立てることができる。純粋経験はどのように生じるのか。純粋経験は少なくともそれに対して現れる何ものかを要求しないのか。純粋経験においても、少なくとも経験する者と経験内容とは区別されなければならないのではないか。これらの問いに対して西田は次のように答える。

例えば、色を見、音を聞く刹那、未だ之が外物の作用であるとか、我が之を感じて居るとかいうような考のないのみならず、此色、此音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである。

 西田によって与えられたこれらの例から、純粋経験はあらゆる反省的思考様式に先立ち、感覚の最初の瞬間において直接経験されるものだということがわかる。それゆえ純粋経験は何ら神秘的な経験ではなく、まったく具体的な経験、私たちすべてにつねに可能な経験であり、そのためにいかなる予備知識も必要ではなく、いかなる事後的な反省も必要ではない。それゆえ西田は「純粋経験は直接経験と同一である 」と言う。
 つまり、純粋経験は、反省が私たちの生のある時点において生きられたものに対して距離を取ることであるかぎり、反省されるときには追い越され、遠ざかり、失われたものとして表象される。

自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識と其対象とが全く合一して居る。これが経験の最醇なる者である 。

 この段階において、つまり西田が「最醇なる者」と呼ぶ純粋経験の最初の瞬間において、所与を分析する考える主体と所与として与えられる対象との間の分裂はまだ生じていない。西田自身『善の研究』の初版の序で述べているように、「個人あって経験あるにあらず、経験あって個人あるのである、個人的区別よりも経験が根本的である[・・・] 。」初源の知として、純粋経験は直接に自らを知る。他のすべてがそれを前提とし、それ自身は何も前提しない〈原初的事実〉として、純粋経験は同時に知るものであり、知られるものであり、初源の知が生まれる〈そこ〉である。それは知の初源の自己贈与である。

真の純粋経験は何等の意味もない、事実其儘の現在意識あるのみである 。

 このテーゼが意味しているのは、純粋経験はまずそれが何らかの仕方で命名される前に生きられた現前として端的にあり、純粋経験とは、言語活動に先立つ純粋な直接性としての現在の現前であり、それはいっさいの言語的あるいは表象的限定を逃れるということである。純粋経験は、何ものかについての経験ではない。この意味で、純粋経験は、それについて語りえないものであり、所与を解析しそれを既得の諸要素に還元することを目的とする分析的言語によっては接近することができない。その最初の瞬間において、純粋経験は生きられるほかはない。
 感覚の最初の瞬間に現前する「最醇なる」純粋経験を定義する『善の研究』冒頭の第一段落において、西田があらゆる種類の二元論に対立しているのは言うまでもない。西田において根本的に重要なのは、そこではすべてが一つであり、そこにすべてが潜在的に含まれており、そこから全現実が組織され発展させられる、生命の初源の直接的な自己経験であり、それを西田は「純粋経験」と呼んでいるのである。
 しかし、以上のことは、純粋経験がその純粋性を保持するためには、感覚によって与えられた最初の瞬間のうちにとどまらなければならないということを意味しているのではない。反対に、その最初の瞬間に潜在的に含まれていたすべてのものを現実的に明示的に自ら理解するために、純粋経験は、自ら自己を展開し、発展させ、そして自己を無限に多様な仕方で限定する。純粋経験の最初の瞬間の純粋性は、それゆえその自己発展によって損なわれるのではなく、逆に、初源の純粋性 ― 最初の瞬間に与えられる最も具体的な唯一の現実の純粋性 ― こそが純粋経験のその自己理解の運動を起動させるのである。純粋経験がこの運動の根柢でつねに生動している原初的事実であるかぎにおいて、初源の純粋性はそれとして保持され続けるのである。
 西田が『善の研究』初版の序文の中で「純粋経験を唯一の実在としてすべてを説明して見たい」と書くとき、それは西田が哲学者として純粋経験の自己発展をその外から眺め説明したいということと意味しているのではなく、哲学者西田において純粋経験そのものが自らを表現し、自らを分節化し、展開させることで自らを説明しようとする欲動が発動していることを意味している。純粋経験は、それゆえ、ある独立した自立的な考える主体がまずあって、その主体が哲学的探究を始めるために見出した最初の支点ではなく、西田幾多郎という哲学者において発動した哲学的探究の始源に与えられた名前なのである。












西田哲学における「始まりつづける〈始源〉」― 旧稿再開

2014-03-03 00:57:00 | 哲学

 今日から、西田哲学についての未完成の原稿(四百字詰原稿用紙に換算して180枚ほど)を読み直しながら、それに手を入れつつ、このブログの記事として掲載していくことにした。この原稿は、二〇〇三年にストラスブール大学に提出した博士論文が基になっているが、日本語にするにあたって大幅に変更しなければならない箇所が障害となって、九年前に中断されたまま、いつもそのことが気になりながら、再開のきっかけが摑めず、今日に至ってしまった。しかし、何か自分できっかけを作らなければいつまでたっても再開できないだろう。そこで、昨年六月に始めてから丸九ヶ月間毎日投稿し、今では私の生活の中に一つの習慣として確立されているこのブログをその場とすることにした。
 煩瑣な注は一切省略し、本文と重要な出典のみを掲載していく。今日の記事のタイトルは、第一章の副題から取った。同章の主題は「ある一つの哲学における哲学の〈始源〉」、西田哲学を端的に〈哲学史〉の中に位置づけることをその目的としている。今日はその冒頭、導入部を掲載する。


