● 親鸞ゆかりの越後の国へ 4
古から農地の中に、
樹齢600年のコブシの古木の根元にあった五重の石塔は、
「偉い人のお墓」と言い伝えられて大事に扱われていたが、
昭和31年恵信尼消息第8通「五重に候う塔」とある恵信尼公の
寿塔(存命中につくったお墓)に違いないとして、
昭和37年(1962)に「西本願寺国府別院」の飛地境内として整備されたそうだ。
恵信尼公の寿塔のそばには、親鸞の筆になると言われる南無阿弥陀仏の石碑、そして
恵信尼公のレリーフが並んで建てられている。
将来はここにお堂も建てられる予定だと・・・・・
解説をしてくれた会長さんがおしゃっていた。
それにしても寒いです。
12~3度ぐらいのようで現地の方も春先の気温ですと嘆いたいた。
古から農地の中に、
樹齢600年のコブシの古木の根元にあった五重の石塔は、
「偉い人のお墓」と言い伝えられて大事に扱われていたが、
昭和31年恵信尼消息第8通「五重に候う塔」とある恵信尼公の
寿塔(存命中につくったお墓)に違いないとして、
昭和37年(1962)に「西本願寺国府別院」の飛地境内として整備されたそうだ。
恵信尼公の寿塔のそばには、親鸞の筆になると言われる南無阿弥陀仏の石碑、そして
恵信尼公のレリーフが並んで建てられている。
将来はここにお堂も建てられる予定だと・・・・・
解説をしてくれた会長さんがおしゃっていた。
それにしても寒いです。
12~3度ぐらいのようで現地の方も春先の気温ですと嘆いたいた。