内的自己対話-川の畔のささめごと

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戦中日本におけるもう一つの近代の超克の試み(三)― 言語過程説成立の背景

2017-03-01 22:30:52 | 哲学

 『講座 日本語の文法 1 文法論の展開』(明治書院、昭和43年)には、主に東大での時枝の後輩か教え子であった研究者たちの論文が収められているが、その中の鈴木一彦の論文「言語過程説の成立と文法」は、言語過程説の成立過程とその背景について貴重な情報と示唆を提供してくれる。
 同論文は、各節末の注も含めて五十四頁。問題設定とアプローチの仕方とを説明する「はじめに」と個人的感懐を若干述べた短い「むすび」との間の主要部分が、「『国語学言論』の成立」と「言語過程説と文法」との二部に分けられている。前者が論文の約八割を占め、(1)言語本質観の底流、(2)言語本質観の提唱、(3)言語過程観による国語の諸現象の三節に分かれている。
 前者第二節の末尾に置かれた「付・理論成立の背景」には、言語過程説成立の背景についていくつか論文筆者の「推測」が述べられている。その推測の当否は別途検討されなくてはならないが、その中に私にとっては示唆的な、あるいは批判的検討されるべき見解が示されている。
 その第一は、昭和二年十一月からの一年半に渡る時枝の英・仏・独・米への留学に関わる。論文筆者鈴木は、この留学体験が「西洋言語学の模倣をやめて、国語の事実を直視することによって国語学独自の体系を建てるべきだという考えを一層強固にしたものと思われる」と推測する。
 その第二は、昭和二年四月から昭和十八年五月までの十六年間に渡る京城大学での勤務に関わる。鈴木は、「中央の学会を遠く離れて、いわば渦の外から渦を眺めるという環境は、雑音にわずらわされずに、対象を凝視し、対象に沈潜しようという態度を養うには極めて都合のよいものではなかったか」と推測している。
 しかし、この点については、安田敏朗による『「国語」の近代史 帝国日本と国語学者たち』(中公新書、二〇〇六年)などに見られる時枝批判(102-112頁)を考慮するならば、そんな「暢気な」話では済まされないと言わざるをえない。
 その第三は、ソシュール『言語学言論』の訳者である小林英夫と京城大学で一時期同僚となり、親しく交渉を持ち、言語学についていろいろと意見交換する機会があったことである。この小林との議論が時枝のソシュール理解にとって決定的な影響を及ぼしたことは想像するに難くない。
 その第四は、当時の現象学とゲシュタルト心理学から時枝が何を学んだかという問題に関わる。しかし、これは私たちにとっての主要な問題であるので、稿を改めて検討する。