内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

修士演習前期最終回(下)―「動物にも人格性を認めることができるか」

2023-12-21 08:11:18 | 講義の余白から

 昨日の演習の後半、「動物にも人格性を認めることができるか」という第二の問いに各学生に答えてもらった。
 欠席者のメールでの回答も含めて、十六の回答のうち、十五が「できる」だった。彼女ら彼らが挙げる根拠を一言でまとめると、「動物にもそれぞれ個性がある」ということである。つまり、かれらは個性と人格性とを同一視している。
 「個人に固有な諸特性とその行動様態からなる全体を統一的に言い表わしたもの。性格と素質からなる」という心理学における「人格性」の定義にしたがえば、同一種のその他の諸個体と行動様式の全体において区別されうる動物個体にも人格性を拡張的に適用することができるとする立場もありうるであろう。学生たちはそれと知らずにこの立場に立っている。
 「個性と人格性とは違う。人格性は人間にのみ認めうる」と主張したただ一人の学生も、上記の心理学的定義とは異なった定義を示すことができていたわけではなかった。
 あっ、ここで念のために一言断っておきますと、これはストラスブール大学言語学部日本学科修士一年の「思想史」の演習での日本語での発表ですから、学生たちの発表が言葉足らずなのは大目に見ております。それどころか、他大学の日本学科では決してあり得ない課題に対して文句一つ言わず(少なくとも私の前では)、調べ考え準備してくる彼らの健気な努力を私はとても高く評価しています。
 人格性の話に戻る。倫理学において行われている次のような定義 ―「個性のより高次の形態。生まれつきはこれに達することのできる素質しかないが、社会の中のさまざまな精神的交流により発展し実現されるとする、人間の人間である本質。事物や物件に対し、自立し、自由をもち、自己目的となる理性的存在」― によれば、動物に人格性を認めることはできない。
 以下は私が学生たちにできるだけ噛み砕いた日本語でした説明の主旨である。
 カント哲学における「さまざまな権利もしくは義務を有する存在の特質」という人格性の定義に従った場合にも、動物に人格性を認めることはできない。なぜなら、動物が自ら義務を引き受けるということありえないし、そもそも彼らには権利意識もない。この定義に従うかぎり、たとえ動物個体それぞれに固有の感情を認めるとしても、人格性は認められない。
 しかし、動物を人間が利用する手段としてではなく、それ自体として尊重されるべき存在として目的そのものであることを認めるならば、その限りにおいて、人格性を認めることはできる。
 このような考え方を現代哲学において積極的に展開しているのは、フランスにおける動物権利擁護の立場を代表する哲学者の一人 Corine Pelluchon である。彼女は次のような仕方で動物に personnalité を認めている。

L’animal […] a aussi une personnalité, une manière unique de traiter le monde, de se rapporter à nous, et une biographie. Les animaux nous humanisent au sens où, à leur contact, nous nous reconnectons avec nos émotions, communiquons sur le plan du sentir et éprouvons la vérité d’une rencontre empathique et d’une « communication avec le monde plus vieille que la pensée ». Ils nous renvoient également à l’histoire et à l’espace que nos prédécesseurs nous ont transmis et qu’ils ont construits avec les animaux et en partie grâce à eux.

Corine Pelluchon, Les Nourritures. Philosophie du corps politique, Éditions du Seuil, coll. « Points Essais », 2020, p. 141 (première édition, 2015).

