5.切通しの土管坂
緩い坂道を歩いて鬼みちに入ってきました。
切通しの坂道です。
片側の斜面には土管が土留めに使われています。上は民家のようですが以前使われていたと思われる通路がつづら折りになっています。
まさにこの景観は
歩いて見たいふるさとの道「新日本歩く道紀行100選」に選ばれている証が感じられます。
5.切通しの土管坂
緩い坂道を歩いて鬼みちに入ってきました。
切通しの坂道です。
片側の斜面には土管が土留めに使われています。上は民家のようですが以前使われていたと思われる通路がつづら折りになっています。
まさにこの景観は
歩いて見たいふるさとの道「新日本歩く道紀行100選」に選ばれている証が感じられます。
大浜てらまちウォーキング
13.ゆるキャラや虚無僧がゆく大浜てらまちウオーキング
臨海公園駐車場に車を止めて長い距離を歩き、寺岡鉄斎美術展や九重味醂蔵を見学
人力車、ゆるキャラや虚無僧がゆく大浜てらまちウオーキング、十分楽しませてもらいました。
それにしても地区のイベントにこれだけの人が集まるとは少々驚きました。
来年もまた来てみたいものです。
おわり
大浜てらまちウォーキング
12.バロメートルの石柱?
碧南市になる前の大浜は港で栄えていたのでしょうね。徳川家康の伊賀越え上陸地も大浜ですし、豊臣秀吉が朝鮮出兵の船を造船させたの地もおおはまだったようです。
古い建物がありました旧大浜警察署だったようです。
大正時代に建てられた。
バロメートルと刻まれた石柱の上に時計のようなものがありました。
フランス製の気圧計のようです。
港で栄えていた大浜ですから天候には敏感だったんでしょうね。
◎清沢満之記念館
明治の宗教哲学者。名古屋生まれ。
真宗大谷派(東本願寺)の改革運動に尽力、大谷大学初代学長
大浜の西方寺が終焉の地。
大浜てらまちウォーキング
11.歴史を感じるお寺の樹木
大浜のてらまちは名前の通り1KMもないぐらいのところうに10ケ寺もあります。
徳川家康の幼名竹千代の命名寺の称名寺、清沢満之記念館のある西方寺など歴史を刻んでいるお寺ばかりです。境内にある樹木も並みの大きさではなく巨大な幹に驚かされます。西方寺の檜、本伝寺の銀杏は目を見張るほどです。
大浜てらまちウォーキング
10.本場韓国家庭料理 花苑のキンパ
てらまちウオーキングにはキッチンカーや飲食店が多く出店していましたが、私は本格的な韓国料理店の花苑が出店しているところでキンパ、ヤンニョムチキンとチジミを買いました。キンパは早速ベンチで食べてみました。
本場韓国味でしょうか? おいしかったです。
◎花苑のヤンニョムチキンとチジミ
ヤンニョムチキンとチジミは帰宅帰宅後味わいました。本格的なヤンニョムチキンは初めて食べますが甘さがあって韓国味がしました。
韓国のチキンはこんな味だったんですね。
韓国は何回も行きましたが食べなかったことが残念に思えてきました。
大浜てらまちウォーキング
9.藤井達吉現代美術館へ
富岡鉄斎没後100年債展が開催されている藤井達吉現代美術館へ入館します。
大浜てらまちウオーキングに協賛して今日は無料で入館できます。
混雑しているかな?
と思いましたがてらまちイベントの方に関心が行っているのでしょう来館者は少なめでした。ゆっくり観賞することができました。
富岡鉄斎についてはあまり知識がありませんでしたが・・・
「最後の文人画家」と称えられる富岡鉄斎(1836-1924)は
幕末の京都に生まれ、幅広い学問と多様な流派の絵画を学び、深い学識に裏付けられた豊かな画業を展開しました」
展示されている鉄斎の絵画は、中国の山水画のような画法や中国の古典題材が多く描かれていました。
その作品のほとんどには賛文が書き加えられてれています。
自分の絵を見るときは、まず賛文を読んでくれ」と言われたそうですが難解で読めませんね。
万巻の書を読み、万里の路を行く
この文章だけは少し理解できたように感じました。
◎散文とは
絵画に書き込んだ詩文を言います。上部の空白部に書く場合が多い
大浜てらまちウォーキング
8.人力車、ミニ電車に乗ろう
いもむしの愛称で親しまれていたモ3400系のミニ電車が人を乗せて走っていました。
大人も結構乗っていますね 100円
人力車もウオーキング道路を人を乗せて走っていました。15分ほどで千円だそうです。
外国人が楽しそうに乗っていましたが、他の車にはなんとゆるキャラまでが乗っていました。
6..虚無僧と花手水
天蓋、袈裟、偈箱を身にまとい尺八を吹奏する虚無僧が寺で献奏しています。
お寺の手水鉢には花手水が飾られていました。
カーネーション、菊、バラ、グロリオサ、ガーベラなど碧南の花だそうです。
私としては初めてみました。
造花かと思えるぐらい美しいです。