 「根源的な第一哲学とは〈始源〉(Commencement)の探求である」― 西田哲学の研究をフランス現代の哲学者ミシェル・アンリのデカルト哲学研究からの引用で始めるのには、次の三つの理由がある。第一に、このテーゼが西田哲学の根本規定としてもまた妥当であると思われるからである。西田哲学はその最初期から最後期までこの〈始源〉の探求であったと言えるであろう。第二に、西田とアンリには両者の根源的な問いかけの次元において親和性があると思われるからである。この親和性についての考察を通じて、西田の哲学的探究を現代哲学の文脈の中でいわばその動態において捉えうる一つの領野が開かれてくる。第三に、冒頭に引用したテーゼが含まれる『精神分析の系譜』(法政大学出版局、一九九三年)の第一章「見テイルト私ニ思ワレル (videre videor)」でアンリがその根源的意味を捉えようとしたデカルトのコギトをめぐる問題圏との関係において西田哲学の根本問題を位置づけることができると思われるからである。アンリが同書の中で主題化しているのは〈始源〉であり、それは「いっさいに先立つもの」、つまりあらゆる哲学的思考を可能にするものであり、単に西洋近代哲学の始まりではなく、歴史上位置づけられる哲学の始まりのことでもない。アンリが言うようにこの〈始源〉の直観的把握がデカルトのコギトであるとすれば、西田哲学における〈始源〉の直観を特徴づけているものをそれとの関係において捉えることができるであろう。
 〈始源〉とは「始めから開始し、絶えず開始しつづけている〈始源〉」である(154頁)。哲学の根本的な動機は、「〈始源〉の開始するまさにその最初の瞬間へ回帰しようという意図であり、この瞬間をもって〈始源〉が始まり、また絶えず始まり続けるのである」(16頁)。〈始源〉は、「現れることが最初に自己に現れることであり、生が見えないままに自己のうちへ到来することなのである」(154頁)。それゆえこの〈始源〉をデカルトのコギトに還元することはできない。反対に、まさに〈始源〉によって十七世紀のヨーロッパにおいてデカルトのコギトへと至る途が開かれたのであり、たとえこの途を哲学史上最初に歩み尽くしたのがデカルトであるとしても、このことに変わりはない。したがって、哲学の〈始源〉が近代西洋哲学の始まり以外の場所に見出され、現に始まりつづけているということはありうることであり、西田の哲学的思考もまた、西洋近代とは異なった歴史的文脈の中で、それ固有の仕方で為された〈始源〉の探究なのではないかと問うことは許されるであろう。
 西田がその哲学的探究の全過程を通じて倦むことなく捜し求め続けたものは、「すべてがそこからそこへ」という表現によって示される〈そこ〉である。この〈そこ〉こそ西田哲学において「現れることが最初に自己に現れること」が直接経験される次元であり、西田は、その哲学的言語活動において様々な表現を創出しながらこの〈始源〉へと迫ろうとしているが、本章では、〈始源〉への西田固有の接近の仕方がよく見て取ることができる「純粋経験」「自覚」「生命」の三つの契機を西田哲学の展開の順序に従って取り上げ 、それぞれの問題場面において「始りつづける〈始源」がいかに捉えられているかを考察する。それを通じて私たちはある原初的経験の自己理解の過程、つまり原初的かつ根源的なものを探究するための果てしない概念化作業を通じて表現される一つの哲学的思考の過程を辿り直すことになるだろう。












「自伝」の誕生 ― 西欧十八世紀産業社会における「人格」概念の変容

2014-03-02 00:15:00 | 哲学

 まず、ギュスドルフが Les écritures du moi の第三章冒頭で引用している Philippe Lejeune の « autobiographie » の定義をそのまま訳して掲げよう。

「自伝」(autobiographie)という言葉は、文明史の中のまったく新しい現象を指し示しており、それは西ヨーロッパで十八世紀半ば以降に発展した。その現象とは、自己自身の人格の歴史を語り公にするという習慣である。同じ時期に出現した日記と同様に、自伝は、「人格」(personne)という概念の変容を示す諸徴表の一つであり、産業文明の始まりとブルジョワ階級の台頭とに密接に結びついている。