 動物は、それぞれ世界と独自の関わりかたをしているのであり、私たち人間とも関わりがあり、それぞれ個体史をもっている。動物たちは私たち人間を人間たらしめてもいる。それは、彼らとの触れ合いにおいて、私たちは私たちのさまざまな情動に出遭い、感覚面においてのコミュニケーションが成り立ち、真実の共感的な出遭いと「世界との思考よりも古いコミュニケーション」という真実を経験するという意味においてである。動物たちは私たちの先人たちが私たちに伝えた歴史と空間とへと立ち戻らせもする。その歴史と空間は、先人たちが動物たちと共に築き上げたものであり、そのある部分は動物たちのおかげ築けたのである。
 ちなみに、上掲の引用文中の引用はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception,  Gallimard, coll. « Bibliothèque des idées », 1945, p. 294)からである。ペリュションはレヴィナスのスペシャリストでもあり、ポール・リクールについての著作もあり、現象学を中心とした堅固な哲学的基礎に基づいて、生命倫理、動物倫理、環境倫理、医療倫理のなどの分野における諸問題を論じた著作をここ数年矢継ぎ早に出版しており、今私が最も注目しているフランスの哲学者の一人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


修士演習前期最終回(上)―「文化や宗教によって異なる食習慣は、それぞれ尊重されるべきか」

2023-12-20 23:59:59 | 講義の余白から

 今日が修士一年の演習の前期最終回。後期は研究休暇のため演習は担当しないから、これが私にとって今年度最後の修士の授業であった。出席者は15名。先週に引き続き、事前に課題として与えておいた二つの問いに一人ずつ答えてもらった。
 今日の記事では第一問のみ話題にする。その問いは、「文化や宗教によって異なる食習慣は、それぞれ尊重されるべきか」。
出席者全員が「尊重されるべき」という答え。その根拠を一言でまとめれば、「互いに違いを認め合わなくてはならないから」ということになる。ただ、自分としてはとても受け入れがたい宗教的戒律はあるし、それがその国あるいは文化にとっていくら伝統的な食習慣であっても、やはり自分には受け入れられないものはある、というコメントを加えた学生もいた。
 ただ一人、病欠したが自分の意見をメールで送ってきた学生だけが、今日の動物権利や動物福祉の考えに反する食習慣を、文化・宗教を根拠に認めることはできないという主旨の反対意見を提示していた。この学生は日頃からラディカルな意見を敢然と主張するのだが、宗教が引き起こしてきた争いごとには特に批判的で、本人の言葉をそのまま引用すると、「宗教を除外するべきです。 なぜなら宗教は時代遅れで世界中で多くの災害を引き起こしてきたからです。私は、次に進む時が来ていると思います。」
 これには当然反論もあるだろうが、本人が欠席だったので、教室では私が意見を代読しただけだった。これは大きな問題で、軽々には答えられないが、問題は宗教そのものにあるのではなく、その名の下に正当化された非宗教的な動機にこそある、というのが私見である。
 学生たちの発表の中で私が特に評価したのは、「文化や宗教もその諸習慣も、時代の変化や他の文化や宗教との関係によって変わりうる」という意見だった。他の学生はそれぞれの文化や宗教を固定的に捉えていたのに対して、この意見を発表した学生だけがそれらの可変性が将来への展望を積極的に開く可能性をもっていることを主張していた。
 食料危機、気候変動、生態系破壊などが地球規模で深刻化しつつあるなかで、私たちがこれまで自明としてきた食習慣及びその他の諸習慣の見直しを当事者として迫られていることは確かで、それに応じて文化や宗教も動態的に捉え直すことも私たちに要請されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「如何なる場合にも平気で生きて居る事」― 正岡子規『病牀六尺』より

2023-12-19 10:39:37 | 読游摘録

悟りといふ事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思つて居たのは間違ひで、悟りといふ事は如何なる場合にも平気で生きて居る事であつた。

