ハングル語講座のなかでチブロ(家へ)という韓国映画を見た。
話題になった映画だそうだ、見終えた後先生から感想を書くように言われた。
先生 微妙な内面を書くことは困難ですよ!と言ったら日本語で良いとのこと、この日記を提出しておこう!
物語は新幹線風の車内、 母と電子玩具に夢中の親子連れが母方の故郷へ向うシーンから始まる。そして、デコボコ道を田舎のバスは山奥へ奥へと向う。
山肌にへばりつく様に建つ家で、年老いたおばあさんが一人で暮らしている。
耳は聞こえるが、話すことも、書くこともできないハルモニだ
ここでの少年とそのハルモニの数日を、都市と農村、貧富の差、最後は人間性と血縁の復活を描いている。
悪がき少年がハルモニの愛撫の手を汚いと払いのける、ババア! きちがい!とののしる。
必死にお手伝いをする地元の少年たちにも悪行を働く。
ケンタッキーフライドチキンが食べたいと泣き叫ぶ、ハルモニは何とか工面して鶏を買ってくる。心のこもった鳥もチキンとは違うと、蹴っ飛ばしてしまう。
そんな悪がき少年も、ある事件で地元の少年に「ごめんなさい」と謝る。
ハルモニに対しても少しずつ甘えたり、やさしい言動が生まれてくる。
心の内面では、ハルモニの優しさがもっともっと増幅している
最後の別れでは、バス停で、照れくさそうに、ちょっと怒ったように、手書きのはがきをハルモニに突き出す。そこには アップダ・ボゴシポ あて先欄には、自分の住所を書いてある葉書だ。
ハルモニが病気になったら、話すことができないから電話も、字が書けないから葉書も出せないのを知って自分なりに考えた愛情のプレゼントである。
動物は本能的に、弱いものを淘汰しようとする、それが種の生存をたくましくしているのだろう。鶏でもたくさん一緒に飼っていると弱いものは寄ってたかっていじめ殺されてしまう。
ホームレスなどへの少年の犯罪などはこれにあたるような気がしてならない。
だがドラマの少年のように人間性を取り戻さなければいけないよね。
作者の意図は良くわかるが、日本でも韓国でも古里のおじいちゃんおばあちゃんに対する都会などに住む孫たちの考え方は確実に変わっている。
このドラマの設定は一昔前のものと認識するのが良いでしょうね。
http://www.cinemabox.com/obaatyan/introductionstory.htm