 この引用には、当然のことだが出典についての脚注が付いている。それによると、出典は、L’Autobiographie en France, A. Colin, 1971, p. 10 だとわかる。ここまではごく一般的な手続きで何ら特別に注意を引くところはないのだが、その後が何か執念深さを感じさせるのである。というのも、ギュスドルフは、同じ主張が同書の六五頁にも繰り返され、同様の定義が同じ著者のそれ以後の他のニ著、Le pacte autobiographique (1975) とその続編である Le pacte autobiographique (bis) (1983) の中でも繰り返されていると言及した上で、「著者は、1975年に学術雑誌 Revue d’Histoire littéraire de la France 誌上に公開された対話(相手が示されていないが、文脈からギュスドルフ自身だろう推測できる)の際の一切の批判にもかかわらず、自分の立場を変えていない」と念を押している。
 引用の直後の本文の方はさらに劇しい調子である。「一切の反論を許さぬような」という意味の « péremptoire » という響きの強い言葉を使って引用文を形容した上で、それに続けて、「この小さな本の著者は、自伝という文学的分野の専門家のように見える」と揶揄し、その次の文では、「根拠がなく、誤っている、この類の見解は、それ相当の存在理由がある。それは、その上に胡座をかくのに都合がよく、かくして得られた知的安楽は、自らに様々な問いを立てることなしに済ませてくれる」からであると、その安易さを厳しく突く。つまり、自分固有の研究分野を確保するために、あたかも一つの文学ジャンルが他のジャンルと並んで存在するかのように、それを根拠なしに誤った仕方で定義し、その定義をより明確にする努力は繰り返すが、そのジャンルに立てこもり、そのジャンルの定立の根拠そのものにまで遡って問いを立てようとはしないことを批判しているわけである。
 しかし、ギュスドルフの批判の炎はそこだけでは収まらない。次頁では、かくして捏造された新しい文学ジャンルが新しい研究対象として「市場」に登場し、新しい研究テーマを半ば絶望的な気持ちで探していた学生たちがそれに飛びつき、このテーマをめぐっての論文、シンポジウムがフランスのみならず諸外国でも花盛りとなるのだと、口を極めて弾劾するのだ。今日の記事のタイトルは、記事の冒頭に引用したPhilippe Lejeune による「自伝」の定義から私が拵えてみたいかにもありそうな「研究テーマ」の一つである(本当にこんなタイトルのシンポジウムがあったかもしれません)。これをギュスドルフが見たら、怒り心頭に発すること間違いないだろう。
 上記のような批判に関して、私は必ずしもギュスドルフの立場に与さない。なぜなら、歴史的に存在しない実体をあたかも存在するかのように主張するのは論外だとしても、一つの概念に明確な定義を与え、それを手掛かりに歴史的諸現象を分析するという方法は、少なくとも学問的な作業仮説手続きとしては正当な存在理由があると考えるからである。それに、たとえ文学の研究であっても、作品流通の社会的・商業的媒体という問題は無視できないはずである。上に引用した「自伝」の定義の中で、私が「公にする」と訳した原語は « publier » で、これは「出版する」という意味にもなる。つまり、多かれ少なかれまとまった部数が印刷され、市場に出回るという流通過程というファクターもそこには入ってくる。この意味で「自伝」が商品化されるのは、近代資本主義社会が成立してからだとは言えるだろう。そして、その事実が近代人の自己意識に何らかの影響を与えたのではないか、という問題を立てることも、根拠がなく間違いだとまでは言えないであろう。
 因みに、この物質文明史と哲学的認識論史の関係という問題については、一昨年と昨年、東京での夏の集中講義で、鏡の歴史を自己認識の変化の歴史と重ね合わせて考えた時に、西洋における鏡の市民社会への普及と近代的自己意識の確立には密接な関係があることを私は指摘した(この講義については昨年七月後半から八月初めにかけて記事にした)。
 では、なぜ、ギュスドルフは、いささか度外れと思われるほどの攻撃性をもって Philippe Lejeune の「自伝」の定義を批判したのか。それは、あのような定義によって覆い隠されてしまうより根本的な問題があるとギュスドルフは考えているからである。それは、〈自己〉とは何かという端的な問いである。一昨日二月二八日の記事で示したようなギュスドルフによる « auto-bio-graphie » の定義に当てはまるエクリチュールは、自己認識の問題史的観点から見れば、Lejeune の定義に見られる時空の限定をはるかに超えた広範囲に多様な形式において見出しうる。〈自己〉とは何かと哲学的に徹底的に問うためには、それらすべてを対象として問題を考究すべきであるのに、「自伝」を十八世紀の近代西ヨーロッパに誕生した新しい現象と見なすことは、そのような広範な考究への道を塞いでしまうというのがギュスドルフの批判の要点であろう。
 私は、上記のいずれの立場を取るべきかというのは、それこそ間違った問いの立て方だと考える。ここでの問題は、どちらが正しくて、どちらが間違っているという問題ではない。対象へのアプローチの仕方がそもそもそれぞれ違うのであり、両者それぞれに意味がある。実際、Lejeune は、近代以降の西欧における「自伝」と「日記」という文学的ジャンルに関しての多数の著作を単著あるいは共著として出版しており、西欧近代固有の自己意識について生産的な仕事をしている。他方、ギュスドルフのアプローチは、広い意味で「自伝」と見なされうるエクリチュールを、古代から中世を経て現代まで、文学、哲学、宗教などの複数の分野において博捜することによって、いかに〈自己〉がそれとして自覚され、観察され、批判的に検討されうるかを、様々なタイプのエクリチュールを分析しながら、より普遍的な次元で問おうとしているのである。