 正岡子規が『病牀六尺』にこう書きつけたのは明治三十五年六月二日のことだった。死の三ヶ月半前のことである。六月二十日にはこう記している。

病床に寝て、身動きの出来る間は、敢あえて病気を辛しとも思はず、平気で寝転んで居つたが、この頃のやうに、身動きが出来なくなつては、精神の煩悶はんもんを起して、殆ど毎日気違のやうな苦しみをする。この苦しみを受けまいと思ふて、色々に工夫して、あるいは動かぬ体を無理に動かして見る。いよいよ煩悶する。頭がムシヤムシヤとなる。もはやたまらんので、こらへにこらへた袋の緒は切れて、遂に破裂する。もうかうなると駄目である。絶叫。号泣。ますます絶叫する、ますます号泣する。その苦その痛何とも形容することは出来ない。むしろ真の狂人となつてしまへば楽であらうと思ふけれどそれも出来ぬ。もし死ぬることが出来ればそれは何よりも望むところである、しかし死ぬることも出来ねば殺してくれるものもない。一日の苦しみは夜に入つてやうやう減じ僅かに眠気さした時にはその日の苦痛が終ると共にはや翌朝寝起の苦痛が思ひやられる。寝起ほど苦しい時はないのである。誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか、誰かこの苦を助けてくれるものはあるまいか。

 同じ表現を繰り返している最後の文には傍点が付してある。
 生きることがほとんど苦でしかないような凄まじい病苦の中で冒頭に引用した一節は書かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ともに悲嘆を生きる」ということ

2023-12-18 09:12:15 | 読游摘録

 家族や身近な人や大切な人を失ったとき、悲嘆に暮れるのはいつの時代でも当然のことだったはずなのに、そして悲嘆に暮れる人たちにどう接すればよいのか、身近な人たちはちゃんと心得ていたはずなのに、近年「グリーフケア」という英語由来のカタカナ言葉をよく目にするようになったのは、悲嘆するとはどういうことなのか、悲嘆に暮れる人たちにどう接すればよいのか、現代の私たちがわからなくなってしまっていることを意味しているのだろうか。
 昨日の記事で取り上げた島薗進氏の『ともに悲嘆を生きる』第4章に次のような一節がある。

 悲しみそのものはけっして害悪ではなく、病気でもない。むしろ成長の糧とさえいえる。悲嘆の文化に注目した人々の論では、そのことが前提となっている。[…]彼らはいずれも現代社会が、「喪の仕事」を適切に行う文化装置を失っているのではないかと考えた。人類文化という観点からすれば、悲嘆には積極的な意義があると捉えるのが自然である。それが失われてきたために、新たに意図的に「グリーフケア」というような営みを立ち上げる必要が生じている。[…]
 […]悲嘆はできれば経験せずにすむ方がよいものではなく、人間が経験する定めにあるものであり、悲嘆を通して得られる経験の次元もある。今では、悲嘆は生きて行く上で大きな力になるという合意がある。(106頁)

 ただ、同書でも言及されている2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件や2011年3月11日の東日本大震災及び福島第一原発事故のような未曾有の事態が発生したとき、多数の人々に同時に引き起こされた深い悲嘆にどのように対処すべきか、新たに問われたことは確かだ。それらの事件、災害、事故は、個々の人たちの悲嘆というレベルだけでは対処・解決できない、より深刻な社会問題であったし、今もあり続けている。
 しかし、二十世紀以降の日本に話を限っても、多数の人の命が同時に失われるという経験を、関東大震災、東京大空襲、広島と長崎の原爆の経験、もっと最近では阪神淡路大震災などによって私たちは持っている。それらの深い悲嘆の経験から私たちは何を学んだのだろうか。
 「戦争による悲嘆を分かち合う困難」については、『ともに悲嘆を生きる』第7章で詳しく取り上げられているから、後日その章を取り上げるときに立ち戻ることにしよう。
 大災害による多数の死者の発生は今後も常に起こりうるのだから、そのときに備えて「グリーフケア」を学んでおくことは私たちの義務だと言っては言い過ぎだろうか。
 他方で、修復不能なまでに破壊された地球環境のことも私は思う。多くの生き物たちの命が人間によって奪われたし、奪われつつある。これはグリーフケアとは違った意味で現代世界の深刻な問題である。それこそ悲嘆に暮れている場合ではなく、一刻の猶予もなく、現状を変えていく行動を起こさなければ、それこそ決定的に取り返しのつかない事態が間近に迫っている。
 だが、現代社会でのグリーフケアの必要性と現在の地球環境の危機の深刻度とは、現代社会の病巣の深いところで繋がっているように私には思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


