その縁で、わたしは風葉と東京で暮らした儀造(義父)から風葉の酒癖の悪さをよく聞
かされた。飲みすぎて心臓がとまりかけ、徳田秋声に看病されたり、師の尾崎紅葉を殴っ
て涙を流させたりした話である。
こうしてわたしは、もうひとり妻の義兄でヒトラー治下ドイツ共産党日本人党員となる
小栗喬太郎を対比した『青春の夢風葉と喬太郎』を書いて、五年前上梓した(平原杜)。
この作を「青春の夢」と題したのにはわけがある。小栗風葉の代表作は『青春』といわれ
ている。時代は日露戦争の頃、紫の袴をひるがえす女子大生を生き生きと描き、満天下を
湧かせた、と木村毅が書いている。
ところで風薬の初期の出世作『亀甲鶴』は郷土半田の酒造りを背景に酒造りの男の家付
き娘によせる悲恋を描いた、硯友杜に珍しく写実的な小説である。この亀甲鶴にほれ込ん
だのが、深田酒造の森下肇常務である。作品も復刻したが、そのままの製法で「亀甲鶴」
を醸造した。そこへ深田酒造の酒蔵開きがあると、酒のペンクラブ会員、麻木正美が聞き
込んできた。披は、ここの白老を好む。白木 (製紙問屋)の栄次郎副社長が東京から駆けつける。現地参加がファッション評論の久田尚子女史。それならと、名古屋から中京テレビ小野憲正報道局長、わたしの若い親友で主にレストラン関連の建築を得意とする「興起」の伊藤忠興社長とで乗り込んだ。
建設中の中部新空港をみはるかす伊勢湾をのぞむ千石酒造の酒倉には二日間で六千人が
訪れ、生酒を楽しんでいた。深田社長の話では、常滑や半田の酒造は、船頭や廻船業者が
灘の酒を運ぶうちに自ら醸造を始め、盛時は六百軒を超えたが今は8軒になったそうだ。
往時をしのばせる大きな樽を作る職人も奥三河に一人という。主人公が娘の婚礼の夜に身
を投じた大桶はこんなものでしょうか、と森下肇さんから聞くといっそう興趣が湧く。