人間の心のなかに本質的に存在しているものとしての「心の家族」

2023-12-17 23:59:59 | 読游摘録

 島薗進氏の『ともに悲嘆を生きる』(朝日選書、2019年)の第3章「グリーフケアが知られるようになるまで」のなかに、ポーリン・ボス(Pauline Boss)というアメリカの臨床心理学者の『あいまいな喪失とトラウマからの回復  家族とコミュニティのレジリエンス』(誠信書房、二〇一五年、原書 Loss, Trauma, and Resilience : Therapeutic Work with Ambiguous Loss, W. W. Norton & Company, 2006)が紹介されており、同書の鍵概念の一つである「心の家族(Psychological Family)」の定義が引用されている。

心の家族というものは、人間の心のなかに本質的に存在しているものです。それは、人間の経験の基本的特徴とも言える喪失を補うものなのです。心の家族とはただ懐かしい人々の寄せ集めではありません。それは生き生きと心の通ったつながりであり、喪失やトラウマのなかにいる人々がその時を生きていくことを助けてくれるものです。愛する人から、身体的にも、心理的にも切り離されてしまった人は、自分の心のなかで認識できる故郷や家族とつながることによって、喪失に対処していくことができます。このような、心理的に構築された家族は、時として、公的に記録されている家族や現在共に住んでいる家族と重なるかもしれませんし、別なのかもしれません。

The psychological family is intrinsic in the human psyche. It compensates for loss, a basic feature of human experience. More than simply a collection of remembered ties, the psychological family is an active and affective bond that helps people live with loss and trauma in the present. Cut off from loved ones physically or psychologically, people cope by holding on to some private perception of home and family. This psychological construction of family may coincide or conflict with official records and the physical family one lives with, […] (p. 26)

 原文では、邦訳の引用部分の直後に « but who is viewed as being in the family is of therapeutic importance. » とあって、「しかし、家族に属していると見なされる人が治療上重要なのです」と最後の文が結ばれている。
 「心の家族」もまた人によって構成されるものである以上、その家族を成す人たちと離れて生きているとしても、あるいは、すでにその人たちはこの世にはいないとしても、それらの人たちとの繋がり或いは「現前」が今ここで実感されなくてはならないだろうし、それぞれの「顔」をはっきりと思い浮かべ、「声」を聴くことができなくてはならないだろう。ボスの本を読んだわけではなく、上掲の引用を読んでの私個人の感想にすぎないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


読点考 ― 音楽記号的用法、視覚的効果を狙った用法、思考のリズムの自発的表現としての用法

2023-12-16 12:30:42 | 日本語について

 学生たちの口頭発表用の原稿を添削するとき、文法的には必要なく、内容理解にとっても誤解の余地のない箇所であっても、私は読点をかなり加える。なんのためかというと、彼らが原稿を読み上げるとき、比較的長い一文を一息に読まずに、一呼吸おく場所を示すためである。聞いている学生たちが発表内容をよりよく理解できるようにするための配慮である。この場合、読点は楽譜に用いる休止記号のように機能する。
 他方、自分自身が書く文章に関しては、つまり音読されず黙読されるだけという前提で書かれる文章に関しては、できるだけ読点を打たないように心がけている。言い換えると、読み下していけばそのまま視覚的に文節相互の関係がわかるような文を書くように心がけている。この視覚的な読みやすさのためには漢字と平仮名(およびカタカナ)との配分も重要な役割を果たすが、これは今日の記事のテーマではないので立ち入らない。
 論理的に明快な日本語文を書くために読点は必ずしも必要ではない。もちろん、読点がないと誤解されたり文意が曖昧になったり、読点の打ちどころによって文意が変わってしまう場合には打たなくてはならない。
 これらの読点の使用が不可欠な場合とは別に、いわば心理的効果を狙った用法もある。それは必ずしも文学作品における用例に限られない。
 たとえば、昨日の記事で引用した一文「私たちの国は、一貫して翻訳受け入れ国であった」を見てみよう。この読点は、あってもなくても、文意に変化は生じない。しかも、この提題「私たちの国は」はこの一文を超えて同段落のテーマを支配しない。では、なぜ著者はこの提題の後に読点を打ったのであろうか。
 これは私の推測(あるいは邪推)に過ぎないが、著者は読点を打つことで「さあ、この提題について、この直後に一つ大事なことを言いますよ」と予告したかったのではないだろうか。言い換えると、読点で「間」あるいは「ため」を作ることによって、読点以下の述部をより強調したかったのではないだろうか。このような用法を「読み手に対する視角的効果を狙った用法」と私は密かに名づけている。
 この文をそこから引用した本には、提題の副助詞「は」の後に読点があったりなかったりして、その使用法は見たところ一貫していない。その有無は、文の長さと一定の関係があるわけでもなく、副助詞「は」に先立つ名詞句の長さに応じて決まっているわけでもない。かといって、気分次第で打ったり打たなかったりしているわけでもない。概して明快な文章である。
 上掲の例文から読点を省いて「私たちの国は一貫して翻訳受け入れ国であった」としてしまうと、この一文全体が視覚的に一塊となってしまう。それはそれで別の効果を生み出すことも文脈によっては可能であろうが、まさにそうであるからこそ、「は」の直後の読点には一定の意図が込められていると考えることができる。
 いや、そうとばかりも言えない。こうも考えられる。この読点にそんなはっきりとした意図など込められてはおらず、ただ著者の思考のリズムが自ずと打たせたのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本語に見られる「ソコントコ、ヨロシク」的な「甘えの構造」に抗して

2023-12-15 23:59:59 | 日本語について

 「人のことをとやかく言う前に、まずてめえの心配しろ」と見識ある諸氏からどやされてしまうかも知れないが、授業で日本語の文章を一文一文構造に注意しながら読んでいてつくづく感じることがある。
 高名なセンセイの場合でも、厳密に言うと辻褄が合っていない文に出会うことがかなり頻繁にある。そんな文を学生たちに説明するとき、著者を弁護したい場合もあるが、逆に、こんな文章を読まされたら、日本語を勉強している側としてはかなわないよね、と彼らに同情したくなることも同じくらい頻繁にある。
 文の構造に関する問題は多々あるのだが、とりわけ、文と文との間の論理的関係に基づかず、「気分の流れ」とでも呼びたいような繋がりを頼りに書かれている文章がなんと多いことか、と慨嘆することがしばしばある。言い換えると、「まあ、そこんところ、よろしく」みたいな、読み手に寄りかかって構造の不備を不問に付している文がうんざりするほど多いのである。これを日本語における「甘えの構造」と私は密かに呼んでいる。
 今日授業で読んだ文章のなかから一例を挙げよう。すでに物故されている著者の名誉のために書名も著者名も伏せる(内容からすぐに特定されてしまうかも知れないが)。

しかもこれらの幕末から明治にかけて来日した外国人はきわめて多数にのぼり、かつその中には、伝道のために派遣されてきた宣教師もかなり多かったが、その大多数が幕府、明治新政府などによって欧米諸国から招聘され、雇用されたいわゆる「お雇い外国人」であったところに、前代に見られない特殊な歴史的性格をもっている。

 いったい何が「歴史的性格をもっている」のだろうか。ここは、例えば、「歴史的性格を見ることができる」とでもすべきところであろう。こうすれば、主語あるいは提題がなくても、「(一般に人は)そのように見ることが(様々な証拠から)できる」という意であると解することができる。
 思うに、著者は、この文を書いたとき、自分は「お雇い外国人」というテーマで書いているのだから、この文もその「気分」のなかで書いており、そのことは読者にも共有されていると気分的に前提していたのだろう。だからここも「(幕末から明治前期に多数来日した「お雇い外国人」は「前代に見られない特殊な歴史的性格をもっている」というつもりで書いたのである。そう理解してはじめてこの文は論理的に整合性のある文として翻訳可能になる。
 もう一例挙げよう。これは先週の授業で読んだ文章である。

私たちの国は、一貫して翻訳受け入れ国であった。

 見たところ単純なこの文の問題は構文上のそれではない。表現上の曖昧さの問題である。前後の文脈から明らかなことは、この文が言いたいことは、「(誰か外国人の手になる)翻訳を受け入れた国」ということではなく、「自分たち自身の手になる翻訳によって(外国の文化・思想・知識などを)受け入れた国」ということである。
 誤解の余地はないではないか、と言われる向きもあろう。その通りである。が、言いたい。日本語の文章をフランス語で説明する稼業に勤しんでいると、この手の文に出会っては溜息をつきたくなることが日々あるのだ、と。「忖度を読み手に強いる」とまでは言わないが、「ソコントコ、ヨロシク」的な日本語文に出会うたびに、しかもそれが一流とされる著者の本のなかであるとき、「日本語の前途は暗い」と、つい悲観的な気分に陥りかねないのである。
 身近な人たちからは「ムズカシスギル」とお叱りを受けることの多い拙ブログだが、上記のような「甘えの構造」が蔓延する日本語の現実に暗澹としつつも、日本語の未来を照らす一隅の光たらんと、志だけは高く持しているつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


日本人の死生観についての学生たちの発表を聴く(上)

2023-12-14 09:41:35 | 講義の余白から

 「日本の文明と文化」の授業の今学期最後の二回は学生発表に当てられている。日本人の死生観に関して学生たちが自分たちで選んだテーマについて日本語で発表する。昨日水曜日はその一回目だった。発表の条件として、単独発表は不可、二人ないし三人で発表することとした。発表時間は、デュオは十分、トリオは十五分を上限とした。昨日は、デュオが三組、トリオがやはり三組、計十五名が発表した。
 デュオの一組は、「仏教と神道の死と生の思想」というテーマで、テーマ自体は悪くないものの、中身はちょっと救いようがなく、発表後の私のごく簡単な質問にもまともに答えられなかった。
 その他はなかなかに聴かせる内容だった。テーマはそれぞれ「命の価値」「他界観」「桜に見る死生観」「日本文学における死生観」「東京裁判における死刑判決」であった。
 「命の価値」のデュオは、自分たち自身の死生観を語るという内容で、発表にはちょっと演劇性も含まれていて、聴いている学生たちの受けは悪くなかった。
 「他界観」のトリオは、発表の一ヶ月前から参考文献をよく調べ、日本人の他界観について多数の図版や写真を使って、内容の濃い発表だった。
 「桜に見る死生観」のトリオは、桜が古代から現代まで日本文化のさまざまな分野で生と死の象徴としていかに機能してきたかを、例を多数挙げてわかりやすく説明していた。発表後、発表した学生の一人から「散り際」という言葉のニュアンスについて私が逆に質問を受けた。いくつか用例を示しながら説明したが、この言葉に注目するところにも彼のセンスのよさが感じられた。
 「東京裁判」のデュオは、鶴見俊輔の A Cultural History of Postwar Japan 1945-1980 に依拠して、東京裁判で死刑判決を受けた当事者たちの死生観と東京裁判に対する日本国民の反応の中に見られる死生観とを上手にまとめてあった。
 昨日の発表で私が最も高く評価したのが「日本文学における死生観」のトリオである。日本文学といっても漫画もその中に含まれていたのだが、その『私たちの幸せな時間』(新潮社)という漫画についての発表が特に優れていた。発表した女子学生は、この漫画を三年ほど前に読んでおり、この漫画から今回の発表のために特に死生観を引き出したのだが、それがとても的確な日本語で見事に説明されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「生物多様性 Biodiversity」という言葉の起源

2023-12-13 23:59:59 | 講義の余白から

 今日の修士一年の演習では、先週課題として与えておいた「生物多様性はなぜ守られなくてはならないのか」という問いに15名の出席者全員に一人一人日本語で答えてもらった。それぞれ表現のニュアンスには違いがあったにせよ、生物多様性が保全されなくてはならないという点では異論はなく、その根拠として、生物多様性の減少は生態系の破壊に繋がり、その生態系に人類も属し、依存している以上、生物多様性の保全は人類そのものにとっても必要だとする点でもほぼ一致していた。
 このような意見の収束が意味しているのは、学生たちがすでにこの問題についての一定の情報と教育を基に自分自身の考えを持っているということである。ある学生は、高校の科学の授業でこの問題についてクラスで話し合ったことがあると言っていた。学生たちは、生態系の破壊、気候変動、環境倫理等について、大学での専攻いかんにかかわらず、考えざるを得ない世界に生きている。
 「生物多様性(フランス語では biodiversité)」という言葉は、彼女ら彼らにしてみれば、大学入学以前から聞き慣れていた言葉である。ところが、この言葉の登場は1980年代半ばのことにすぎない。
 次の段落の叙述は、Dictionnaire de la pensée écologique (PUF, 2015) の Biodiversité の項の記述に依拠している。
 生物多様性(Biodiversity)という言葉は、1970年代から80年代にかけて徐々に形成されていった「保全の生物学」を推進していたアメリカの生物学者たちが1986年にワシントンで開催した生物多様性についてのフォーラムで Walter Rosen によってはじめて使われた。この言葉とともに表明されたのは、生物学ばかりでなく諸科学が自然に対する態度を変えなくてはならないという危機意識である。絶滅危惧種の増大を前にして、科学者たちが自然に対する態度を改め、その研究活動と啓蒙活動を通じて、一般の意識も変えていかなくてはならないという倫理観に保全の生物学は基礎づけられている。
 この言葉が今日広く流通するようになった背景にはこのような初発の倫理的方向性が前提としてあり、学生たちが生物多様性の保全をいわば無条件に支持しているのは、彼女ら彼らの思考がすでに一定の思潮によって条件づけられていることを意味している。
 このことを自覚した上で今一度生物多様性について考えてみてほしかったので、上掲の辞書の当該箇所を示しながら、生物多様性という考えの起源について説明したところ、この言葉の登場からまだ四十年も経っていないことに学生たちは驚きを隠せなかった。このことは、生物多様性がいかに急速に深刻な危機に曝されつつあるのかということも意味している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


来年五月のフランス国立図書館での仮の発表テーマと要旨

2023-12-12 16:01:36 | 哲学

 昨日、パリのフランス国立図書館から、来年5月24日に予定されている日本哲学についての研究集会での私の発表タイトルと要旨をまだ仮のものでよいから送ってくれとメールで連絡があった。
 腹案はすでにいくつかあったのだが、大学や研究機関でのシンポジウムと違って、この集会にどのような人たちが参加してくれるのかまだよくわからないので、どれにするか、少し迷った。
 発表内容の選択の基準をいくつか立てた。日本哲学思想史についての知識は前提としない。日本語・日本文化・日本史についての知識も前提としない。リセの哲学の授業のレベルの西洋哲学史についての知識は前提する。西洋と東洋との対立を自明の前提とするような話はしない。「日本哲学」という言葉で括れるような歴史的実体は存在しないという前提で話す。近代日本における哲学の受容史みたいな大雑把な話もしない。大きな哲学的概念をテーマとしない。一方で西洋哲学との接点があり、他方ではそれと区別あるいは対立が際立つテーマを選ぶ。日本語のテキストは発表には入れない。重要な単語一つ二つのみは場合によっては日本語でも示す。大学以上の哲学教育を前提とする哲学用語はできるだけ使わない。
 以上のような縛りを掛けた結果、西田幾多郎が哲学の動機とした「深い人生の悲哀」をテーマとし、西田哲学が反アリストテレス的な一つの生命の哲学であり、その情感的基底が「深い人生の悲哀」であることに焦点をあてて話すことにした。
 しかし、これはまだ仮の話で、国立図書館側から注文があればそれに応じて内容を変更するつもりでいる。